ケーキ

尾八原ジュージ

ケーキ

 三年前から、金曜の夜はケーキを買って帰ると決めている。

 最寄り駅の洋菓子店に寄って、私の好きなフルーツタルトと圭介の分のレアチーズケーキをひとつずつ、白い紙の箱に入れてもらう。

 途中でスーパーに寄って、卵と六枚切りの食パンをカゴに入れる。ケーキを早く持って帰りたいから、早々に買い物を済ませて家に帰る。

「ただいまぁ」

 2LDKのマンション。返事はない。私はキッチンにあるひとつめの冷蔵庫に卵を入れ、ワゴンの上に食パンを載せる。

 リビングの隣は寝室で、そこにふたつめの冷蔵庫がある。私はまず上の扉を開けてケーキの箱を入れ、それから下の冷凍庫を開けて中身を確認する。

 そして私と圭介、ふたり分の夕食を作り始める。


「いただきます」

 出来上がった食事をテーブルに並べて、わざとらしいくらい大きな挨拶をする。圭介がいたら「小学生みたい」と笑うかもしれない。

 向かいの席は空っぽで、スープの器から湯気がむなしく上っている。私は静かに食事を済ませ、圭介の分の料理はもったいないけど捨ててしまう。これは圭介の分だからと思うと、どうしても食べる気にならない。

 今日はケーキを買ってきたのだから、少し高かったドリップコーヒーを淹れる。あまりに静かすぎる気がしてテレビを点け、やっぱり賑やかすぎる気がしてすぐに消す。

 コーヒーの入ったマグカップを二つ持って、寝室に入る。ベッドの横に置いた小さなテーブルに置き、冷蔵庫からケーキの入った箱を出す。

「ごめん。お皿とフォーク、持ってくるの忘れてた」

 誰にともなくそう言うと、私はキッチンに戻る。


◇ ◇ ◇


 ちょうど三年前、私は圭介とふたりでこのマンションに引っ越してきた。

 入籍のためにお互い平日に休みをとって市役所に行った。その帰りにケーキを買って帰る途中、前方から来るトラックが急に中央線に寄ったなと思ったら、ものすごい音と衝撃が来て少しの間何もわからなくなった。

 もう一度目を開けると、運転席が滅茶苦茶になっていた。車の部品なのかトラックの一部なのかわからない金属片の間から、さっきまでシフトレバーを握っていた圭介の左手がはみ出していた。お揃いの結婚指輪をはめていた。

 私は夢中でその手を引っ張った。何とも言えない厭な感触がして抵抗がなくなり、私は両手に千切れた彼の左手首だけを握っていた。

 遠くからサイレンの音が近づいてきた。どうしよう、と迷った私の目に、足元に転がっているケーキ屋の箱が飛び込んできた。とっさに自分のカーディガンで手首を巻き、箱に入れて隠した。後で考えるとおかしな行動だったけど、そのときはほかにどうしようもないと思ったのだ。

 救急車に乗せられても診察室に入っても、私はずっと膝の上にその箱を抱えていた。自分の診察なのにまるで他人事のようで、案外箱から血が漏れたりしないもんだな、などと考えていたら、見かねた看護師さんが「それ、冷蔵庫に入れておきましょうか?」と言ってくれた。その声音が、今でも耳の奥に残っている。


◇ ◇ ◇


 もったいないなと思いながら、レアチーズケーキを捨てる。圭介の分だと思うと、やっぱりどうしても食べる気にならない。

 寝室に戻ると、湯気の消えたマグカップがテーブルの上に並んでいる。私はふたつめの冷蔵庫の前に跪き、冷凍室を開ける。

 きちんと洗ってラップでぐるぐるに巻いた圭介の左手首が、三年前からそこに入っている。冷たい掌に触れながら、私は「週末どうしよっか」と尋ねてみる。

「映画でも観に行く? それか買い物かな。でもやっぱり今週もおうちで過ごそうか」

 だってここにしか圭介はいられないんだから、と言いかける私の両目に涙がせり上がってくる。

 私は冷凍室を閉じて両手で顔を覆い、冷蔵庫のドアに寄りかかって、失った時間を想いながら涙が出なくなるまで泣く。

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ケーキ 尾八原ジュージ @zi-yon

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