ルーティーン

メラミ

おはよう、おやすみ。

 今日は学校がコロナ禍の緊急事態宣言で、休校になった。

 授業が受けられず友達に会って話す機会がなくて、最初は残念だと思ったけど、家族と触れ合う時間が増えるし、これはこれでいいことかもしれない。そんな風に前向きに思った。特にお父さんとは日常会話すらしていない。


 僕のお父さんは、只今リモートワークを開始するところだった。

 お父さんは僕みたいに自分の部屋が無い。

 そしてリモートワーク中は、リビングにお手製の仕切りを作り、デスクワーク用のテーブルを囲って作業にあたっている。


 今日はいつもの平日とは違って、僕が家にいる。


「お父さん、おはよう」

「おはよう、ジュン」

「たまには、お父さんの淹れたコーヒー、飲もうかな」


 僕はお父さんに挨拶すると、自分の部屋に戻る前にお父さんの入れたコーヒーを飲んでみることにした。

 お父さんが淹れるコーヒーは、インスタントコーヒーではなくてレギュラーコーヒーだった。袋からコーヒーの粉をスプーンで摺り切り2、3杯、紙のフィルターに淹れて熱湯を注ぐ。注いだ瞬間、コーヒー独特の焙煎された豆の芳醇さが室内に漂った。僕はお父さんがコーヒーを淹れる姿を見たのは、初めてだった。

 いつからお父さんはコーヒーを飲むようになったんだろう……と考えたところで、それを伝えて話すきっかけを、僕は掴めずにいた。


「……これ、美味しいね」

「美味いだろ? これはキリマンジャロっていうコーヒーなんだ。でも少し他のと混ぜててブレンドしてあるんだよ。お父さんオリジナルだ」

「今日もリビングで仕事あるの?」

「ああ、今日は会議があるからな。でもリビングにいても構わないぞ。ゲームでもして静かに過ごしてくれれば大丈夫だから」

「……うん、わかった」


 結局、朝の会話はお父さんの仕事の話題だけで終わってしまった。僕は部屋からゲームを持ってきて、やっぱり部屋にいようかどうしようかと廊下でリビングに入るのを躊躇ためらっていると、お父さんが何やら悲鳴をあげていた。


「ああ、ああー今日使う書類がーっ! あ、でも他人に見られるわけでもないしな、落ち着け俺……」

「どうしたの?」

「あ、いや、パソコンの前にコーヒーこぼしちゃって……あははは」

「もう……朝から何やってんの……」


 僕は呆れた顔をしながら、お父さんのためにティッシュを数枚手に取ると、ため息をついた。僕のお父さんのこんな姿を見たのは初めてだった。もしかしたらお母さんとのことで疲れてるのかもしれないな……と考えてるうちに話すきっかけが生まれた。コーヒーをいつ頃から飲んでいたのかってことを聞けるチャンスだ。


「そういやお父さん、いつからコーヒー飲み始めたの?」

「え? あぁーお母さんと別居してからかな……ってお前に言ってなかったっけか」

「お母さんのことは知ってるよ。僕の知らないうちに、コーヒー淹れて飲んでたから気になって……」

「いや、朝のルーティンワークってあるだろ? お父さん『おうち時間』というか朝活をしてみようかと思って、コーヒを淹れる習慣を身につけようかなって思ったんだよ」

「ふーん……で、お母さんにはそのこと話したの?」

「それなんだけど、母さんには内緒にしてくれないか?」


 僕は「え?」と言いかけ、「何で?」と聞く間も無く、お父さんが「今度は書類の束をドライヤーで乾かすから」と言った。僕はお父さんに「ドライヤーを急いで取って来て!」と言われてしまった。だから、何でお父さんが「コーヒーを淹れて飲んでるルーティーン」をお母さんに内緒にするのか理由を訊けなかった。


 僕のお父さんはお母さんと別居中だ。それはお父さんのリモートワークをする場所が僕の家以外にないからという理由だった。そしてお母さんは暫くの間、仕事場である僕の家を離れて気を使っているらしく、僕はそれを少し寂しいと感じていた。気を使っていたのはお母さんだけじゃなくてお互い様だったと思うけど、僕も年頃だしお父さんと二人きりで過ごす休日が何だか窮屈だった。

