文芸部員のとある放課後

宵埜白猫

月影朱里と後輩くん

 部員五人が全員入ると少し狭く感じる部室の中で、月影つきかげ朱里あかりは一人で頭を抱えていた。

 窓の外から聞こえる蝉時雨にときどき悲鳴を上げそうになっては、また思考の海に落ちていく。

 ……蝉達の合唱にカラスのコーラスが加わった頃、彼女は大きな溜息と共にソファに倒れた。


「ダメだ~! 全く思いつかない! 大体なんだよ『走る』がテーマの部誌って!」


 そう、これが彼女の悩みの種。今月の部誌は『走る』をテーマにした小説を一人一つずつ書いて掲載することになったのだ。

 一時間前に部長からこの話を聞かされて、朱里は頭の中でいくつか構想を練ってみた。


 まず、『走る』と聞いて誰もがすぐに思い浮かべるであろうイメージが運動だ。

 そこで彼女が最初に考えたのが陸上部を舞台にした短編小説。放課後の部活というのはいつの時代も共感を呼ぶ、定番の青春ストーリーだろう。

 よし、これにしようと思って書き始めて見て、朱里は自分が運動とは無縁の人生を送ってきたことを思い出した。

 放課後の運動部の情景など、テレビドラマで見るくらいの知識しか彼女にはないのだ。

 リアルな人物描写と情景描写をウリにする彼女にとって、これは致命的だった。

 よって第一案はあっけなくボツになる。


 次に彼女の頭に浮かんだのは、誰もが知る名作『走れメロス』。

 『走る』をテーマにした物語の代名詞的な作品ではないか。友のために走るメロスの姿には、涙を覚えた読者も多いだろう。

 しかしシンプルなストーリーであるため、これを元に新しい物を作るのは難しそうだ。

 ……こうして彼女は、頭の中に物語の案が浮かんでは構想を練ってみてボツにするという作業を小一時間繰り返していたのだ。


「はぁ、仕方ない。陸上部のやつらに話でも聞きに行くか……」


 朱里は小さな体をのっそりとソファから起こして、重い足取りで部室のドアを目指す。

 エアコンで冷えたドアノブに手を伸ばした瞬間、勢いよくドアが開いて朱里の手は空を切った。


「おつかれさまで~す!」


 元気のいい挨拶と共に部室に姿を現したのは、今年の春に入部したばかりの朝陽あさひ創汰そうただ。

 創汰は入学当初、入る部活を決めかねていたのだが、校内をさまよっていたところを朱里に捕まり、気づくと文芸部に入部していたのだ。

 他の男子と比べても背の高い方である彼だが、朱里と並ぶと実際より五センチは高いのではないかと錯覚させられる。


「おつかれ。もう部室閉めようと思ってたんだが、朝陽はまだいるのか?」

「いえ、俺は忘れ物取りに来ただけなんですぐに出ますよ。それより月影先輩がこんな時間まで残ってるなんて珍しいですね」


 創汰が部室の棚に置いてあった鞄を取りながら言葉を返す。


「僕は次の部誌の構想を練ってたんだよ。家だと弟たちがうるさくて集中できないからね」

「ああ、なるほど。なんかいいの出来ましたか?」

「全然、さっぱりだよ。だから今から陸上部にでも話を聞きに行こうと――」

「帰りましたよ、陸上部」


 創太の一言に朱里の動きが止まる。


「え? 朝陽、すまない。僕の聞き間違いかもしれないからもう一度言ってくれないか?」

「何度聞いても答えは変わらないですよ。……陸上部は帰りました。明日の記録会に備えて、今日は早めに切り上げたみたいです」


 クラスのやつが言ってました、と最後に付け加えて、創汰は捨てられた犬でも見るかのような目で朱里を見た。


「そ、そんな目で見るな! 大体、君はもう思いついているのかい?」

「もちろん! 俺なら現代を舞台にしたドラマですね。ほら、夢に向かって走る、とか言うじゃないですか」


 そう言って彼は胸を張る。

 活発そうな見た目に反して、創汰は根っからの文化系なのだ。

 朱里同様に運動はからっきしだし、スポーツ番組よりは世界遺産の映像に興奮するタイプの男の子。

 だから朱里は創汰も自分と同じ悩みを抱えていると(勝手に)思っていたため、目の前の創汰の自信に満ちた様子を見て(これまた勝手に)ショックを受けていた。


「そ、そうか。確かに『走る』って言葉にはいろんな意味があるな。動揺が走る、とか言うもんな」

「今の月影先輩まんまですね」

「余計なことは言わなくていい。……まぁ、何はともあれ君のおかげでいい小説が書けそうだ。ありがとう、朝陽」


 朱里は頬を赤く染めながら、屈託のない笑顔を創汰に向けた。

 創汰はその笑顔からそっと顔をそらして、


「……先輩の役に立てたならよかったです」

「ああ、大いに役立ったぞ。じゃあ暗くなる前に帰るか」

「そうですね。戸締りしとくんで、先輩先に帰っていいですよ」

「お、そうか? 助かる。じゃあ頼んだぞ」


 朱里から投げ渡された鍵をなんとかキャッチして、創汰は彼女を見送った。

 そして、彼女の姿が見えなくなったのを確認して、……その場に崩れ落ちた。


「……朱里先輩、その顔は反則です」


 静かな部室の中で、創汰の耳だけは喧騒に包まれていた。それは、部活勧誘の日に彼の胸に走ったしびれるような衝撃が奏でる不協和音だった。

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文芸部員のとある放課後 宵埜白猫 @shironeko98

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