はぐれ者、駆ける

灰崎千尋

まものは にげだした!

 私は魔王城の瘴気しょうきによって生み出された魔物だ。なんでも雲のように集まった瘴気から零れ落ちたしずくが私の一族になるらしく、数は多くない。城内には同族が数匹いるという話だが、私は見かけることすらなかった。

 城内は、集団で襲ってくる勇者たちに対抗するため、魔物も隊列を組んで巡回している。私の配属された隊にいたのが、巨人族の我が友だった。


 彼は、ずいぶんと愛嬌のある魔物だった。同じ魔物とは言え、種族を超えて交流するよりは同族とつるみがちなものだが、彼は誰とでも気さくに話し、周りはいつも賑やかだった。私はと言えば、つるむ相手もいないので一匹きりで暗い空を眺めていたものだ。孤独ではなかった。はぐれ者上等、そう思っていたはずだった。


「おまえ、すっごい堅いし、すっごい早いな! 同じ隊でよかった!」


 人間の王が差し向けた兵を一掃した後の宴だったか、その輪を外れて酒の酔いを覚ましていたとき、彼は快活な声でそう言った。

 それまで挨拶程度しか彼と言葉を交わしたことがなかった私は、驚いてその場を飛び退いた。


「ごめん。おれ、うるさいよね。でもこれだけ言っておきたくて。じゃましたな!」


「いや、邪魔では、ない」


 私は咄嗟に彼を呼び止めた。戦いの中で初めて傷を負ったせいかもしれない。そして彼が、共に戦った仲間だからでもあるだろう。


「だが買い被り過ぎだ。確かに守備力と素早さは高いが、体力がないから避け損ねれば重傷。君の方がよほど活躍していた」


「本当か? うれしいなぁ」


 私の言葉に、彼の大きな一つ目が細められた。


「でもおれは棍棒こんぼうをぶんまわすことしかできないから、魔法も使えるおまえ、すごいと思う」


「……お互いに無い物ねだり、ということかな」


 私が苦笑すると、彼もへへへ、と笑った。

 魔王城の常闇とこやみが心地良く私たちを包んでいた。階下からは魔物たちの楽しそうな咆哮ほうこうが聞こえる。


「戻らなくていいのか?」


 私が尋ねると、彼は頭をぶんぶんと横に振った。


「じゃまじゃないなら、もう少し話したい」


 そう言われて私が隣を空けてやると、彼は嬉しそうにどっかりと腰を下ろした。それでもやはり私の背丈の数倍はある。その顔を見上げながら、私は呟いた。


「君は、賑やかなのが好きなのだと思っていた」


 彼は一つ目をぱちくりとさせ、大きな腕を組んでうーん、と唸った。


「にぎやかなのは好き。昔のふるさとを思い出すから。でも楽しくなりすぎると、寂しくなる。ふるさとはもう、なかま少ないから」


「君のふるさとって?」


「巨人族がたくさん暮らしてた洞窟。人間はいないから襲ったこともない。だけどとつぜん勇者が来て、巨人をたくさん殺していった。助かったのは、隠れてたおれたち子供だけ。だから、勇者きらい。殺す」


 彼の目が凶暴な光を宿し、爛々らんらんと輝く。

 そうか、彼は魔王城生まれの私と違って、志願兵だったのだ。なんと立派なことだろう。彼の棍棒が勇者の頭をかち割ることを願わずにはいられない。


「おまえは、ひとりが好きなのか?」


 落ち着きを取り戻した彼に尋ねられた。今度は私がむむ、と唸る番だった。


「慣れているだけだ。この城でずっと一匹だったからな」


「じゃあ、ふたりは?」


 その言葉の意味が、私にはよくわからなかった。「ふたり」と繰り返してみると、彼は大きく頷いた。


「おまえ、すごい奴だし、いい奴だ! おれ、なかよくなりたい!」


 そのあまりにも真っ直ぐな口説き文句に落とされ、私と彼は無二の友となったのだ。


 それからは二人で行動することが多くなった。戦術、罠の仕掛けなどは私が知恵を絞る。城の外へ狩りに出れば、私が素早い動きで攪乱かくらんし、彼がぎ払う。私が危ないときには彼が盾役になる。私たちは、最高の相棒だった。

 しかし魔王城には、悪い知らせばかり届いた。勇者が伝説の武器を手に入れた。魔王直属の部下たる四天王はみな勇者に倒された。瘴気で覆っていた拠点が浄化され、結界が破られた。

 とうとう、勇者たちがこの城へやってくるのだ。

 だが我々とて、ただ手をこまねいて待っている訳ではない。爪を研ぎ、力を蓄え、勇者たちに一矢報いようと毛を逆立てる。

 魔物の士気が高揚する中、彼はいやに静かだった。二人になった所でどうしたのか尋ねると、一枚の木札きふだを渡された。私には読めない記号のようなものが掘られている。


「これは?」


「おれの棍棒を削ってつくった。おれが死んだら、ふるさとの妹に渡してほしい」


「何を弱気な! 仇を討つんじゃないのか!?」


「うん、そのつもりだ。だけどもし、もしだめだったら、妹が本当にひとりになっちまうから。何か残してやりたいんだ。親のものは、勇者にもっていかれて何もないから」


 私は何も言えなくなった。それでもまだ、こんな役目を引き受ける気にはなれない。私が固まったままでいると、彼は言葉を続けた。


「誰よりも早い、おまえにしか頼めない。おれが死んだら、おまえを守れない。おまえはすごいけど、力は強くない。だから」


「だから私に、敵前逃亡しろと言うのか……」


「……頼む」


 我が友の頼みだ。断れようはずもなかった。私は彼の木札をごくりと飲み込んで、体内に大事にしまった。




 決戦の時は来た。

 私たちは勇者の前に立ちはだかった。私がまず、呪文を唱える。


「炎よ、焼き払え!」


 効いているようには見えないが、先制するのが目的だ。仲間の攻撃が後に続く。

 だが、おかしい。何故か勇者一行の全員が私を凝視している。殺意も高い。「あいつだ」「今度こそ」「逃さない」などと言っている。

 戸惑っているうちに、勇者の素早い連撃が来る。避けるのが間に合わず、一撃は食らってしまう。私としたことが!

