おうちの幸せ

松竹梅

おうちの幸せ

幸助の家族は幸せな家族。

今は父、母、幸助の円満な家庭で、東京の一軒家に住んでいる。


5歳になる幸助は家で過ごす時間が好きだった。

どこよりも安らぐ場所だから。


保育園が楽しくないわけではない。

友だちがたくさんいるし、先生も優しくて遊ぶには広すぎるくらい。

遊具もおもちゃも絵本も、遊びきれないくらいにある。


でも数には限りがあるわけで、そうすると必ずどこかで争いが生まれる。

おもちゃの取り合い、砂場の場所取り、遊具の順番待ち、みんなで見る絵本。

大人が子供たちにすることであれば、言われるままにやるか、一緒にやればいいから喧嘩も起きない。


でも1つしかないものをみんなが求めれば喧嘩になる。

殴り合いなんて大層な物じゃないけど、子供の喧嘩はとにかくうるさい。


自分の思い通りにならないとすぐに怒り出して、金切り声を上げる。

どちらかが手を出して体に当たったりするだけで泣き出すし、悪くすれば周りも巻き込んでしまう。

子供の泣き声は感染するからコントロールが難しい。

幸助も友だちがたたき合いになればすぐ泣いてしまうし、その声はトンネル内で爆発したダイナマイトにも匹敵する。


それでも保育園は好きで、毎日行くのを楽しみにしている。

同年代の子と一緒に遊んだり作ったりする楽しさがあるのはとても嬉しい。

喧嘩さえ起こらなければ、幸助は保育園での生活を楽しんでいた。


でもそれだけだった。

友だち同士には愛情がない。

遠慮もないし、自分勝手なふるまいを自分勝手にやっているだけ。

お互いの陣地を踏みあわなければ何て言うことはないのに、避けられるはずの喧嘩ばかりしているのがあの場所だ。


子どもの戦争はいつでも起こるし、気づけば収束している。

小さな紛争ばかりが起きている小さな国みたい。

そして終わるたびに仲直りして新しい紛争が起こるまでの仲良しになる。

互いの利益をなるべくくみ取った妥協の上に成り立つかりそめの平和。


それはそれで、楽しく過ごせないわけではなかったので、よかったのだ。

幸助にとっての本来の居場所はそこではなかったから。


保育園から帰ると何よりもの楽しみが待っている。

迎えに立った母よりも先に玄関を開けて、靴を脱ぎ散らかして廊下を走る。

「先に手を洗いなさいよー」と母の声を背中で聞きながら、洗面所に向かってうがいまでしてさっそく遊びの準備をする。

ご飯までの時間、今日は何をしようかと幸助なりの頭で考える。


「よし、今日はヒーローごっこだ!」


手持ちのぬいぐるみをあるだけ持ってリビングへ。

幸助の遊び場はいつもリビングだ。

部屋で遊ぶのもいいけど、窓は背が高くないと届かないし、家にいるのに一人ぼっちに感じてしまうのが嫌だから。


「ママ!今日はヒーローごっこする!くまさんが森にやってきた悪い人たちをぶっ飛ばすんだよ!」

「あらかっこいいわねー、じゃあママはその親分ね。今他のところで暴れてるから終わったらそっちに行くわ」

「わかった!それまではこのリビングの森の平和をくまさんが守るからね!」


母の目の届く範囲なら、ご飯の準備や洗濯の合間に一緒に遊んでくれる。

最近はなぜか帰るのが早いから帰ってすぐに遊んでくれていたころとは違うけど、それでも母がすぐ近くにいてくれて、一緒になって遊んでくれるのが何より楽しかった。


しばらく遊んでいるとご飯の時間になる。

おいしそうなにおいがリビングに漂う。


「今日は幸助の好きなカレーだよ~」

「やったー!」


鼻から口いっぱいに広がるスパイスの香り。

夢見心地だった頭を覚ますようなつんとした香りが頭を抜けていく。


「ただいまー」

「あ、パパだ!」

「おかえりなさい、あなた。幸助、迎えに行ってあげて」

「うん!」


ご飯どきを見越したように帰ってきた父を玄関まで迎えに行く。

今日も大変な仕事をしてきた父が早く帰ってきた、それだけで幸助はうれしかった。


「パパ、今日はカレーだよ!」

「お、やった!何カレーかな、楽しみだ、ママのカレーは超美味しいからな!」

「うん!超おいしい!」


東京の一角、小さな一軒家のリビングにあたたかい笑い声が響き渡る。

家族との時間、みんなで過ごす団欒だんらんの時間。

前よりも増えた父と母との時間が、幸助にとって何よりの楽しみだった。


食卓に並ぶたくさんの料理。

家族みんなが大好きな料理ばかり。

父も母も、幸助の分を先に取り分けてくれる。

それを幸助は受け取って、同じ量を乗せられたお皿を向かいの席に置く。

人が座れるように引かれたイスの前、整然と並べられたスプーンやフォーク、コップ1杯分の水が底に置かれていた。


「はい、今日は大好きなビーフカレーだよ!