 だけど、お父さんが僕が学校に行ってる間の平日に、コーヒーを淹れて朝活をしていたことを、僕は今日初めて知った。学校が休校で、初めてお父さんのルーティンを見ることができた。けど、コーヒを淹れて飲んでる姿をそんなにお母さんに知られたくないのだろうか……と、ドライヤーで書類を一生懸命乾かしてるお父さんの姿を見て思った。


(どうやって、お母さんに内緒にする理由が聞き出せるかな……)


 僕はこっそりラインでお母さんにお父さんの仕事の様子を写真にでも……と、思ったのだが、会議中は流石にまずいと思ったので、お父さんのコーヒーカップを写真に撮ることにした。


「お父さん、ちょっとコーヒーカップ貸してくれる?」

「な、何だ急に。もうすぐ会議始まるから、早く早く……! カップは食卓に置いといて構わないからな」


 僕はお父さんのコーヒカップを手にすることができた。早速写真を撮って、お母さんにラインで写真を送ることにした。お昼頃になったら返事が来るかもしれないと、僕は考えていた。

 ラインには一言こう付け加えた。


 <お父さん、最近コーヒー飲み始めたみたい、何でだと思う?>


 お昼になって、お母さんから返事が帰って来た。

 その文面には笑顔マークとハートマークが一つあった。


(え……絵文字だけかよ……)


 僕は画面を見てついむくれ顔になってしまう。

 これは何かあるなと思いながらそのまま既読スルーをしてしまう。

 お父さんの仕事が終わってから、再びお母さんに内緒にする理由を聞かなければ……と思いながら、僕は自分の部屋に戻ってゲームをしていた。


 晩御飯になるとお父さんとの食事は、やはりいつものレトルトカレーで、僕は大好きなカレーだからまぁいいやと諦めていた。テレビのニュースを見ながら、僕は何気なくあのコーヒーカップについて聞いてみた。


「ねぇ、お父さん。あのコーヒーカップ、どこで買ったやつ?」

「ん? あぁ、あれは――……っごほっ!」


 お父さんはカレーを食べながら、急に何かを思い出して噎せてしまった。やはり何かあるな……って思ったらお父さんは水を喉に流し込んで、僕にこう言った。


「お前がもう少し大人になってから話そうと思ってたんだけどなぁー。あれはお母さんオリジナルのコーヒーカップなんだ。洗練されたデザインだからやっぱり商品だと思っただろ」

「え! そうなの! じゃあ、お母さんからのプレゼントってことだよね?」

「まぁ、そういうことなんだけど、あのカップは俺と母さんの結婚記念日ってことで――」


 お父さんの話はおおよそわかった。この記念のカップで『コーヒーを飲んだ』と知られたら、お母さんが悲しむと思ったからなんだと、僕は考えた。でも、僕はすぐに考えを改めた。


(あれ? 逆に嬉しいんじゃないのかな……?)


「……わかった。お父さん、照れ屋さんなんだね」

「え? いや、だから母さんには内緒にしてくれ! 頼む!」

「ごめん……さっきお父さんお使ったコーヒカップの写真、お母さんにラインで送っちゃった……」

「えぇー。お前、黙ってそんな事しちゃダメだよぉー。お父さんショック!」


 僕は正直に全部話すことにした。お母さんオリジナルのコーヒーカップだったとは知らずに写真を撮ってしまったことを謝った。そしたら意外にも僕のお父さんは叱るかと思いきや、何だか落胆して僕の行いを嘆いているだけだった。本気で怒られるかと思ったら、僕のお父さんは怒らずに、僕に向かってこう言った。


「お父さん、母さんに会うの恥ずかしくなっちゃうじゃんー。ジュンのバカー」

「あはは、本当にごめんって」


 就寝前、僕はリビングで書類のチェックをしていたお父さんの後ろ姿を見ながら、最後に言いたいことを伝えた。


「リモートワーク期間が終われば、お母さんとまた三人で一緒に暮らせるんでしょ?」

「んー。やっぱり今度から母さんに戻って来てもらうかなぁ……」

「え? ほんと?」


 僕は思わず顔がほころんでしまった。

 お父さんは照れ臭そうにこう話してくれた。


「お前が俺を母さんに会いたいと思わせてくれたんだよ、コーヒーこぼしたことがきっかけでさぁ、わかっただろ?」

「うん……そっか。じゃ、おやすみ」

「おやすみ」


 僕はお父さんにそう言って、一日を終えた。お父さんの普段見られない一面を見られた気がして、何だかちょっとむず痒い気持ちにもなったけど、嬉しかった。

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ルーティーン メラミ @nyk-norose-nolife

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