ドールハウス

深川夏眠

dollhouse


 叔母さんがボチボチ新居の中が落ち着いてきたと連絡をくれた。私は暇を持て余していたので、片付けラストスパートの応援をば……と、加勢に向かった。

「助かるよ、ちゃん。後でおごる」

 叔母は先日離婚が成立してシングルに戻り、清々したと笑っている豪快な人だが、結婚生活の間、物理的なスペースの問題や、相手の趣味に合わない小物を強引に並べ立てるのはいかがなものかという遠慮から、開梱しなかった段ボール箱がいくつかあったという。そのまま引っ越した彼女は、しばらく眠っていたガラクタと久しぶりに対面できるのでワクワクしているそうで、私も期待に胸を膨らませてお邪魔した。しかし、

「普通、表にマジックで書くとかメモを貼るとかしませんか、内訳」

「バタバタしてたからねぇ」

 現れたのは、昔、叔母が夢中だったバンドのツアーパンフレットやグッズ、二度と着られそうもない当時の、その他……。

「いやぁ、若気の至り。お恥ずかしい」

 やいやい言い合いながら別の箱を開けると、今度は小さな家が出てきた。市販の生クリームの紙パックに似た形。ミニチュアとはいえ底面は50センチ四方もあろうかという結構なボリューム感。ただ、グルッと大きな×を描くように真っ赤なビニールテープが貼られているのが少し妙だった。

 叔母はしばし首を傾げていたが、

「……思い出した。これ、凄く古いヤツ。従姉のお下がりだった。もしかしたら、更にオーナーを遡れるかもしれない年代物。懐かしいの匂いだわ」

 要するにドールハウスだが、高級なアンティークではなく、一般家庭の子供も親や親類にねだるか、お年玉を注ぎ込みでもすれば手に入れられる、ハウスといった俗称で呼ばれる庶民向けの量産品だった。

「確か3DKぐらいの間取りで、システムキッチンだの洗濯乾燥機だのは別売りだったんだよね」

「お金のかかる遊び」

「まったく」

「厳重だなぁ。貴峰さんが貼ったの?」

「記憶にございません」

 色は違うけれども、立ち入り禁止を表す KEEP OUT と書かれた黄色と黒のコントラストを思い出し、ふと、事故物件を連想して嫌な気分になった。が、叔母は鼻歌混じりに赤い絶縁テープをメリメリ剝がしていった。

 三面鏡を広げるように外壁が開いて内部が露わになった。リビングダイニングと寝室らしい書き割りが姿を現した。

「ここ、シャワー室かな?」

「ドレッサーはどこ行った」

 家具もなければ舞台のもいない。

「全然覚えがないんだけど、どこかで勘違いして処分したのかな」

「人形なら我が家に二つあるし。作ろうか。大道具、小道具」

「おお、おまえさんはウチの家系には珍しく手先が器用だし。材料費は奮発するから、頑張ってくれ」

「よし来た」

「まずは表札を掲げよう。

「は?」

「苗字がせりざわだからだよ。戻れてよかった。あとね、ドール二体なら名前はな」

「ハハハ」

 花の女子大生とは言いながら、影響力の強い感染症のせいで勉強も遊びも思うに任せぬ辛いご時勢、叔母は私に気晴らしの種を与えてくれたのだ。本当なら彼女にこそ慰めが必要なはずだけれど……優しい人だ。

 その後、デリバリーを頼んで、おいしいイタリア料理を鱈腹ごちそうになった。叔母はワインを開けて程よくしまったが、私は飲酒運転するわけにはいかないのでノンアルコールで通した。ママチャの荷台にくだんの段ボール箱を括りつけて帰った。


 自室のワークテーブルにを広げてみた。ほとんどの装飾品は背景として壁面にプリントされているが、多くは褪色したり剝げ落ちたりしていた。軽い素材で作って貼り付けてみようと思い立ち、ザッと目を走らせた。掛け時計、サイドボード、あるいはマガジンラック。全体的にアメリカン・カジュアルな雰囲気なのに、妙に物々しいゴシック調のドアが奥に控えている。つまり、描き込まれている。文字通り、開かずの扉だ。私が愛蔵しているのは二人のなのだが(妹たちは無視)、彼女らが女王様コスチュームで鞭を振るうプレイルームを想像してニヤニヤしたものの、すぐ我に返って自分の馬鹿さ加減に呆れた。

