第4話 今日は何をするのかな?

♢♦♢


「さて、今日は何をするのかな?」


 葉ちゃんが聞いたので、私はテーブルの上に置いてあったホットケーキミックスの袋を手に取り、スタンドに立ててあったスマホのカメラへ近づける。


「これ。作ろうと思って」

「ホットケーキ!」


 葉ちゃんが嬉々とした声を上げる。


「英里がとも君の真似をして、去年も作ったやつだ」

「うん。友彦ともひこさん特製のホットケーキを今回も再現しようかなぁって。本当は食べに行きたいんだけど、そうもいかないから」


 友彦さんは葉ちゃんの旦那さんだ。背が高くて、眼鏡をかけていて、おっとりとした人。その人があの日、私にホットケーキを作ってくれた。


「分かってるよ」


 にこにこ笑いながら見ている叔母に、私は申し訳なさそうに言った。


「本音を言うとね、作ったホットケーキを葉ちゃんに食べてもらいたいんだけど……それはまた今度ね。だから今日は、上達したところを見ていてくれる?」

「もちろん。去年からどれくらい成長したかみようじゃないの」

「うん」


 ホットケーキは、誰もが簡単に作れるお菓子だ。

 スーパーで売っているホットケーキの粉を買ってきて、卵と牛乳さえ準備すれば、あとは混ぜて焼くだけ。


 しかし、その出来栄えというのは本当に人それぞれに違う。生地に膨らみを持たせるために、卵白をメレンゲにしてから入れる人。ケーキを何段にも重ねたいので、小さく薄く焼く人。


 そして焼き上がったものに生クリームや、果物くだもの、メイプルシロップなどをかければ、その人特製のホットケーキが出来上がるのだ。


 友彦さんのホットケーキは、大きめのフライパンを使い、それいっぱいに生地を入れて焼く。それは大胆なようでいて、繊細。ひっくり返すタイミングを誤れば、半生はんなまの状態になってしまうし、やりすぎれば表面が焦げる。ひっくり返すときも重さがあって大変だ。それにフライパンと同じ大きさに焼いているので綺麗に返すのは中々に難しい。


 しかし私にとって、このホットケーキが今まで食べた中で一番おいしくて、そして特別なのだ。


「それじゃあ、作りまーす」


 私は開始宣言をして、ホットケーキの粉が入った袋を、チョキン、とハサミで開けた。


♢♦♢


「英里⁉」



 午後八時ごろ、叔母の家にようやくついた。彼女の家は一軒家で、和風の造りをしている。母に聞いた話によると、昭和後期に作られた家を中古で購入したらしい。


 インターフォンを鳴らすと、葉ちゃんが玄関の戸を開けてくれたが、私だと知ってすごく驚いていた。


「どうしたの、こんな時間に⁉ あやちゃんは⁉」


 英ちゃんこと、英子あやこは私の母のことである。私はその当たり前の質問に、ぽつりと答えた。


「……私、一人」


 この瞬間、葉ちゃんは何かを察したようで「とりあえず、中に入ろう。寒かったでしょう」と言ってくれた。私はほっとして、叔母が開けてくれた戸をすり抜けるように家に入る。


 玄関から入ってすぐ右手にはリノベーションをした広いリビングがあり、今風いまふうのダイニングキッチン付になっているのだが、その部屋を覗いたら、こたつに入った友彦さんがテレビを見ていたところだった。テレビが、部屋の出入り口側にあるので、彼の視線は自然と私の方に向けられる。ちょっと驚いているようだっが、彼は私に何かを尋ねることもせず、柔らかい声で「こんばんは」と言ってくれた。


「こんばんは……」


 今では私も友彦さんのことを良く知っているけれど、当時は葉ちゃんとの結婚生活二年目だったので、部屋に彼の姿を見つけたときは少し気まずかった。


 私は無意識に友彦さんと距離を作ろうとして、コートやマフラーを脱いでリビングの出入り口に突っ立っていたが、彼はその様子を見て優しく声をかけてくれる。

「こっちに来たらどうかな? こたつの中温かいよ」


「……」


 この人はこんな時間に来たことを怒らないのだろうか。

 私は警戒しながらも、こたつの誘惑に惹かれておずおずとそちらへ向かおうとしたときである。葉ちゃんに腕を掴まれた。


「英里、ちょい待ち」

「……何?」

あやちゃんにはここに来ること、言ってあるの?」


 その問いに、私は俯き首を横に振った。


「そしたら心配しているでしょう?」

「……」

「英里がここにいるつもりなら、あやちゃんに連絡する」

「それは……!」


 止めて欲しい。そう思って顔を上げたら、葉ちゃんの表情が珍しく曇っていた。それが私の胸にツンと突き刺さる。


「何があったか知らないけど、家にいたくなくてここに来たんでしょ?」


 尋ねられて、私は小さく頷いた。


「その理由をあやちゃん……お母さんに言いたくない気持ちは分かる。分かるよ。家にいたくないくらいだもん。だけど、あやちゃんが心配していることも私には分かるの。だから黙っていることは出来ない」

「……」

「英里がここにいるならあやちゃんに連絡する。それが条件。いい?」


 私の胸の内で色々な感情がぜになる。


 母が心配している。分かっている。帰らなくちゃいけない。分かっている。でも、帰りたくない。怒られたくない。勉強したくない。でも、勉強しなくちゃいけない。やらないといけないことは分かっている。でも、したくない。



 したくないから、家にいたくない。だからここにいたい。ここにいるには、母に連絡する。母は心配している。分かっている……。分かっている……。


「……」 


 葉ちゃんに諭され、私の中の気持ちが少しだけ整理される。母に言わなくちゃいけないことは分かるので、渋々ながらも頷く。


 すると彼女はにこっと笑い、私の頭を優しく撫でるときゅっと抱きしめた。


「よし。それじゃあ、ここでゆっくりしていきな」


 叔母の柔らかな温かさとその言葉を聞いたとき、目がじーんと熱くなって、じわぁっと涙が溢れてきた。

 どこにも居場所がないと思っていたのに、それが見つかったときのような安堵。気づいたら私は、叔母にしがみつき大粒の涙を流して泣いていた。

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