楽しき側室暮し

高麗楼*鶏林書笈

第1話

 爽やかな日差しのもと、山道を行く主従の姿があった。

 主人は華奢な若者、従者も同年代でほっそりとした体つきをしていた。

「おじょう‥いえ、若さま、お疲れではありませんか」

「大丈夫よ、お前は疲れたみたいね」

「はい、もう、くたくたです」

 疲れ果てたような口調の従者の言葉を聞いた主人は、前方を示しながら

「あの木の下で少し休もう」

と言いながら歩みを速めた。従者はあたふたと付いて行った。

 木の下に辿り着くと、まず主人は幹に寄り掛かって座った。従者は主人の斜め前に向かい合って座ると荷物の中から水筒を出して主人に手渡した。

「お嬢さま、お水です」

「ありがと」

 主人が飲むのを確認すると従者も「私もいただきます」と自身の分の水筒を取り出し一口飲んだ。

「ねえ、来てよかったでしょう。絵や詩を通じてこの山の美しさを既に知っていたけど、これほどだとは思わなかった」

 目の前に聳える山を眺めながら主人が言うと従者は「本当に」と同意した。


 男装をしたお嬢さまは都に暮らす長者の娘だった。従者も彼女付の侍女だった。

 この国で女性、特に良家の娘は外出することを忌避されていた。なのに二人は男装までして旅に出たのである。何故だろうか。

 ひと月前、娘のもとに縁談が来た。とある判官が側室に迎えたいというのである。庭で鞦韆に乗っていた娘の姿を一目見て気に入ったそうである。

 非士大夫家の娘が判官と一緒になれるのは、たとえ側室といえども幸運といえるだろう。両親はこの話を進めた。

 後日、このことを知らされた娘は特に嘆いたり腹を立てることなく、この婚姻を受け入れた。この時代、男女を問わず結婚は当事者の意思とは関係なく親が決めるものだったからだ。ただ、一つ要望を出した。

「金剛山に行きたいのですが」

 この国で一番美しい山、金剛山の名前は唐の地まで知られるほどで、誰でも一度は行ってみたいと思う名勝地だった。

 両親は暫く考えたが

「いいだろう」

と許可を出した。

 娘は賢く活発な性格だった。そのため、本来ならば女性らしく室内に籠って手芸や手習をして日々を過ごすべきなのだが、天気の良い日には庭に出て鞦韆(ブランコ)に乗ったり、板跳びや射的をし、雨の日には室内で読書や詩文を作って過ごしていた。

“結婚”したら、もうこうした生活は出来ないだろう、そう思うと気の毒に感じて両親は遊山の旅を認めたのだった。幸い、昨今は治安がよく女旅でも大丈夫だろうと判断した。もちろん、密かに護衛を付けるのも忘れなかった。


「そろそろ出掛けようか」

と主人が立ち上がろうとした時、下手から声がした。

「君たちも金剛山見物に来たのか」

 従者を従えた士人だった。娘たちのもとに来ると、

「旅は道連れというではないか。どうだ、一緒に行かないか」

 端正な顔立ちの士人を見て

“悪い人ではなさそうだわ”

と思った娘は

「はい、そうしましょう」

と応じた。

 こうして四人となった一行は山道を進んで行った。

「唐土の詩人は“願生高麗國、一見金剛山”と言ったそうだけど、私たちこの地に生まれ、こうしてこの山を見られる、有難いことだと思わないか」

「ええ、本当に」

娘と士人はすぐに意気投合して、道中、詩の応酬をしたり、書物や様々なことを語り合った。

 家族以外とこのように親しく過ごしたことがなかった娘にとって、青年との交流はとても新鮮で楽しいものだった。

 万物相、古寺跡等々の名所を巡り終えて旅も終わりに近付いた。

 娘は青年と別れなくてはならないと思うと寂しく悲しくなった。だが、どうにも出来ないことだった。

 一行は遂に都に着いた。

「この旅はとても楽しかった。今度、又会おう」

 青年はこう言うと従者と共に娘主従から去って行った。

ーもう二度と会えないわ

 娘は内心でこう呟きながら家路に向かった。


 それから、暫くして娘と判官の婚礼が行われた。

 被り物の隙からそっと見た新郎の顔をどこかで見たような気がしたが、思い出せなかった。

 挙式後、娘は花嫁衣装のままで通された部屋で新郎を待った。まもなく部屋の戸が開いた。

「君の花嫁姿も可愛かったよ」

 聞き覚えのある声に娘は顔を上げた。

「若さま?!」

 共に旅した青年の姿があった。

「君を迎えに来たんだ。さあ行こう」

と娘の手を取ろうとした時、

「夫人、悪戯はここまでだ。“若君”が驚いているよ」

と新郎が微笑みながら室内に入って来た。

「あなたは…!」

 新郎は青年の従者だったのだ。

「実はね、君をこの屋敷に引き取りたいって言ったのは夫人なんだ。都で君の姿を見て一目ぼれして是非引き取りたいって言ったのだ」

新郎は笑顔で話し続ける。

「ただ、長者の娘を侍女として引き取りたいとは言い難いので側室という形にしたのだ」

娘は意外な話に言葉が出なかった。

「で、君が金剛山に行くという話が出た時、妻も一緒に行きたいと君たちの後を追ったのだ」

新郎がここまで言うと夫人が後を継いだ。

「私のことを嫌いか?」

「とんでもございません」

娘は即座に否定した。

「よかった」

夫人は大喜びした。


 側室といえども婚姻したら今までのような生活は出来ない、と娘は思っていた。

 でも現実は違っていた。夫人は娘のために庭に鞦韆を作り、射的や板跳びも出来るようにしてくれた。

 共に詩作や読書もし、食事もお茶時間も一緒だった。

 一日中、屋敷に籠っていても夫人となら退屈しなかった。

 判官もこうした妻妾の様子を暖かく見守るだけで何も言わない。

 娘は自分は運が良いのだろうと日々感謝するのだった。


 

 

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楽しき側室暮し 高麗楼*鶏林書笈 @keirin_syokyu

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