第7話 いつまでも


 朝目が覚めると、隣りで丸くなっているルビィが視界に入る。私の手をぎゅっと握りしめて眠っていた。揺すっても起きそうもないくらい熟睡している。

 真横の普段私が使っているベッドを見れば、起きたばかりらしいターニャが伸びをしていた。ばっちりと目が合う。

「姉さん、おはよう」

「おはよう、ターニャ。よく眠れた?」

「ええ、しっかりね。ルビィはまだ寝てる?」

「しばらく起きそうもないかな」

 私はルビィの頭を優しく撫でる。それでも身じろぎ一つせずに、ルビィはまだ夢の中。

「しっぽブラシは使った?」

「ターニャが寝た後に使ったけど、なかなかいいブラシだった」

「そう。ルビィはどんな様子だった?」

「少しくすぐったそうにしてたかな」

「それだけ?」

「そうね。どうして?」

「別に、何となく様子を聞きたかっただけ」

 そう言うとターニャは腕を組んで考え事に没頭してしまった。そっとしておいた方がよさそうだ。起きるのにはまだ少し早いし、私も眠ろうとタオルケットに身を潜めた。

 次に起きた時、ターニャがいたベッドは空だった。あのまま起きたままだったのだろうか。ぼんやりと隣りのベッドを見ていたらルビィも目を覚ました。もぞもぞと動き出す。

「おはよう、ルビィ」

「⋯⋯ソフィニャ⋯⋯」

 ルビィはぼんやりとした瞳をこちらに向けて、しばらく私を見ていた、かと思うと急に真っ赤になって困ったように目を伏せた。

「ルビィ、どうかした?」

「⋯⋯なんでも、ないー」

「そろそろ起きようか?」

「⋯⋯ん」

 私はルビィを促してベッドを出た。ルビィは先に部屋を出て階段を降りていてしまう。居間に行くとターニャがソファでクッキーをつまんでいる。

「ターニャ、朝ごはんまだなのにおやつを食べてるの?」

「いやぁ、お腹空いちゃってね」

「あれ、ルビィは? こっち来てない?」

 姿が見えないので室内を見回す。

「洗面所に行ったみたいよ」

 それなら顔でも洗っているのだろう。私も洗面所に行きかけると、ターニャに腕を掴まれた。

「何?」

「ルビィのしっぽの手入れしてあげてね」

「ええ」

 わざわざ呼び止めて言うことでもない気がするが、ターニャはあのブラシがかなりお気に入りなのかもしれない。

 洗面所に行くとルビィがタオルで顔を拭いていた。私に気づいてこちらを向く。

「ちゃんと洗えた?」

 こくこくとルビィが頷く。

「朝ごはんは何がいい? 食べたいものある?」

「⋯⋯ほっとけーき!」

「昨日も食べたけど飽きてない?」

「ルビィ、ほっけーき、すき!」 

「それじゃまた作ろうね」

「うん!」

 どこかもじもじとしながらも、ルビィはいつも通りの笑顔を見せた。何か少し違うルビィが気になりもする。でも私の考えすぎかもしれない。



 朝食を食べ終えるとターニャは寝室にこもってしまった。ルビィは庭に出て遊んでいる。私は今でアイスコーヒーを飲みながらのんびりしていたが、そろそろ仕事もしておかなければ。

 書斎がある二階に赴き、寝室の前を通る。開けっ放しの扉からは、カバンの整理をしているターニャが見えた。

「あっ、姉さん、ちょうどよかった」

 手招きされたので、私は寝室に入る。

「これから帰るみたいな片づけっぷりね」

「そうよ。帰ろうと思って。姉さんの家は楽しいけど、いつまでもいるわけにはいかないでしょう」

「私が勝手に呼び付けたのだし、夏休み中いてもいいのよ?」

「それも悪くはないんだけど」

 ターニャをチャックを締めたカバンを脇に避けてベッドに座る。

「ルビィだってターニャに懐いてるし」

「まぁね。ルビィかわいいけどね。そんなことより、私姉さんに伝え忘れてることがあった」

「何?」

「猫族にはある習性があるの」

「どんな?」

「好きな人、心を許した人にしかしっぽを触らせないっていう習性。だから猫族のしっぽは簡単には触ってはいけないの。触れるっていうのは『特別に好き』っていう証だから。しっぽに触れるのは告白するようなものなの、猫族にとってはね」

「待ってターニャ、それはどういうこと?」

 確かターニャは家族からしっぽを手入れされるのが好きだと言っていた。

「昨日聞いた話とは違う気がするけど?」

「そう? 同じでしょ」

「同じじゃない。私、ルビィのしっぽに触れてしまった⋯⋯。だからルビィの様子がおかしかったのね」

 ルビィからしたら突然私から告白されたようなものではないか。

「おかしかったの? ルビィは喜んでなかった?」

「多分、戸惑っていたと思う⋯⋯」

「それだけ? 他には?」

「好きって⋯⋯」

 ルビィも好きだと言った。あれはしっぽへ触れたことへの返答だったのかもしれない。

「なんだ。よかった。ルビィは姉さん大好きだもんね。姉さんだってルビィは好きでしょ?」

「それはもちろん大好きだけど、それは家族みたいなってことで」

「本当に? 少なくともルビィの姉さんへの好きは『特別な好き』みたいだけどね。私はこの家に来た時から気づいてたけど」

 私も何となくルビィの好きは少し違うのではないかと思っていた。けど、私はそれをそのまま受け止めていいのか迷っている。

「姉さんはお祖父様が残したこの家で、小さなこの街で一人きりで暮らしてて、寂しくはないの? でもルビィがいたら、幸せでしょう?」

「寂しい⋯⋯、そんな風に考えたことなかった。一人は気楽だもの。仮に寂しくてもルビィを巻き込むのはよくない」

「何言ってるのよ、一緒に暮らしておいてそんなこと言うなんてルビィがかわいそうでしょ。ともかく、姉さんにとってもルビィは特別に見えるし、きちんとルビィと向き合うべきね。ルビィは姉さんには特別な気持ちがあるのだから。さてと、私は支度も済んだし、実家帰るから」