 +++


「お兄ちゃんは?どこに行ったの?」


ある日、同じ部屋で、隣のベッドに寝ていたはずの兄の姿がなくなっていることに気づいた幸助は母に聞いた。

目を覚ましたのは見慣れた家ではなく知らない場所。

静かで、少し空気の冷たい場所だった。


「ねえ、お兄ちゃんは?」

「・・・お兄ちゃんはね、天国に行っちゃったの」

「天国?天国ってどこ?家よりも楽しいところなの?一人で出かけちゃったの?」

「そうね・・・、楽しいところだといいわね」

「でもこの前すごく辛そうだったよ?いっぱいゴホゴホしてたし、汗もいっぱいかいてたよ。それにこの前なんて大好きなビーフカレーだったのにって言ってたし」


最後に兄を見たのは一昨日だった。

一昨日まで咳が辛そうで、急に熱が上がったようだったので心配だったのだ。

いつも寝るときは一緒だったのに、ここ最近は別の部屋にいるのか、一緒に寝てくれなくなってしまった。

理由を聞いても父も母も教えてくれなかった。


幸助は心配でしょうがなく、うつむいてしまう。

少し泣き出しそうになる。


突然、母の腕が幸助を包み込むように抱き込み、優しく頭を撫でられた。

存在を確かめるように、いつくしむような優しい力で。


「ママ?どうしたの?」

「―――」


母は何も答えない。

いつの間にか母の後ろに立っていた父も、何かをこらえるように口を強く縛っている。


「・・・泣いてるの?」

「―――」

「大丈夫だよ、お兄ちゃんはきっと帰ってくる。それまで僕がママとパパのことを守ってあげる!お兄ちゃんと遊べなくなるのは悲しいけど、お兄ちゃんの分も遊んであげる。だから泣かないで」

「―――!」


母に抱かれる力がより一層強くなり、体全体が震えるように揺れる。

声にならない嗚咽が幸助の体にまで響いてくる。

痛くはないのに、なぜだか涙が出てきた。

気づけば父も覆いかぶさるように2人を抱いてきて、3人で一緒になって泣いていた。


電気が消された白塗りの部屋は薄暗く、何かの薬品のようなつんとしたにおいがどこかから漂ってくる。

広い廊下では白い服を着た人たちが忙しそうに行ったり来たりしていた。


 +++


3人で泣いてからしばらくたった。

兄はまだ、帰ってこない。

そういう人が他にもいると、テレビで言っていた。


兄がいなくなってすぐ、保育園にいる時間が短くなった。

幸助には理由はわからなかった、聞いてもきっと先生たちは教えてくれないだろう。

『みんなの命を守るため』

そんな感じだったと思う。


家にいる時間が長くなった。

普段の遊び相手は父と母になり、不思議なことに、幸助が家にいる時間は2人がいた。

理由を教えてくれるとは思わなかったけど、聞いてみた。

『幸助が大事だからだよ』

よくわからなかったけど、心が温まり、とてもうれしくなった。


前は保育園で過ごす時間の方が長かったけど、家族で過ごす時間が増えたことで、父と母の愛情を感じることが増えた。

誰に対しても優しい先生より、自分にだけやさしい父と母。

一緒に遊んでくれるし、好きなご飯も作ってくれるし、喧嘩をすることなんてない。

ときどき少し寂しくなるけど、2人がいるから元気でいないといけないって思う。


だってお兄ちゃんに言われたことだから。


最後に一緒に寝た日、咳をこらえながら兄が言ったこと。


『幸助、お父さんとお母さんを守るんだぞ。お兄ちゃんはきっともう、一緒に入れないから・・・。一緒にいてやるだけでいい。一緒に遊んで、一緒にご飯食べて、ときどき一緒に出かけて、そしていつでも一緒に笑うんだ』


兄がなんでそんなことを言ったのかわからない。

いなくなるといった理由もわからない。

でも家族で一緒にいることは大事だとわかった。

誰かと、特に家族と一緒にいることは幸せなことだとわかっていたから。


おうちでの時間は幸せな時間。

どこよりも心安らぐ時間。

リビングに響く笑い声がいつまでも続くように。

強く、強く願いながら、幸助は今日も父と母と一緒に遊ぶ。


「ねえ、今日は何して遊ぶ?」

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