寝坊と長風呂といちごのタルト

きざしよしと

寝坊と長風呂といちごのタルト

 ふんわりと漂ってくる甘い香りに誘われて、ネリネはふと目を覚ました。ふかふかの綿毛を敷き詰めた巨大なそらまめのベッドから起き上がると、もう陽が傾いていることに気がつく。随分と長いお昼寝をしてしまったらしい。


「よく眠れた?」

 ダイニングに行くと、薄桃色のエプロンを着けたカノンが出迎えてくれた。両手のミトンが焼き上がったばかりのタルト生地を支えている。

「寝癖ついてるよ」

 くすくすと笑う目の前の少女は、同じ女であるネリネから見ても文句無しに可愛い。短い黒髪や顔立ちはどちらかというと中性的な印象を与えてくるのだが、彼女の仕草や表情はいつも細やかだった。

「水かぶんないと直んないの」

「じゃあシャワーしてきなよ」

 まだ何も乗せられていない空のタルトを見せて「ゆっくりね」と微笑むカノンに見送られてバスルームに向かう。


 この家は建てた男の趣味なのか、珍しい事にバスルームに浴槽が備え付けられている。白磁のつるりとした角のない入れ物に金の猫脚が4つ生えているあれだ。ネリネはこれが大層気に入っていた。

 どばどばと入浴剤を流し込み、シャワーでお湯を溜める。するとあっという間に浴槽……どころかバスルームいっぱいに白い泡が広がった。あんまり水を使うと怒られるのだが、たまにしかやらない贅沢なので許して欲しい……と毎日思っている。

 すぽぽーんと着ていたローブを脱ぎ払い、猫脚の浴槽に飛び込めば、ぼふりと泡の海が容易く形を変える。

 清潔な泡に包まれて鼻唄を歌い始めれば、ここはもうネリネ専用の舞台になる。鼻唄に歌詞がついて、抑揚が出て来て、ついには綺麗なビブラートがかかる。よく反響するのが面白かった。外から「服脱ぎ散らかすなっつってんだろ」とディッキーの声がしても気にならないくらいには。

 数十分ほど個人リサイタルを楽しんで外へ出ると、脱ぎ捨てた衣服が綺麗に畳まれていた。恐らく意外と几帳面なディッキーの仕業なのだろうが、彼は異性の衣服を畳むことに躊躇いとかは覚えないのだろうか。別に気にはしていないが。


 ダイニングはちょっとした戦場だった。

 2つ並べられた大きな長方形のテーブルに、寝食を共にする少年少女達が群がっている。目当てはカノンが作っていた本日のおやつだ。

 ―――しまった、出遅れた!

 そう思ったのもつかの間。肩を叩かれて視線を向けると、困ったように眉を下げたカノンがいた。手にはいちごタルトを2切れ乗せた皿がある。白と赤、2色のいちごを交互に並べた美しいタルトだ。水に溶かしたあんずジャムで仕上げをするのも忘れない。キラキラと輝く果実は宝石のようにも見えた。

「神よ……」

「いや、大袈裟だよ」

 少し大きめに切られたそれを「内緒ね」と差し出し、テーブルから少し離れた窓枠に腰かける。窓枠は規則的に揺れていたが、バランスを崩すほどじゃない。

 テーブルでは変わらず争奪戦が繰り広げられている。体の大きな人魚の兄弟、ムジコとフィースキォは、息が合いすぎて同じタルトに手を伸ばしては喧嘩しているし、甘いものに目がないカルメラや、負けん気の強いディッキーも我先にとタルトに手を伸ばす。しかし、この場でヒエラルキーの頂点に立っているのは最年長のザカライアだ。豪快な高笑いと共にタルトをかっさらう彼の戦闘力は他の追随を許さない。どんな状況にも適応する能力をもった歴戦の猛者は、弱肉強食の世界においてあまりに大人げなかった。その隣で気難しいドラゴン乗りイッカは、この美味しいおやつは、はたして相棒に食べさせても良いものなのかと思案しているようだ。


 彼らはけして家族というわけではない。生まれも種族も年齢もてんでバラバラである。けれども、この場に置いてはある意味家族よりも強く結び付いていることが必要だった。

 紆余曲折あったし喧嘩も悩みも互いにしたが、個性的で、楽しくて、大切な仲間達だ。ネリネは彼らが喜ぶ顔が何より好きだった。

「みんな楽しそうだね」

「うん、あんなに喜ばれると作った甲斐があるよ」

「あーあ、今日は最高の1日だなぁ。よく寝たし、タルトは美味しいし……」


 その時、窓の外で魚が跳ねた。

 ネリネの頭よりも大きい、ぎょろりとした目玉を持つ、鉛色の怪魚である。そいつが空中を泳いできてネリネの頭上、ちょうど屋根の部分に体当たりをしたのだ。

「ぎゃーっ!?」

 大きな音と共に床にひっくり返ったネリネは、ねぼけ眼で窓の外を見る。

 白い霧に包まれたジャングル。見たこともない巨大な植物がうねる地面には、獰猛なモンスター達が生息している。木や石は動くし魚は空を飛ぶ。

「敵襲だー!」

 ザカライアを先頭に元気に飛び出していく仲間達を見送りながら、ネリネは遠い目をして頬杖をつく。


 ―――ここが、ダンジョンじゃなければなぁ。


 そうしたら、完璧なおうち時間だったのに、とネリネは残念に思った。

 ディッキーが窓の外から「手伝え!」と怒鳴っているが、へっぽこ召喚士である自分にできることなどないので、残りのタルトを咀嚼することにする。


 ネリネ達はもともと、地上にあるアンドレア王国という国の片田舎の魔法塾に通っていた。

 ところがある日、何の手違いか塾校舎ごとダンジョンの最下層に転送されてしまい、それからは地上を目指して教室ごとダンジョン攻略をしているというわけだ。巷の冒険者が聞いたら思わず正気を疑う状況だが、ネリネたちは至って真面目である。

 この教室は全員欠けずに地上に戻る、その目的を達成するために欠かせない彼女達の拠点なのだ。

 動く巨大な樹木に取り込まれた塾校舎は、傍目に見ればツリーハウス染みている。魔力を動力にちょっとずつ歩を進めるこの家を守るのが、ネリネ達に課せられた仕事だ。

「ネリネ・ブルーノット!早くしろ!」

「わかったよぉ! も〜!」

 ディッキーに急かされて重い腰を上げる。遠くの空でザカライアが怪魚の尻尾に飛び乗るのが見えた。相変わらず出鱈目な身体能力をしている。

 ―――寝坊して、長風呂して、美味しいおやつを仲間と食べる……そういう当たり前の時間が早く戻ればいいのに。


 ダンジョン奥深く、取り残された子どもたちは人知れず戦っている。

 たしかにあった、暖かな時間を取り戻すために。

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寝坊と長風呂といちごのタルト きざしよしと @ha2kizashi

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