夜の闊歩者

四方山次郎

夜の闊歩者

 ある日、妹が唐突に言った。


「おそと時間ちょーだい」


 ロッキングチェアにもたれかかっていた俺は顔だけを向けた。

 妹は樹脂製の細いベルトにくるまれた細い腕をこちらに差し出している。


「妹よ。お兄ちゃんは今大変に忙しいんだ。そんなことを言ってないでさっさと今日のおそと時間を消費してらっしゃい」


「そのおそと時間が足りないの! 代わりにおうち時間あげるから! ね? いいでしょ!?」


「あのな、妹よ。よく聞きな? 昔のえら~い人が言っていたんだ。お前のおそと時間はお前のもの。俺のおそと時間は俺のもの」


「お兄ちゃんのけちんぼっ! いつもはお兄ちゃんのほうから分けてくれるのに!」


「まったく。……まあ、今日ならいいか」


「ほんとに!?」


 妹がさらに自分の腕を近づけてくる。


「わたしのウォッチとお兄ちゃんのウォッチをくっつけて『譲渡、外出義務時間五時間』って言って!」


「五時間って、ほぼ全部じゃないか」


 早く早く! と妹がはやし立てる。俺はため息をついて自分の金属製のブレスレットを沿えて復唱した。

 すると、ポキーンという軽快な音が俺と妹のウォッチから響いた。

 お互いに自分のウォッチを確認した後に顔を見合わせる。妹はパアッと明るくなっていた。


「ありがとうお兄ちゃん! 遊び行ってくるね!」

 そういって駆け出して行ってしまった。


 俺はもう一度ウォッチを見直した。

 表示されている赤緑青黒の四色で構成される円グラフのうち、赤色の面積が大きく縮まり、代わりに青色の面積が増えていた。


「やれやれだ……」


 俺は独り言をつぶやいて読書を再開した。





 20XX年、某日とある法案が可決された。

 外出および在宅時間に関する法令。

 健康および経済活動促進その他もろもろの目的のために定められた。

 全日本国民に“ウォッチ”という腕時計型携帯端末が配布され、個人番号、静脈認証システムと連携された時間管理を行うというものだった。

 一般的に『外出義務時間』『在宅義務時間』『自由時間』の三つの区分があり、合計で二十四時間になるように文字盤に模した円グラフでディスプレイに表示される。これらの時間は住んでいる地域や天候、月日によって違いがあるが、毎日義務時間を消費しなければいけないということは変わりない。もっとも、使いたくなくても“強制的に使用される仕様”なのだが。



 二十二時を過ぎたころだった。携帯端末が微振動したので確認すると大学同期からの酒盛りのお誘いだった。


「行くっきゃねえな!」


 久しぶりの酒盛りに興奮した俺は、妹に譲渡した時間のことをすっかり忘れて家を飛び出した。


 外に出ると肌を刺す、とまではいかないまでもほどほどの寒さに身を縮める。

 満月が綺麗な夜だった。

 澄んだ空気を吸いながら「今日は何を飲もうか」などと思いをはせる。


 若人がたむろするコンビニエンスストア前を通りかかったところ、建物内から何かが飛び出してきた。それは二回ほど後転したのち地面に突っ伏した。


 人だった。よろよろと動きながら再度コンビニへと向かっていく。俺と、周囲でたむろする人々が呆れたようにその姿を眺める。


「お、お願いだ! 賞味期限切れの弁当でもいい! なんでもいい、売ってくれ!」

「お客さん、困りますよ」


 入っては追い出されてを何度も繰り返したとわかるほど上着がボロボロになっている。

 彼を見る人々の目には嘲笑や軽蔑の念が見て取れる。そして、何人かは同情を、おそらくは同じ境遇にある人間特有の気まずそうな顔色がうかがえた。



 おうち時間難民。

 在宅義務時間と自由時間を使い果たし屋内にいることができなくなった、自堕落な体たらく者たち。おうち時間難民という言葉は法令施行前からマスメディアで話題に上げられていた俗称だ。在宅時間を使い切った状態で屋内に入ろうとするとウォッチに基本設定されている“強制的に使用される仕様”、強制移動システムが起動し、暴風が生み出され無理やり外へと飛ばされる。一般的に『強制連行』と言われる仕様だ。

 彼ら彼女らは建物内へ入れないため露店以外で買い物ができない。法令が施行された当初は国民の反発も多かったため、出店形式で売店を出すところも多かった。コンビニでは店員がわざわざ出入り口まで行き来していたところも多かったが、時期が進むにつれ横暴な態度をとる客が増え、おうち時間難民への対処をルール上禁止している店も少なくない。


 そんな悲劇にあわないように俺は義務時間をうまくやりくりしていた。『時間譲渡』機能を用いて、だ。特に、今日のような出かける予定のない休日に持て余した外出時間は、遊びたりない妹に譲渡し、代わりに妹からは別の時間をもらうWin-Winの関係を築いている。