「まあ、作ってもいいけどね、ビニールレザーで……」


                  *


 気がつくと、小鳥の巣箱を据えた庭木の前にいた。細い幹にプレートが掛かっている。曰く、Cellyリー's House

がハンパないぞ」

 目の前には玄関もなく、いきなり撮影セットめいた空間。ああ、まだ碌に作業もしていないのに出来上がってしまっている。夢だ。私は多分、疲れて居眠りしているのだ。

 ヴィヴィッドな膝丈ワンピースの上にエプロンを着けた――髪の色を変えたから区別はつく。キャラメルブロンドが1号、バーガンディが2号だ――が手招きしてソファに座らせてくれた。レモネードとビスコッティがふるまわれたので歓待かと思いきや、二人は私を挟撃するように立ち、人差し指を突きつけて眉を吊り上げ、抗議の声。英語でも日本語でもないのでサッパリ聞き取れなかったが、どうやらボンデージファッション云々に立腹したらしい。

「すみません、ハイ、反省してます、冗談です。やりませんってば」

 いい加減に応じながら、夢の中にも風味や歯ごたえはあるのだな……と感心した。

 ジュークボックスから音楽が流れる。双子バーバラは雑な謝罪を受け入れてくれたのか、何事もなかったように、せっせと掃除したり食器を洗ったり。ドラム型洗濯機の中で衣類がグルグル回っている。そのうちに彼女らはエプロンを外し、私の両隣の椅子に腰かけて編み物や刺繍に没頭し始めた。私もすっかり寛いで雑誌のページをめくっていった。ホストファミリーに慣れてきた留学生の気分だ。

 それにしても、コンソールに鎮座したノートパソコンがレトロな調度の中で異彩を放っている。現代人の夢だから仕方がないか。

 鳩時計が鳴いた。バーバラ1号がキッチンに立ち、ホットケーキを焼くと、2号が紅茶を淹れた。おやつと共にオセロやトランプ遊びに興じ、まったりと優雅な時が流れていった。

 だが、BGMが徐々に不穏な、不気味なトーンを帯びてきたので身構えた。微かにギギギ……ゴトン、と奇怪な物音。様子を見にいくと、案の定、例の扉が開いて、ハウスに不似合いな物体が出没していた。漆黒のコフィン。ガタガタと振動している。とんだ居候だ。この屋敷を閉ざしていたビニールテープが十字架の役を務めていたにもかかわらず、叔母が無造作に封印を解いてしまったのだ。

 彼方に目を凝らした。が転がっている。ドールサイズにとってはかなりの距離だが、さすがは夢。指がニューッと伸びて、しっかり武器を握っていた。白い蠟の棒をたいしょパフォーマンスよろしく振り上げ、振り下ろして、棺の表に力いっぱい十字を描いてやった。次の瞬間、ビシッと謎の衝撃が伝わってよろめき、尻餅を突いた。

 騒々しさに驚いた双子バーバラが駆けつけた。そのとき棺桶の蓋は少しずれていて、好ましからざる寄宿者の片腕が青褪めた掌を上にしてはみ出していた。糊の利いた袖口に光るカフスボタンが忌々しい。彼女たちは状況を呑み込み、ゾッとした顔を見合わせたのち、両手を頬に当てて甲高い悲鳴を上げた。一頻り叫んで気が済んだのか、今度は私に感謝の眼差しを向け、左右から抱きしめてきた。感謝のハグはシャネル№5の香りがした。


                  *


 飛び起きて真っ先に考えたのは、あの扉を無効化することだった。ゴブラン織に見えるフェルト細工の真ん中に白い十字架を浮かび上がらせ、魔物の出入口を封鎖した。

 それから数日、双子バーバラの衣装を新調し、ベッドや食器棚をちまちま作る合間に、夢で味わったレモネードとビスコッティの再現を試みたけれど、こちらの方がよほど難しい……などと悩みつつ、春休みを消化していった。


                * * *


「お届け物です」

「はい」

「代引きなんですが……」

「えっ?」

 私はいつも通販を頼むときはクレジットカード払いだし、父や母が注文したのなら出かける前に一言断っていくはず。何かの間違いでは……と疑いのまなこで伝票をめ回したところ、宛先にはこう記されていた。


 ……■■町3‐22 芹澤李峰様方 セリーズ・ハウス様


 バーバラ1号2号の仕業か。もちろん、彼女らにもを満喫する権利はあるだろう。しかし、我が家のWi-Fiにタダ乗りするとは、けしからん。魔除けの壁掛けにニンニクをすり込んでやろうか。いや、それでは私の部屋にも匂いが充満してしまう。ええい、どうしてくれよう。



              dollhouse【END】



*2021年3月 書き下ろし。

**縦書き版はRomancer『月と吸血鬼の遁走曲(フーガ)』にt

  無料でお読みいただけます。

  https://romancer.voyager.co.jp/?p=116522&post_type=rmcposts

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