理不尽な一人双六

葵月詞菜

第1話 理不尽な一人双六

 さて、今日は何をしようか。

 弥鷹みたかはすっかり山がなくなってしまった積読スペースを虚しく見つめ、腕を組んだ。

 不要不急の外出を控えるようにとのお達しが出て久しい。家で過ごす時間が増えた初めの方はやれぐうたらできる、やれ朝早くに起きなくても良いとまるで長期休みに突入したかのような気楽さでいた。

 だがそれも一月もすればうんざりとしてくるものだ。全く不思議なことだが、外に出るなと言われる程外に出たくなるし、行くのが面倒くさいと思ってしまう高校にだって行きたくなってしまう。率直に言うと、誰かに直接会って話したくなるのだ。それも家族以外の他人と。

(そういえばサクラは何をしているんだろう)

 ふと小学生の姿をした不思議な少年を思い出す。訳あって知り合った、近所の私設図書館を所有する家の子どもだ。サクラは普段、その図書館の地下書庫にある作業部屋にいて、馴染みになった弥鷹が遊びに行くと歓迎してくれた。

 ただし、この図書館は少しばかり変わっていて、どうやら普通の人間だけが利用しているわけではないらしい。弥鷹も以前、どう考えても人間ではないだろうという不気味な存在を見たり、信じられないような現象を目の当たりにしたりした。

 そんな図書館に多少の恐れを抱きつつもサクラが気になって通い続けていた弥鷹だったが、さすがに暫くは訪れるのを控えていた。彼はこのおうち時間を退屈していないだろうか。元気でいるなら良いのだが。

「弥鷹。何か荷物が届いたよ」

 一緒に暮らしている祖母が小包を抱えて部屋に持って来てくれた。礼を言って受け取ると、A4サイズのファイルがすっぽり入るくらいの厚みのある包みだった。宛先は弥鷹宛になっているが、差出人の名前は無い。

 弥鷹が意を決して封を開けようとした時、スマホが着信音を奏でた。思わずビクリと肩を揺らして、テーブルの上からスマホを引き寄せた。メッセージのやり取りと通話ができるアプリを通してかかってきている。表示名は「sakura」。

「……サクラ?」

 ハッとして通話ボタンをタップすると、

『あ、もしもーし。弥鷹君、通じてるー?』

 久しぶりに聞く、まだ声変わりしていない少年の声が耳を通り抜けた。

「サクラか?」

『うん、僕だよ。お元気?』

「お元気? じゃねーよ。いや、元気だけどな。それよりお前、一体どうしたんだ」

 今まで彼がスマホやタブレットなどの通信機器を持っていたのを見たことがない。弥鷹に用があって連絡する時は常に家の固定電話からかけてきていた。

『そろそろ届く頃かなーって思って』

 サクラの謎の言葉に首を傾げつつ、思わず手にしたままの謎の小包に視線を落とした。まさか。

「この小包はお前かサクラ」

『そう! 届いてたんなら良かった。開けてくれた?』

「送り主が明記されてないから怖くて開けられなかったんだけど」

『ああ送り主は僕だから大丈夫大丈夫。早く開けて開けて!』

 弥鷹の心配など全くスルーして、サクラはわくわくした声で電話越しに急かす。声を聞く限り彼も特に問題なく元気なようだ。

 弥鷹は仕方なくスマホを一旦テーブルの上に置き、紙袋の封を切った。中から出てきたのは一冊の本だった。

「本が入ってた」

『驚くのはこれからだよ! さあページを捲って!』

 その本の表紙には題名も何も記載されておらず、ただ無地の綺麗な臙脂色だった。しっかりとした表紙を捲ると、何度も折り畳まれた紙が現れた。一枚だけが本とひっついていて、どうやら開いて大きな一枚になる仕様らしい。

『開いて開いて!』

 スピーカーから聞こえるサクラの声に応えるように紙を開いていくと、紙いっぱいに描かれた双六が目に飛び込んできた。左上から始まって、反時計回りにぐるりと一周半程して真ん中がゴールとなっている。

「双六……」

『僕が作ったんだよ! すごいでしょ!』

「は?」

 まさかの送り主本人の作か。弥鷹は改めてしみじみと双六のコマを眺めた。

「……なあ、この双六……」

『はい、では今からやってみよう!』

「はあ!? 俺一人で!?」

『わざわざ弥鷹君が一人でできるように作ったんだから』

 わざわざこんなものを作らなくても良かったのにと思ったものの、そう言うには申し訳ないくらいの力作だった。コマ割りにイラスト、文字と全てが手書きで、しかも色鉛筆のフルカラーである。ここで辞退してはさすがのサクラも泣くかもしれない――いや、恨み言と嫌味をぶつぶつと聞き続けるはめになるのが目に見えていた。

