ごめんねサリィ

柳なつき

ペガサスの過去

 どこまでも駆けたい。

 かつて、そう願った少女がいたのです。

 そして神さまは、その願いを叶えてくれたのです。



 メリーゴーラウンドの前にある説明文の板。手をかざすと現れる緑色の文字に目を通すと、小さくため息を吐いて手を離した。途端に文字は消える。


「ここに人が来るのは、久しぶりですじゃ」


 私は振り向いた。

 灰色の服を着た柔和そうなおじいさんが、杖をついて立っていた。腰が曲がってしまっているのだ。


「……ええ」

「メリーゴーラウンドに目を留められたか」


 おじいさんは目を細める。

 私も改めて、目の前で動き続けるメリーゴーラウンドを見た。


 

 よくある形のメリーゴーラウンド。屋根も柱も舞台もきらきらと輝いていて、たくさんの木馬はぴかぴかと誇らしそうで。ぽろんぽろんと流れる音楽は、幼い少女が宝物にしているオルゴールのようだった。

 夢を見ることのできる、どこか昔懐かしいアトラクション。


 ただ、普通のメリーゴーラウンドとは違うところもあった。

 装飾は悪魔の羽を生やした馬のイラストばかり描かれている。屋根のてっぺんには鉄製の髑髏が置かれている。ぽろんぽろんと流れる音楽は時折、叫び声みたいに不自然に軋む。

 お客は誰もいない。係員もいない。誰も乗せずに、途中で止まることもなく、メリーゴーラウンドは延々と動き続けている。


 そして、なにより違うのが。



「あれだけ、木馬じゃないですよね」


 私は、それを指さした。

 木馬より遥かに大きいその馬は――哀しそうな目で無機質な木馬と同じ動きを繰り返す、生きたペガサスだった。


 胴体には巨大な鉄製の胴輪を装着されており、その胴輪は鎖でメリーゴーラウンドの柱に繋がれている。ペガサスの足はメリーゴーラウンドの舞台にしっかりと届いているが、ペガサスの周りの舞台だけ無数の棘が飛び出ていた。

 つまりペガサスはメリーゴーラウンド全体の動きに従って、脚を進め続けなければいけないのだ。進むことをやめれば鎖に引きずられてしまい、棘に全身を刺して激痛が走るだろう――実際、少なくない棘が赤黒く変色していた。

 頭部には棘の生えたくつわを装着され、前しか見れなくされている。

 その両翼は大きな釘を打たれていて、広げることはできなさそうだ。釘を打たれたところは赤黒く滲んでいる。よく見ると、いまも少しずつ鮮やかな赤色の血が出続けているようだった。


 ペガサスは走り続けるしかない。

 それ以外に、なんにもできないから。


「ああ、そうじゃよ。あれは、生きものじゃ。お嬢さんはよくお気づきじゃ」

「私、もうお嬢さんって年齢ではないんですよ」

「はは、は、はは……」


 おじいさんは何がおかしいのか、ひきつったように笑った。


「さっきから思っていたですじゃ。黒騎士のようなその格好。もしやお嬢さんは、地獄総本山管理局の役人さんですかな」


 顔をあげれば、向こうには地獄総本山と呼ばれる大きな山がそびえ立っている。


「そんなようなものです。正式な身分は明かせないので、ご容赦を」

「おお、おお、それはもう……」


 おじいさんは頭を下げた。

 念には念をと思って。黒騎士の格好をしてきて、よかった。


「私、メリーゴーラウンドが好きなんです。子どものころによく乗ったなって思って、懐かしくて」

「このメリーゴーラウンドに目を留めてくだすったのは、役人さまが、ほんに久しぶりですじゃ……近頃はこの遊園地に来る人も減りおって。せっかくこんなに楽しい遊園地ですのに。わしの手入れする生き甲斐の遊園地ですのに」

「あなたはこの遊園地の関係者の方ですか」

「そうですじゃ、そうですじゃ。この遊園地の管理人ですじゃ。もうこの道、五十年になりますじゃ」


 ――当たった。


 私はメリーゴーラウンドに視線を戻した。

 ペガサスの後ろだけ、木馬ではなく馬車タイプの座席になっていた。

 私は今度は、それを指さす。


「あの。あそこだけ、木馬ではなく馬車ですよね。どうしてなんですか?」

「ああ、それはですなあ、……は、はは、かつてこの遊園地にも人っ子がたくさんおったときにはですなあ、毎日、毎日、何度でもやったものですじゃ、……ははは」

「パレード、みたいな?」

「似たようなものですじゃ、はは、は」


 彼がうずうずしているのが、私にはわかった。

 だから、いけるか――賭けに出るつもりで、私は申し出た。


「そのパレードを、観客はいま私だけですが――私のためだけに見せていただけるわけには、いきませんか?」

「え、ええ、え……? は、はは、はあ、まあ、それはですな、ははは……」

「もちろん相応のお礼はさせていただきますので。総本山も、この遊園地のことは特別に気にかけているのですから」

「あ、ああ、お、おおう、なんとありがたいお言葉……」


 彼はひざまずくと杖をかたわらに置き、額を地面につけて深々と土下座をして。

 そして、すっくと立った――杖もなしに。


「それでは、役人さま、この老いぼれめのパレードをご覧になっていただきます、へ、へへ、何卒よしなに……」

「よきにはからっておきますよ」


 彼はやはり杖もなしにすたすたと歩くと、回り続けているメリーゴーラウンドの馬車の座席にひょいと軽々乗り込んだ。そして馬車の側面に備えつけられていた鞭を手にすると、容赦なくペガサスの真っ白な尻に、叩きつけた。

