孤独の城

白川津 中々

 疫病が流行ろうが俺の生活は変わらない。

 朝起きてベッドでスマフォを弄り時間ギリギリまでTwitterを見る。深夜に行われたクソリプバトルやくだらない大喜利に溜息を吐き、ようやくベッドから起き上がると、不味い粉末コーヒーをマグに注ぎPCの電源を入れる。メールをチェックして案件の確認。適当にファイルを作っていれば上っていた陽も傾く。時間の経過は早い。


 引きこもりの生活を続けてもう何年になるか。飯もSEXも電話すりゃ解決するし、運動もゲームでできる時代だ。わざわざ外に出る必要もなく、意味もない。部屋の中で完結する人生。楽でいい。これ以上望むべくもない生活だが、どうにも世間様の考えは違うようで、たまに取引先などから「外出も満足にできず辛い昨今ですが頑張っていきましょう」といった謎のエールを賜る事がある。俺からしてみれば部屋を出ることの方が苦痛だ。どうしてそんなに出かけたいのか理解できない。


 学生の頃はまったく堪え難かった。朝早くに起きては食べたくもない食事を胃に入れ、駆け足で校舎に向かわねばならなかった。それでいてクラスメイトは一様に早く帰りたいと口にし、教師でさえ、職員室で同様の愚痴を仲間内で溢し合うのだ。なんとも不毛である。大学に上がればまだマシかなと思ったがそんな事もなく、やはり同様に帰りたいの合唱である。もっとも、二十を超えると酒やギャンブルに傾倒し風紀の悪い路地を行ったり来たりするようになるのだが、いずれにしたってろくでもない限りで、受けたくもない講義に出席するのと変わらない。部屋の外で生活するという時点で、俺にとっては論外である。


 テレビを点けると、頭の悪そうなアナウンサーやコメンテーターが「おうち時間」「新しい生活様式」「不要不急の外出控えて」などと口を揃えている。俺は長くそんな生活を続けているのだが、一般的にそれは異常であり、忍ぶべき事態らしい。中には「部屋に引きこもっていては健全な精神が病み人類は暗黒の病に陥る」などと荒唐無稽な抽象詩を得意げに披露する中年の学者もいた。馬鹿馬鹿しいなと思った。


 どうして皆は部屋で満足できないのだろう。生きるにあたって外に出る事がそんなに大事か。満員電車に揺られ、騒音の中で食事をし、ゲロだらけの繁華街で飲み歩く事がいったいどうして楽しいのだろうか。一人で不味いコーヒーを飲む時間を、静寂の中で仕事を仕上げる喜びを、閉ざされた部屋で生きていく安楽を、どうして否定するのか。群れて飛び回っていたところで、どうせ馬鹿話をして終わるだけだ。部屋で本でも読んでいた方が余程建設的である。それが分からないから、「自粛は辛い」などという間抜けな感情が湧くのだろうが。


 


 定時。

 PCの電源を落とし業務を終了する。今日もよく働いた。労働は尊く、活力をくれる。また明日も、この狭いワンルームで今日と同じ時間が繰り返される事だろう。何も変わらない、変化などしようのない空間。存在するのは俺だけであり、俺のみが自由にできる空間。他者の干渉がない、月4万の安普請。それでいい。それがいい。人の身など起きて半畳寝て一畳。人間一人に地球は大き過ぎる。身の丈にあった生き方をするのが一番ではないか。どうせ死ぬ時は一人で棺桶だ。それを考えれば、一家、一室とて、過分に広く、また、過分に騒々しい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

孤独の城 白川津 中々 @taka1212384

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説