第7話 意外

「私も中学生の受験シーズンに、英里と同じように家を飛び出したいって思ったことがあったんだよ」


「そうなの……?」


 私が驚いた顔をして聞き返すと、葉ちゃんは、うん、と頷く。


「それもね、『飛び出したい』くらいだからね。本当にどっか遠くに行ってみたいくらい。でも、気持ちはそう思っていても行動には移せなかった」


「どうして?」


「勇気がなかったから。もし家出をして本当に親に見放されたとき、私には頼る場所がなかったんだよ。親戚の人たちは遠くに住んでいる上に、それほど繋がりがあったわけじゃなかったし、学校の先生も好きじゃなかった。頼ってもいいような友達もいなくて、私は孤独だった」


 叔母の告白に、私は目をぱちくりさせた。

 明るくて、社交的な彼女にそんな過去があったなんて想像しなかったのである。


「……意外」


 私が一言呟くと、彼女はちょっと眉を上げてみせた。


「そう?」

「私が知っている葉ちゃんは、そんな人には見えない。色々な人と仲良さそうだし、繋がりもありそうなのに……」


 すると叔母はテーブルに左ひじを付いて、そこに頬をのせると、視線を遠くの方へ向ける。


「私も成長したんだよ。中学生の頃の私は、不器用なのに正義感ばっかり強くてさ。クラスメイトがやらかした悪いことは何でも先生に告げ口しちゃうし、友達にも思ったことを正直に言っちゃってね。当然友達受けが悪かった」

「……そうなんだ」


 それはまるで自分を見ているかのようだった。

 私も、葉ちゃんのように正義感を振りかざしてしまうところがある。そのせいなのだろうか。友達と少し距離があると感じてしまうのは。


「英里のお母さんはね、何でもそつなくこなしちゃう人なんだよ。頭はいいし、スポーツもそれなりに出来る。話も上手でね。出しゃばらず、でも自分の意見もちゃんと言える。妹の私が言うのもなんだけど、顔立ちも鼻がすうっと通っていて美人なんだよね。普通のサラリーマンの家の子なのに、ちょっと家柄の良いところの品の良いお嬢さんみたいだった。性格も態度も良かったからかなぁ、とは思うんだけど、先生からもクラスメイトからも、そして後輩からも好かれてたよ」


 母はあまり自分のことを語らない。そのため私が母の過去を知ったのははじめてのことだ。まさか、そんなに人に好かれてる人だったとは。家ではあまり話さないし、友達と会っているところも見たことがないから知らなかった。


「お母さんってそんなにすごかったの?」

「すごかった。妹として誇りに思っていたよ」

「……」


「だけど受験を迎えるようになったら、もう憎らしくて仕方なかったなぁ」


 その時、キッチンの方から「ウィーン!」という激しい機械音が鳴った。私がびっくりしてそちらに視線を向けたので、葉ちゃんは「ハンドミキサーだよ」と言った。


「ホットケーキにハンドミキサーって使うの? 泡だて器で出来るんじゃあ……?」

「まぁ、まぁ。気にしないで任せておきなさいよ」

「でも、大変じゃない?」

「友君がしたいっていったんだから、英里は気にしなくていいんだよ」

「……いいのかな?」

「いいの。大丈夫」

「葉ちゃんが、そういうなら……」


 そういうと、叔母は私の頭を優しく撫でる。


「英里は友君のことを考えてくれたんだね。優しい子だなぁ」


 そう言われて私の体が、かぁっと、熱くなった。私のことをそんな風に言ってくれる人はいない。


 今は皆「頑張れ」ってしか言わない。頑張っているのに、追い討ちをかけるようにまた「頑張れ」と言う。


 私、頑張ってるのに、それでもまだ頑張れって言う。


 そして誰も私の「頑張っている姿」は見ようとしてくれていない。皆が見ているのは、私の「結果」だけ。


 だから私も頑張るしかなくて、頑張っていたけれど疲れてしまった。結果が出ない子を応援する人は少なくなってくる。皆は、結果だけを求めている。


 だけど、葉ちゃんは頑張る以外の私を見つけてくれた。私が優しいってことを見つけてくれた。私は「頑張るだけの自分」しか見えていなくて、他の私が姿を消していた。でも、私の中には「頑張る」以外の私もいる。それに気づいてくれたことが嬉しくて、私はそれを思い出すことが出来たことにほっとした。


「あれ、私はどこまで話したっけ?」

「えっと……葉ちゃんが受験を迎えたときの話」

「そうだったね」


 彼女は一口紅茶を飲んでから、続きを話し始めた。

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