「出かける予定のない……?」


 違和感を覚えると同時にウォッチが連続的に微振動した。表示を見た俺は目を見張った。

 外出制限アラームが出ていた。残りの自由時間、外出義務時間が五分を切った時に発動するアラームだ。何をやっていたんだ。今日はすでに五時間もの外出義務時間を譲渡し、自由時間をむげに使用していたことを思い出した。



「あいつん家まで走っても十分、自宅までは……ギリギリくらいか?」


 考えていても仕方がない。俺は走りだした。



 しかし、間に合わなかった。 

 角を曲がり自宅が見えたところでタイムアップとなった。右腕に装着しているウォッチが駆動音を発する。暴風による生まれた推進力で俺は真横にあった民家に飛び込んでドアをぶち破った。



「どわぁああああ!?」

「なんだぁてめえ!」

「あなた! テレビで有名なおうち時間難民よ!」

「また来やがったかこのろくでなし人間がぁ!」

「すみませぇえええん!!!!」



 飛び込んだ民家の壮年の夫婦が悲鳴とどなり声を上げ、俺を追い立てる。

 道路に蹴り出されたあとすぐにウォッチが起動し、今度は向かいの家に突っ込んだ。



 ウォッチの乱暴なまでの推進機能備えた移動システム。在宅時間を使い切れば屋外へ、その反対に外出時間を使い切れば屋内へ強制的に移動させる。

 数多くの事故報告があるこのシステムは未だに改善の余地がある。



「誰か……助けて、くれ……」


 いくつもの民家に突撃侵入し追い出されてを繰り返し体がボロボロになり、しまいには空を漂っていた。


「満月が美しい……」


 過度の疲労により思考は身体のダメージを放棄し、逆に冷静な状況認識を始めた。

 暗黒のなかにただひとつ佇む神秘的な衛星。すべてが闇に包括されるこの世界で自分を唯一癒してくれる存在。

 俺はうっとりと眺めていた。

 月のクレーターまではっきりわかるようだった。見つめていると次第に模様が大きくくっきりしてきて、人の形を模した。



 人の形?



 否、それは人そのものであった。



「お兄さん、大丈夫?」


 月光を背に浴びふんわりと浮かぶその人間は、とても可愛らしい透き通った声をしていた。まるで脳に直接届くかのように澄み渡った。


「ああ、なんだかとても気分がいいんだ……」

「……その状況でその感覚はあんまりよくないんじゃないかな?」

「……かもしれない」

「おうちはどこなの?」


 ぼそぼそと自宅の住所を、近くにある高校、公園の特徴を伝えると彼女はうんうんとうなずく。


「じゃあすぐに着くね、でも念のため」と言って、彼女は自身の白銀のウォッチを近づける。


「譲渡、自由時間五時間」


 端末が軽快な音を立て、駆動音が落ち着いていく。浮遊を促す推進力が徐々に失われ落下を開始したがすぐに彼女が抱き支えてくれた。



「あり、がとう。重いだろ……?」

「ううん。あたし力持ちだから、大丈夫」

「そうか。悪いな……」


 そういってはにかむ彼女は、とても魅力的に感じた。

 彼女は階段を降りるかのように宙を下っていく。


 彼女がどうして浮いているのか、そもそも誰なのか。疑問に思えることはいくつもあったが、疲れ切った俺はすべてを受け入れていた。彼女の胸に抱かれているこの時間がとても心地よい安心感を与えてくれていた。



「ここであってる?」


 気づけば自宅についていた。玄関前におろされた俺はなんとか自分の足で立つことができた。


「助かったよ。ありがとう」

「どういたしまして、気を付けてね」


 彼女はにこやかにこちらを見ている。どうやら家に入るまで見届けるつもりのようだ。ようやく頭がはっきりしてきた頭の中にある疑問が思い浮かんだ。


「……君は大丈夫なの?」

「何が?」

「“時間”が。その、さっき俺に五時間もくれてたし。君もウォッチが暴走して大変なことになるかもしれない」


 さっきまでの自分の体験を思い出し、痛みがじんわりとよみがえってきた。

 俺を助けるために自分の身を危険にさらしていたとしたら申し訳が立たない。




「一千六百七十九万四時間」



「え?」





「あたしの自由時間、一千六百七十九万四時間あるんだ。だから大丈夫」



 まるで大したものでもないとでもいうように彼女は答える。


「君は、君は一体――」


「元気になってきたようだね。あたし、行くね」


 じゃ、と言って彼女は飛び上がった。満月へ向かって高度を上げ、闇の中を横切って消えてしまった。

 今になって疑問が頭にあふれてきた。


 君は一体何者なのか。


 その膨大な時間、自由に空を駆ける力はなんなのか。


 なぜ俺を助けてくれたのか。



 その他多くの言葉に表せないぼんやりとした感覚が炭酸飲料の泡のように湧き出た後、ひとつの想いだけが底に残った。




「また、会えないだろうか……」



 唯一形になった言葉をぽつりとつぶやいて腕をぎゅっとつかんだ。

 かすかに残った、夜の闊歩者かっぽしゃの温かみを惜しむように、俺はしばらくその場に佇んでいた。

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夜の闊歩者 四方山次郎 @yomoyamaziro

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