 白い身体に、あっというまに赤いしるしが残る。

 ペガサスは上半身を持ち上げて、いなないた。

 悲痛な叫び声だった。


 ああやって幾度となくペガサスに鞭打ってきたのだろう。

 そうして観客たちは拍手喝采を繰り返してきたのだろう。

 どんな目に遭っても、ただ走ることしかできないペガサスを面白がって。



 メリーゴーラウンドが回る。私から見えない位置に、ペガサスも馬車も向かう。その間も、いななきが、一度、二度、三度。私に見える位置に戻ってきた遊園地の管理人が誇らしげに手を振ってきたときにはすべて――こちらの準備は、終わっていた。


 管理人の額を見る。定める。撃つ。管理人の額からは血しぶきが吹き出た。

 私のピストルで撃たれすでに物体となった管理人の身体は、誇らしそうな表情を顔に張りつけたまま全身のバランスを崩して、ぐしゃりとメリーゴーラウンドの舞台に落ちた。

 金色に輝く舞台に血だまりができる。

 ぽろんぽろん、ばーばー。メリーゴーラウンドに流れるかわいらしいメロディと、時折入るそのひずみ。


 私はピストルの安全装置をかけると、コートの内ポケットにしまった。



 遊園地に人の気配はなくなった。

 私は駆け出すと血だまりを踏んで馬車に飛び乗り、馬車を足場にしてペガサスの背中に乗った。くつわと胴輪をレーザー光線銃で壊し、両翼に打たれた釘を力いっぱいに引き抜いた。翼からは血が流れ出てきたのでガーゼを当てた。

 すべての処置が終わると、私はペガサスの耳もとに口を近づけた。


「ねえ、サリィ。わかる? 私だよ。陸上部でいっしょだった、カンラだよ」


 ペガサスの反応はない。それだけで泣きそうだった。わかっていたことだったのに。この悪趣味な遊園地の関係者をすべて処分し、メリーゴーラウンドで延々と走らされ続けるサリィの身体を解放したところで、サリィが元に戻るとは限らない。

 わかっていたのに、心が納得していなかった。



 ここは、地獄遊園地、と呼ばれる場所だ。

 悪魔に魂を売って願いを叶えてもらった人間たちが、そのあと悪魔に連れてこられる地獄のひとつ。ここでは人間たちはその願いに相応しい姿となり、苦しみながら、嘲笑されながら、永遠と思える時を過ごす。


 悪魔というのは、神話に出てきた存在ではない。科学文明の発展した現代社会。そのなかでも非常に高度な技術を持ち、かつそれを他人を支配するために用いたい人間たち。彼らはいつしか悪魔と自称し始め、彼ら同士でコミュニティを作り、地獄と名づけた地で暮らしているのだ。

 願いを叶える悪魔というのも――人の心に付け込んだ、悪魔と自称する人間の悪趣味な遊びでしかない。


 けれど、切実な願いがあって悪魔にすがる人は後を絶たないのだ。

 サリィもそのひとりだった。

 悪魔に魂を売っては、絶対にいけない。

 そうは、わかっていたはずだ。けれども、不慮の事故で二度と自分の脚で走れない、どころか立てない歩けない身体になったサリィは絶望して、悪魔に魂を売った。



 どこまでも駆けたい。

 そう、願った。

 そして優しい優しい顔をした悪魔は、サリィの願いを叶えてあげた。サリィの脚を走れるものに戻して、ずっと走っても疲れない身体にして。

 喜んで駆け続けたサリィの身体はいつしかペガサスと化し――悪魔は地獄遊園地のメリーゴーラウンドに残酷なかたちでサリィを固定すると、そのまま、ずっと、ずっと、永遠に、見世物として、……走らせ続けようとしたのだ。



 私は、ペガサスとなったサリィの頭を撫でた。

 ……ふわふわ、している。



「ごめんね。私が、間違っていたよね」



 走るだけが人生じゃないよ。

 それにさ。

 私がサリィのぶんまで――どこまでも、走ってあげるからさ!


 ……若かった自分は、どうして、あんなことを。

 もはや走れなくなった、走ることが大好きな友人に言えたのだろう。



 だからサリィはいまも走り続けてしまうのかもしれない。

 自分だって、走りたい――その想いだけでいま、生き続けているのかもしれない。

 たとえ悪魔の拘束から逃れても。その想いがある限り、サリィはきっと。



 私はそっとサリィから降りた。

 いまだ回り続けるメリーゴーラウンドを、あえて止めずに。メリーゴーラウンドのよく見える位置で、膝を抱えてしゃがみ込んだ。



 サリィは走り続けている。



「すてきだよ、サリィ。とても、美しいよ」



 きっと、伝わりはしないだろう。

 でも私は諦めない。何度でもここに、サリィに会いに来よう。


 サリィが心ゆくまで走ることができて。もう止まってもいいと思える日が、もし来たならば。その日にその手を取るためだけに、私はいつまでも待とう。

 そうして会えたら、言わせてほしい。



 ごめんねサリィ、って。ただ、それだけを。

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ごめんねサリィ 柳なつき @natsuki0710

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