僕の彼女のおうち時間

七野りく

プロローグ

 その日は朝から冷たい雨が降っていた。

 そろそろ本格的な夏も近いというのに長袖が必要な程だ。……嫌になる。

 午前中の講義—―『憲法1』を聞き流しながら僕は、午後の講義の自主休講を、この時点で決意していた。

 多少欠席しても要は落第点を取らなければ良いのだ。

 そもそも、必修科目にも関わらず合格率20%弱で『簡単にした』と嘯く、法学部の老教授の講義はとにかくつまらない。

 やる気がゴリゴリ削られる共に、外は雨。

 こんな日は、家に引き籠って温かい物でも飲みながら本を読む方が、より人生を豊かに出来るだろう。


「――で、あるからして」


 講堂の壇上では老教授が淡々と講義を続けているが、周囲では突っ伏しうたた寝する生徒が多数。

 ……もしかして、わざとつまらなくして、落第者を増やしているんじゃなかろうか?

 そんな妄想を抱きながら僕は教科書を鞄に仕舞い、そっと講堂から抜け出した。


※※※


 僕の住む貸し家は、大学から歩いて二十分程の閑静な住宅地内にある。

 当初は東京下町のもっと安いアパートにしようと思い、物件まで探し終えていたのだが、両親が強硬に反対。

 結果、独り暮らしをする大学生からすると、持て余してしまう貸し家になった、というわけだ。

 ……有難い話なのだが、過保護だとも思う。血が繋がっていないせいなのだろうか?

 私服に着替え、近くのパン屋とスーパーで買ってきた、バケット、野菜、ベーコンを取り出す。

 学食で食べても良かったのだが、やたらとコミュニケーション能力が高い同級生達に見つかると面倒くさい。僕は所詮、陰キャなのだ。

 想像以上に雨が冷たかったので、本日のお昼はオニオングラタンスープに決定。

 携帯を近くに置き、調理動画をBGM代わりに流し、薬缶に水をたっぷり入れ沸かしておく。どうせ、玉ねぎを炒めるのに時間がかかるのだ。途中でお茶でも淹れるとしよう。

 バケッドを切りわけ、にんにくをこすりつけておく。こうすると、焼いた際、いい匂いがするのだ。

 にんにくは勿体ないので、スープへ入れてしまう。

 次いで、玉ねぎをザクザクと切り、にんにくと共に鉄製フライパンへ。

 僕が今春、東京へ出て来た際、従姉が『お祝い!』と言って持って来たものだ。……おそらく、彼氏の家に持ち込んだものの、使う機会がなかったのだろう。

 火は中火。

 弱火でじっくり飴色に――残念ながら、そんな根性はない。中火で最初に焼き目をつけてしまう。

 炒めているとお湯が沸いたので、ティーバックの紅茶を淹れる。素晴らしきかな、近代文明。

 カップを片手に玉ねぎを炒めていると、携帯が鳴った。

 訝し気に思いつつもフライパンにバターを入れ、出る。

 女性の死にそうな、か細い声。


『………………今、何処?』

「家だけど」

『…………分かった』


 それだけ告げ、通話は途切れた。どうやら、今から来るらしい。

 僕は少し考え、一先ずコンロの火を止めた。

 想像通りならば――お風呂の準備が必要だろう。


※※※


 調理を再開し、フライパンにコンソメを溶いた出汁を投入。

 強火にし、沸騰させる。

 再び着信。今度はメッセージだ。


『駅、着いた。お酒ある?』


 昼間から飲むらしい。

 沸騰したので火を止め味見後、塩胡椒。粉チーズ。

 弱火にかけ、再び味見。――もう少し塩胡椒を追加。

 携帯を操作。


『ワインしかない』

『分かった。買っていく』


 ……オニオングラタンスープだけじゃ足らない予感。

 味見すると、うん――丁度良し。

 カップへスープを入れ、先程切ったバケットを並べる。

 その上からたっぷりの粉チーズ。オーブンで五分。

 この間に、他も作ろうかな?

 考えていると玄関の開く音がした。早いな。

 バケットを切っていると、リビングにずぶ濡れで下着まで透けている女性――僕の一つ年上の従姉である静流しずるが入ってきた。手にはビニール袋と大きな鞄を持ち、茶色に染めた長い髪はぼさぼさだ。

 僕は顔を顰めた。


「……うわ。傘差さなかったの?」

「……雨に打たれたかった」

「なるほど。取り合えず、お風呂沸かしておいたから、入ってくれば?」

「…………」


 微かに頷き、静流は無言でビニール袋を差し出してきた。

 中身は――度数の高い酒ばかり。大分荒れ模様だが、


「何か食べる?」

「…………食べる」


 それだけ告げ、従姉はリビングから出て行った。

 あの様子、おそらく彼氏と別れでもしたのだろう。

 静流は男を見る目がないのだ。同時に僕へ遠慮がない。

 ……とても嘆かわしい。

 僕は溜め息を吐き、残ったバケットを切り分け、ニンニクをみじん切りに。

 静流が出て来るまでにガーリックトーストでも作るとしよう。


※※※


「わたしの、なにがいけなかったのぉぉぉぉ!!!!!! わたし、可愛いし、スタイルも良いし、都合の良い女なのにぃぃぃ!!!!!! ばかぁぁぁぁぁぁ!!!!!! …………あっつい。オニオングラタンスープ、美味しい」


 目の前で従姉が荒れ狂い、オニオングラタンスープを食べている。

 頬杖をつき、僕は淡々と突っ込む。


「……都合の良い女、になっちゃ駄目なんじゃ?」

「正論は禁止よっ! もっと、優しくしてっ!! もしくは、私を貰ってっ!!!」

「大分、優しいと思うけど?」


 あと、僕がいいよ、って言ったら困るくせに。

 僕は熱々のオニオングラタンスープを食べながら、内心で嘯く。

 案外とこの従姉は体面を気にする。 

 従姉がぶつぶつ。


「…………優しい。けど、意地悪。……何時まで経っても貰ってくれない……」

「? 今、何て?」

「…………何でもない。とっとと二十歳になって! そしたら、昼間から飲みに行くからねっ!」

「了解、お姉様」

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