終電は早し走れよ乙女
いずも
第1話 故意の駆け込み乗車
いくら春といえども、京都の夜は寒い。
ビルの合間を風が吹き抜け、若者から年配まで威勢の良い酔いどれ共の声が響き渡る飲み屋街からは距離をとった路地裏の小さな居酒屋を後にする。
夜桜と金切り声は春の風物詩である。
それは背景、ただのBGMとして、私は彼と二人だけの世界を築き上げる。
「ふう、お腹いっぱーい。美味しかったね」
そう言って私はお腹を擦る。
――嘘である。
本当はまだラーメンとデザートのパフェくらい余裕で入るのだが、大食らいという印象を与えないためにあえて少食アピールをしているだけに過ぎない。
どちらも今年入学したばかりの一回生でしかも同じ学部、しかも同郷という奇跡のような出会いを果たした。
え、新潟と島根のどこが同郷だ?
いやどちらも日本海側じゃん。十分同郷でしょ。
こんな日本という狭い島国の中、いわば全てが同郷みたいなものでしょ。
「凄いね
「もーやだー、年齢詐称してるとでも言いたいわけー? これでもピッチピチの18歳なんですけどー!」
自然な感じで清太郎君の肩に触れる。
よしよし、ボディタッチも完璧。
「ところで海星ちゃん、そろそろ帰らないと終電になっちゃうんじゃない?」
はいキター!
待ってましたー!
ここで「終電逃しちゃった……」作戦決行!
彼はここから歩いて帰れる市内の上京区に下宿、私は親戚の家にお世話になっており、大阪の高槻市から電車で通っている。
つまりこの作戦は終電を逃し、彼のお家にお泊りすることを目的としているのだ。
「ああ、どうしよう。もしかしたら終電逃しちゃったかも……」
「ええっ!?」
「あっ、全然大丈夫。満喫とかネカフェとかで朝まで時間潰すだけ、だから、さ……」
私がちらっと上目遣いで清太郎君の方を見る。
彼は至って冷静にスマホのアプリで時刻表を開いて確認する。
「あっ、大丈夫だよ海星ちゃん。まだ終電残ってるよ」
「え?」
「ほら、阪急電車の方は終電が早いけど、JRの方なら間に合いそうだよ。阪急の烏丸駅まで先回りするのも手だけど、それをするくらいなら初めからJR京都駅まで向かった方が確実だから!」
「え、え、う、うん……」
どうしよう。
清太郎君がすごく必死に方法を考えてくれている。
なんか、今更こっちから話を切り出すのは凄く恥ずかしい……。
いや、でも、やるのよ。
そう、やるのよ海星、ここまできて引き下がるなんて女がすたるわ。
お酒の力(*ノンアルサワーです)を借りるのよ!
「今夜は、帰りたくないの……」
「どうしたの? おばさんとケンカでもしたの?」
「えっ」
「だったらなおさらちゃんと帰らなきゃ! おばさん絶対心配してるって。なんだったら僕も今度一緒に謝るからさ、こんな遅くまで連れ回してしまってごめんって」
「い、いや、違う、違うの。大丈夫、大丈夫だから」
ダメだ、どうやっても上手くいかない。
これはもうだめかもわからんね。
「って、こんなこと話してる間にも終電の時間が迫ってくる。走ろう、海星ちゃん」
ぐっと私の手を掴んで走り出す。
ああ、なんてエモいシチュなんでしょう。
こういうのラブロマンスを望んでいたのよ私は。
なんか私ただの腹黒女みたいだけど。
「……うっ」
京都駅に向かって走る途中、突然横っ腹が痛くなる。
食べて急に運動したらダメって教わらなかった? 準備運動は忘れちゃダメだぞ。
「どうしたの海星ちゃん!?」
「わ、私はもうダメ……」
そっか、こうやって時間稼ぎしたらいいじゃ~ん。
私ってばマジ策士。
むしろ軍師。
目からビーム出すどころか腹からどす黒い瘴気吐き出す戦国最強の知恵者ここに参上なんですけど~。
三条だけに。
いやどっちかっていうと五条だけど。
「そ、そんな。よし、だったら僕に任せて」
えっ?
うそ、ちょっと。
私もしかして、お姫様抱っこされてない?
こんな憧れのシチュエーションを今ここで体験しちゃって良いのかしら!?
「高校の陸上でインターハイにも出場してたから、足の速さには自信があるんだ」
ええ、嘘、ここで新たな新事実。
イケメンで真面目、勉強も運動もできる好青年なんて満貫どころか跳満でしょ。
さらにこのシチュ、もう親倍満で直撃飛んじゃう~。
「そういえばさ」
「えっ」
「こないだ海星ちゃんに言われて読んだよ、えっと……『夜は短し歩けよ乙女』だっけ。あれ、面白かった」
「そ、そう。良かった」
「なんか、似てるね。あの小説と」
「うん?」
「こうやって京都の町中を駆け回ってる感じが」
「う、うん」
ごめん、それはよくわからない。
ていうかあったっけそんなシーン。
お姫様抱っこで西だか東だかの洞院通を駆け抜ける名場面は記憶にない。
もちろん私達は先斗町で飲んでたわけでもないし、古本市巡りをしていたわけでもない。
ただ舞台が京都だってことくらいしか共通点なくない?
「よし、着いたよ。間に合ったぁ」
私を下ろした後、ひと仕事終わったように額の汗を拭い去る。
その仕草にキュンとなる……なっていいのか? 良いんだよね? ここ、そうなるシーンだよね?
「うん……ありがとう」
まだ京都駅の終電には間に合ったようだ。
私は喜んでいいのか悲しんでいいのかよくわからない表情を浮かべていたと思う。
「あの……今度は、時間を気にせずにゆっくりとお話できたらいいな。その……清太郎君の部屋、とかで」
「ええっ、……う、うん。わかった。じゃあ部屋の中片付けておくよ」
彼も満更でもない顔をしている。
良かった、実はアウトオブ眼中なんでとか言われたらどうしようかと思った。
いいんですかいいんですか。
神様、いいんですよね。
この人好きになっても、いいんですよね。
「……」
「……」
なんか、いい感――
「あっ、海星ちゃん。急がないと電車なくなっちゃう」
「そ、そっか! ごめん、ありがとう! じゃ、じゃあ、また大学で!」
「うん、気をつけてね!」
顔が紅潮しているのが自分でもわかる。
ひんやりと頬を撫ぜる風が心地よい。
何気ない日常に、大きな変化が起きようとしている。
まさか自分がそんな物語の主役になれるなんて、思いもしなかった。
この気持ち、大切に――
「――電車がまいりまーす」
「あっ、いけないっ、終電逃しちゃう」
私は急いで改札に向かった。
一連の流れをずっと見ていた駅員さんと目が合った。
「はい恋の駆け込み乗車始まりまーす」
「うっせぇわ」
終電は早し走れよ乙女 いずも @tizumo
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