見えない裁縫

ちかえ

見えない裁縫

 隣の部屋からミシンの音が聞こえる。さっきはハサミの音が聞こえていた。私はそれを聞きたくなくて耳を塞いだ。


 この音は毎日聞こえる。正確には、感染症の影響で緊急事態宣言が出てから毎日だが、苦痛なのは変わりない。


 だってミシンを踏んでいるのはのだ。


 音が気になって部屋を覗いた時に見てしまったのだ。ミシンがひとりでに動き、タンスに仕舞ってあったはずの晒し木綿の布を縫っているのを。おまけに何故か裁縫道具まで外に出ていた。


 一度、夫に訴えてみたが、『気のせいだろう』と取り合ってもらえなかった。夫の仕事はテレワークではないし、幽霊は何故か昼間にしか活動しないので現場を見てもらえないのだ。

 だから私はこの恐怖と一人で戦わなければならない。


 最近は、あまりに怖すぎて、音が聞こえない時もその部屋に入れなくなってしまった。本来ならあそこは私の部屋なのに。


 気を紛らわせるためにテレビをつけてみる。とは言っても最近は感染症の話ばかりであまり面白くはない。

 やはりテレビに映っているタレントさんが話しているのは感染症関連だった。とは言っても病気が怖いという話でない。家にいる時間を使って楽しもうという特集だった。画面には『おうち時間を満喫する方法』という言葉が出ている。


「おうち時間ねえ……」


 それについては私も考えていた。いろいろな事が出来るのではないかと少しだけワクワクしていたのだ。


 なのに蓋を開けてみたらこれだ。


 外に出られないなら何か作ってみようと考えて手芸屋さんで買った綺麗な布もカラフルな糸も勝手に使われているのだろう。それも幽霊なんかに。


 何で幽霊がステイホームを満喫しているんだろうと悪態をつきたくなる。幽霊に『おうち時間』なんて必要ないでしょ! 大体、幽霊は感染症にはかからない。


 でも文句を言う事は出来ない。幽霊の怒りを買って祟られてしまうのは嫌だ。


 かといってこの時期に外に気晴らしに出るわけもいかない。私が感染症にかかるわけにはいかないのだ。そんな事になったら後悔するだけではすまない。


 ため息を吐く。どうしてこんな事になったのだろう。テレビを見る気にもなれないので電源を切った。


 そこでミシンの音が止んでいるのに気がつく。いつの間に止んだのだろう。恐怖ばかりに集中していて気がつかなかった。

 ほっと息を吐く。これでしばらくは音は聞こえないはずだ。きっと幽霊も休憩をしているのだ。いつもそうだから今日も同じだろう。少しだけ安心する。あの音をずっと聞いているのは耐えられないのだ。


 それにしても幽霊は毎日毎日何を縫っているのだろう。まだ縫い物は隣の部屋にあるだろうか。

 そう思うと気になって仕方がなくなってしまう。でも、幽霊がやっている事を勝手に暴いたら怒りを買うだろうか。


 でも、ここは私の家だ。不法侵入しているのはその幽霊の方だ。


 自分の家の中を把握するのは悪い事ではない。そう言い聞かせる。


 そっと音を立てないように気をつけながらドアを開き、廊下を進む。これでは私の方が盗人のようだ。でも、さっきまで幽霊がいた部屋なんて不気味すぎる。


 例の部屋の扉に手をかける。大丈夫大丈夫音は止んでいるんだから。そう自分に言い聞かせた。

 心臓がうるさく鳴っているのが聞こえる。これは幽霊さんに聞こえてしまうのだろうか。


 ゆっくりドアを開ける。


「ひっ!」


 つい声をあげてしまう。


 目に映ったのは針が勝手に動き、黄色の糸で布に縁取りをしている姿だった。


 かたんと音が鳴る。どこで鳴ったのか分からない。


 布がゆっくりと床に落ちていくのが見えた。


***


「だから何かの見間違えだって」


 その夜、必死に夫に訴えたが返って来た返事は変わらなかった。


「どこをどう見間違えたら針が勝手に布を縫うっていうの!」


 思い切り言い返す。夫相手なら強気になれる。


「きっと寝ぼけてたんだよ」

「思い切り起きてましたけど?」


 どう言っても信じてもらえない。夫は私の訴えに困ったような表情をしてぽりぽりと頬をかいている。酷い。

 でも、逆の立場だったら同じ事を言っちゃうかもしれない。幽霊なんて非現実的なものだし。


「とにかく私の部屋をもう一回見てよ。見間違えじゃなかったらなくなってるものとかいろいろあると思うし……」


 しっかりと食い下がる。ここで引くわけにはいかない。こんな事が続いたら感染症にかからなくても、ノイローゼという病にかかってしまう。

 こんな事、もう耐えられない。


「こわい……」


 目から涙があふれて来た。口からそんな言葉が漏れる。


「わかった」


 やっと夫はそう言ってくれた。


 夫の後ろについて廊下を進む。


 やっぱりあの部屋に入るのは怖い。でも一人ではないからまだ安心出来る。


 私がこんなに緊張しているのに夫はさっさと歩いて行く。自分の家だから仕方がない。でもここは私の家でもあるのだ。本当に何でこうなったんだろう。

 夫はためらいなくドアを開ける。そうして『なんだこりゃ?』と声をあげる。


「どうしたの? 何か……」


 そう言いながら夫の影からそっと部屋を覗く。そこに見えた光景につい『え?』と言ってしまった。


 そこにあったのはたくさんの布だった。それぞれに細かい模様が縫われている。確かこれは『刺し子』というのだったか。よく分からないが、インターネットでちょっと見た事がある気がする。それらが綺麗に畳まれ何枚も積み重なっているのだ。


「何だこれ?」

「私が聞きたい」


 それにしてもいろいろな模様があるものだ。シンプルな波のようなものや丸の組み合わせ、有名なアニメのキャラが着ている着物の柄の模様もあった。


 一つ一つ見てみる。これを幽霊が縫っていたのだろうか。二枚の布を重ねて作ってあるのでそれをつなげるためにミシンを使ったのだろうか。


 夫が何かの紙を手にして固まっているのが見えた。おまけに『冗談じゃない』などとつぶやいている。どうしたんだろう。


 そっとその紙を見てみる。それは手紙だった。


 勝手に人の家の物をあさってしまった事と今日驚かしてしまった事を謝罪し、この家で上質な良い布を見つけたのでつい楽しく作ってしまった事。おわびとしてこれらの『ふきん』は差し上げるのでよかったら娘の嫁入り道具に加えて欲しい、と書いてあった。


「娘の嫁入り道具……?」

「冗談じゃない。うちの子は嫁になんか出さないからな!」


 夫が何か言っている。


 幽霊が作ったものを自分の子どもに渡せるだろうかとか、いい布なら他の家にもあるだろうに、どうしてよりによって私の家なのだ、とか気になる事はたくさんある。


 それにしてもこの幽霊さんは気がはやすぎる。


「……まだ十六年以上先の話ですよ?」


 自分の大きなお腹を見ながら私は誰にでもなくそうつぶやいた。

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見えない裁縫 ちかえ @ChikaeK

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