第9話 いい香りがしてきたね
私は葉ちゃんをじっと見た。
「……今は違うの?」
葉ちゃんはにこっと笑う。
「違うよ。自分の好きなことをとことん突き詰める勉強はとても好き」
「葉ちゃん、学校に通っているの?」
私は葉ちゃんの言葉から「学校に行っている」と推察したのだが、葉ちゃんはそれが面白かったのか笑い出し、そして否定した。
「はははっ! 違うよ、英里! 勉強は学校に行かない大人でもするんだよ。成人するまでやっている勉強は社会に出るまでの基礎の基礎をやってんの。仕事をするようになったら、その仕事について勉強していくんだよ」
私は葉ちゃんに笑われたので、少しむっとして口答えのようなことを言った。
「葉ちゃんが言っている勉強のことが何なのかは分かったし、仕事の勉強だったら、その仕事の役に立つのは分かるよ。だけど、学校でやっている勉強ってなんの役にも立たないじゃん。それなのに勉強する必要あるの?」
葉ちゃんは「そうだなぁ」と言って、私の口答えも気にせずに言葉を選びながら答えてくれる。
「大人になってから使う機会も確かにないけどね。高校の数学に出てくる微積とか何に使われるのか未だによく分からないし」
難しい言葉に、私は眉を寄せる。
「び、びせき?」
「英里も高校に行けば習うよ」
「えー……。なんか難しそう……」
「数学の先生が言うには、地震の計測に使用されているとかいないとか」
「私、別に地震の研究をする人になるつもりないけど」
「それは大人になってみないとわからないけどさ、そういう勉強って考え方とかを身に付けているんだよ」
「考え方?」
「とか、脳の使い方とかね。大人になって仕事をすることになったら、やり方とか覚えなくちゃいけない。その身に付け方を私たちは学校で学ぶんだって思ったら、少しは意味を見いだせるんじゃないかな。もちろん、学校で習ったことが身近にあることに気が付いたとき、『面白い』って思える瞬間も沢山あるけどね」
「えー……嘘だぁ」
「本当だって」
「……そうなるといいけど」
言われていることは分かるような気がするが、納得できるかと言われたらそうではない。私は苦いものを無理矢理飲み込むような顔をする。すると葉ちゃんが優しく私を呼んだ。
「英里」
「なに?」
「私にはあなたが頑張っているのが分かる。だから、一人だなんて思わないでね」
その言葉に、私は思わず目を見開いた。
「え?」
何? 急に? どうしてそんなこと言うの?
私は心の中でそんなことを思う。すると葉ちゃんは見透かすように言った。
「今、辛いでしょう?」
辛い。
そう……。辛い。だから葉ちゃんのところに逃げて来たんだ。
私は頷いた。
「……うん」
「誰も自分のこと分かってくれないって思っているんじゃないかなって思ったんだけど、どう?」
その問いに、本音を言っていいのか少し戸惑いながらも答えた。
「思ってる……お母さんもお父さんも結果ばっかり気にする。『何で成績あがらないんだ』『塾にも通わせてやっているのに』って責めるんだもん」
「まぁ、それは親心だろうけど英里には分かんないよなぁ」
「わかんないよ」
私は少し強い口調で言った。お母さんたちは、何も分かっていない。だから私を責められるのだ。
「いい結果って、努力したから必ず出てくるわけじゃないんだよ。天才でも秀才と言われる人でも、いい結果を出すために沢山失敗してきている。それは色々な人の証言からも分かっている」
「そんなこと知ってるよ。学校の先生もいっつも言うもん。でも、その人たちはちゃんと立派な功績を収めているじゃん。だから、過去に失敗が沢山あっても『すごい』って思われる」
私は反論したが、葉ちゃんはちゃんと聞いてくれて、「うん、うん」と頷きながら、叔母なりの考えを教えてくれた。
「私が言いたいのはね。誰が何と言おうと、自分が頑張っているなら、堂々としていればいいってこと。褒めてあげていいってこと。自分を責めないで。懸命にやっていても、上手くいかないことなんか沢山あるんだよ。自分以外の人は努力したところなんて見ないんだ。そこは彼らにとって価値がないから。価値があるのは結果だから、結果が出た人たちのことは褒め称えるし、その努力の経過を見習おうとする。私たちは少しでも成功体験を元に、失敗しないような生き方をしようとしているんだ」
「……」
「だけどね、私たちは一人ひとり違うんだよ。親子でも違う。兄弟でも違う。それはつまり努力の仕方も人によって違うってことなんだ。だから、自分に合う努力の仕方を早くに見つけられた人はどんどん先へ行くように見えるよね。でも、英里がしている努力は英里にとって価値のあるものなんだ。結果が出なくたって、あなたは自分の努力が合っているか、合っていないか判断することができる。これをクリアすることが出来たとき、本当に意味のある勉強をしたと、私は言えるね」
「……そうなのかな」
私がおずおずと葉ちゃんを見ると、彼女はにこっと笑って頷く。
「分からなくても、自分が頑張っているなら褒めてあげなよ。それって、とっても大切なことだから」
「……やってみる」
葉ちゃんとの会話が一区切りしたとき、ちょうど甘い香りがリビングに広がって来た。
「おっ、いい香りがしてきたね」
そう言って、彼女が立ち上がってキッチンの方へ向かったので、私も付いて行った見ることにした。
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