「分かったよ。左上がスタートだな」

『そう。サイコロとコマも袋に入れといたからね!』

 紙袋を覗き込むと、先程は気付かなかったが小さなサイコロと人形が入っていた。人形は黒髪の男の子を模していて、恐らくこれもサクラの手作りだろう。

『かわいいでしょ? 我ながら弥鷹君そっくりにできたと思うんだ』

 この人形は自分だったのか。弥鷹は眉間に僅かに皺を寄せつつ、スマホには明るい声で相槌を打っておいた。

『止まったマスに書いてあることを僕に教えてね』

「了解。じゃあ行くぞ」

 サイコロを振る。出た目は六。幸先が良い。

『ええー、もう一気に六個も進んじゃうの!? もっとゆっくり楽しみながら進んでよ!』

「いや知らねーよ」

 文句を言われても困る。

『あーあ、一から三くらいまでのサイコロにすれば良かったかなあ』

 そんな特別仕様はいらない。弥鷹は聞かなかったことにして人形を六マス進めた。

「『僕の今日の朝ごはんは何でしょう?』」

『おおっと、サービス問題だね! 完璧に当てられたらさらに六マス進めるよ』

「どこがだ! てか何なんだこの問題!」

 サクラの朝食など何でも良い。わざわざ双六のマスに書き込むほどのお題か。

『ほら、早く早く、あと三十秒』

「じゃあ……パン」

『パン? それだけ?』

「パン、とヨーグルト……」

 無理やり、適当に絞り出して答える。

『ブッブー! 正解は兄さん特製の蜂蜜たっぷりのパンケーキでした』

「知るかよ!」

 六マスのボーナスは消える。だがこの双六のプレイヤーは弥鷹しかいないわけで、すぐに二回目のサイコロを振ることになる。家族がこの姿を見たら思わずそっと扉を閉めて見守る態勢に入ることだろう。少し心配されるかもしれない。

「『僕が最近ハマっているキャラクターは?』……ヒント」

『一、カビ丸。二、焼き鳥丸。三、モップ丸』

「何のキャラなんだそれ? じゃあ焼き鳥丸で」

『残念! 焼き鳥丸はこの前ブームが終わって、今はカビ丸』

「……あっそう」

 心底どうでも良い。だが地味にキャラは気になる。後で検索してみようとこっそり思う。

 その後も、何だかんだとサクラ個人の生活や趣味に関してのマニアックな問答が続いた。言うまでもなく、弥鷹が正解できたマスは一つもなかった。

「……やっと、あと4マスでゴール……」

 かれこれ一時間くらいは経つだろうか。気付けばスマホの充電も切れそうになっていて、途中から充電に繋いで通話せざるを得なかった。

『やったね! 四以上出せばゴールだ!』

 頼む、と切実に願いながらサイコロを振る。出た目は五。

「よっしゃー! ゴール!!」

 思わず嬉しさのあまり声を出してしまった。本心から嬉しい。これでやっと解放される。

『おめでとう弥鷹君! じゃあ最後のマスのお題だね』

「え?」

 まだあるのか。もうゴールのはずでは。

 信じられないような気持ちでゴールのマスを見ると、残念なことにそこにも文章が書きこまれていた。

『弥鷹君が今一番食べたいものは?』

 電話の向こうでサクラが読み上げる。最後は弥鷹に関する問いだった。

「俺? そうだなあ……甘いもの……ゼリーとか食べたい」

『オッケー』

 サクラが気軽に応じたかと思ったやいなや、ゴールのマス目がぷっくりとふくらみ始めた。人形を押しのけて、紙自体が何かに突き上げられるように縦に膨らんでいく。ついにビリっと音を立てて紙が破けた。そこから出てきたのは、よくみるフルーツのカップゼリーだった。

『弥鷹君が好きなミックスだよ。スプーンは自分で用意してね』

 目の前のゼリーを見て呆然とする弥鷹に、サクラが笑いながら「お疲れ様!」と労った。


 サクラと出会ってから色々と不思議なことを目にするようになった。そろそろ耐性がついても良いのではと思うが、そう簡単に順応できる程自分は単純ではないらしい。

 弥鷹はテーブルの上に放りっぱなしにしていた双六が収められた臙脂色の本を見つめた。ゼリーを食べ終わる頃には破れたはずの双六の紙はすっかり元通りで、今は綺麗に畳み直されていた。一体どんな魔法なのか見当もつかない。サクラも教えてくれなかった。

「またけったいなもん送ってきたよなあ」

 呆れたふうに再び表紙を捲ってみて、目を見開いた。

「あれ? 本だ……」

 そこには折り畳まれた双六はなく、文章がみっちり書かれた何百ものページが綴られていた。

「ホント、意味わっかんねえ」

 ふと、題名の書かれたすぐ下の挿絵に目を留める。 

 そこには、小さなサイコロと黒髪の人形そっくりの挿絵が描かれていたのだった。


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理不尽な一人双六 葵月詞菜 @kotosa3

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