 魔術士の呪文で格闘家の素早さがぐんと上がった。次の攻撃は、奴の方が早い。


「仕留めろ、莫大な経験値のために!」


 勇者の叫びと同時に、格闘家の拳が真っ直ぐ私に向かってくる。身をかわすがそこへ拳が追ってくる。こんなにも強いのか、勇者というものは──

 刹那、私の前に大きな影が転がり出た。


「いけ」


 聞き慣れた友の声がしたかと思うと、目の前に巨体が崩れ落ちる。嗚呼、そんな。こんな終わりなんて──

 いや、終わりではない。友は「いけ」と言ったのだ。私には為すべきことがある。

 私は勇者に背を向けて逃げだした!


「あ、待て! 逃げるな!」


 全速力で駆け抜けながら一瞬振り返れば、勇者たちの前に仲間の怪鳥と闇魔導士が立ち塞がってくれている。友の話を彼らも聞いたのだろうか。私を責めずに送り出してくれるのか。

 すまない、ありがとう。

 私はまた走り出す。足の無い私は音も立てず、滑るように走る。階段を降り、迷路のような罠だらけの道を行く。仕掛けの場所は覚えている。大丈夫だ。トゲの飛び出す床も、落とし穴も、避ける道はある。

 嗚呼しかし、その道は地獄のような有り様だった。持ち物を漁られ、骨や皮まで剥ぎとられた魔物の死体が散乱している。その死臭の中にうっすらと人間の血の匂いが混じっていて、嗚呼彼らも一太刀あびせたのだと、涙ぐみそうになる。

 しかし泣いている場合ではない。友のために走らねば!


 幸い、と言うべきか、魔王城はすんなりと出ることができた。我々が担当していた階より下に、生きている者はいなかった。当然だ、魔物も総力戦なのだ。生きたまま出て行こうとするのは、はぐれ者の私くらいだ。

 その先は、人間と魔物の交戦地帯。

 戦場に溢れる雄叫びも断末魔も、それが人間のものか魔物のものか、もはや判別がつかない。剣の擦れる金属音、鈍い打撃音、土埃。その下を、地面すれすれにまで体を低くして、私は駆け抜ける。踏まれたくらいでは私の体は傷つかない。そもそも並みの人間には、全力で走る私を視認できないはず。勇者一行がバケモノなのだ、全く。

 時おり目の良い魔物がぎょっとしたような顔で私を見るが構わない。彼らも交戦中だからだ。魔物もずいぶん増えたはずだが、人間の数は凄まじい。倒しても倒しても切りがない。だからやはり、魔物は魔王陛下に縋るしかないのだ。


 やっとの思いで交戦地帯を抜けると荒野に出た。瘴気に侵食された不毛の地。この先は頭に叩き込んだ地図が頼りだ。何せ私は、魔王城の区域から出るのは初めてなのだから。

 友の話を思い出しながら、北へ、北へとひたすら走る。足跡も残さず体を滑らせる。荒野は次第に緑が増えていき、森へと繋がる。森の獣や魔物が私を風と見間違える。見たことのない世界を楽しむ余裕はない。私は、焦燥感に駆られていた。


 何故こうも急ぐかと言えば、目の当たりにした勇者の強さのせいだ。

 私は魔王陛下の力を信じている。しかし、それをも勇者が上回ったなら? 瘴気が晴れ、魔王城が崩れ去れば、命の源を失った私は消えるのではないか。そう思えてならないのだ。その前に彼の故郷へ辿り着かねば、約束を果たせない。

 森の奥には大きな山。迂回する時間は無い。人間には越えられなくとも、私ならば。急勾配きゅうこうばいも岩がちな道も、私には関係ない。この峰を越えた先に、彼の故郷があるはず。走れ、転がるように、走るのだ。




 疲れというものが、この体にあるのを初めて知った。いや、水分補給ができていないからか。あるいは、魔王城が落ちたのか。負傷したのとは違う、体の力が入らない感覚。もうすぐ、あと少しのはず。意識だけは走るつもりで、体をひきずる。そうしてようやく、洞窟までやってきた。

 静かだった。暗いのは私の目が霞んでいるからか。もはや声も出ない。


「だれ?」


 それはメスの声だった。しかし、どこか我が友の声に似ていた。恐る恐る近づいてきた大きな影は、間違いない、巨人族だ。

 こぽり、と私は木札を吐き出した。巨人族の彼女は一瞬たじろいだが、木札を拾ってくれた。それからハッと息を呑み「おにいちゃん」と呟いた。


 巨人は瘴気とは別に生まれた種族。魔王陛下が倒れてもその命は続くだろう。彼もこの洞窟を出なければ……いや、それはあまりに彼に無礼か。




 嗚呼、間に合った。確かに届けたぞ、友よ。






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