「突然すぎない?」

 そんな私の言葉を無視してターニャはまとめた荷物を手にすると、部屋を出てしまう。私は慌てて後を追う。

 居間に入ったターニャは荷物を下ろすと窓辺に向かった。

「ルビィ、ちょっと来て!」

 呼ばれたルビィは庭から居間へと入る。

「ターニャ?」

「ねぇ、ルビィ。いきなりだけど、私は今日で家に帰ることにしたの」

「ターニャ、どうして?」

「私にも私の生活があるからね。今までありがとうね、ルビィ。これ、私の家の住所。手紙をくれたら返事するから」

 ターニャは小さなメモをルビィに握らせた。

「ターニャ〜」

 ルビィは目に涙をためて、ターニャに抱きつく。二人は姉妹みたいにお互いを抱きしめている。

「夏が終わる頃にまた遊びに来るから」

 私たちはターニャを送るために駅まで赴いた。ルビィは列車が来るまで私とターニャの手をずっと握っていた。

「姉さん、私を呼んでくれてありがとう。おかげで大事な友だちもできたし」

 ターニャはルビィに微笑む。ルビィも嬉しそうにっこり笑う。

「私もターニャが来てくれて、ルビィと友だちになってくれてよかった」

「ルビィ、なー、ななーな、なー、なな?」

「なー、なー!」

 二人は猫族の言葉で話し始めた。私には何を言っているかは分からないけれど、二人だけで話したいこともあるのだろう。

「そろそろ行かなきゃ。姉さん、ルビィ、またね!」

 ターニャが列車に乗り込み、ルビィは目をうるうるさせながら、泣くのを我慢している。私も見ていたら涙腺を刺激されて、涙がこぼれそうになった。

 去りゆく列車にルビィは手を振る。列車が見えなくなっても、ルビィはしばらくそうしていた。



 人が一人いなくなった家というのは急に広く感じてしまう。さっきまでいたぬくもりがすっぽりと抜け落ちてしまったから。

 ルビィはターニャの帰郷が突然でかなり寂しい様子だ。ソファにぽつんと座る姿に哀愁が漂っている。

「ターニャはまた来るって言っていたし、その約束は守ってくれると思うよ」

「⋯うん。さびしい」

「そうね。ルビィはすっかりターニャと仲良しになってたものね。私だけだと寂しいね」

 私はルビィのふわふわの柔らかな髪を撫でる。

「さびしい、でも、ソフィニャ、いる。ルビィ、ソフィニャ、だいすき」

「ありがとう。私もルビィのこと大好き」

 と言いながらこれはどちらの好きなのだろうか、自問自答する。まだ、分からない。ルビィのことは大好きだけれど、小さなルビィは子供で、やっぱり私には家族という比重の方が大きい。

「ソフィニャ、ルビィ、わたすの、あるー」

 ルビィはソファから立ち上がると、廊下に走って行き、階段を登っていった。そしてすぐに戻って来ると、私の隣りに座り直す。

 手には白い小さなポーチを持っていて、ルビィはその中から何かを取り出した。

「ソフィニャ、これ!」

 私の手のひらにリングが落ちる。シルバーの、それは見た目にもけして高価なものではなかったけれど、花の意匠がほどこされた愛らしいリングだった。

「私にくれるの?」

「⋯⋯うん」

 ルビィは頬を紅色に染めてちらりと私を見た。

「あのね、あのね、ゆびわ、やくそく」

「約束?」

「ソフィニャと、ずっといっしょのやくそくする、ゆびわ⋯⋯。ソフィニャ、ルビィと、ずっといっしょに、いない?」

「⋯⋯そんなことないよ。ずっと一緒にいるのが私でいいの?」

「ルビィ、ソフィニャ、いちばんすき」

「ありがとう、ルビィ」

 私は思わずルビィを抱きしめてしまった。私の中のルビィへの感情がどんなものだって、この子が愛おしいことには変わりないから。

「ねぇ、ルビィ。私のルビィへの『好き』って気持ちと、ルビィの私への『好き』は違うものかもしれない。けど、私がルビィが大好きなのは変わらない。いつかその『好き』が同じになるかもしれないし、違うままかもしれない。それでも私にとってルビィはとても大切で愛おしい人なの。ルビィと違う『好き』でも、それでも一緒にいてくれる?」

 私はルビィの輝く瞳を見つめながら、ゆっくりと伝えた。この答えはルビィの裏切りになったりしないだろうか。それが心配で、私の鼓動は速まる。

「ルビィ、ソフィニャがいちばん。ルビィとちがう、でもルビィ、ソフィニャがすき! いっぱい、すき」

 ルビィは私に腕を回して強く強く抱きしめるから、私も愛おしいままに抱き返す。

 気持ちは川の流れのように刻々と変化して、その行き着く先の景色は分からない。

 広がるのは大きな穏やかな海かもしれないし、荒れた岩肌を流れ落ちる滝かもしれない。

 私たちのその先の未来に何が広がっているか、それを二人で確かめに行くのも悪くない。

 ゴールがどんな場所でも、私は愛おしい人がいたら、何も後悔しないから。

 今はこのままで。



 



 今日はルビィの使用人であるロレナの結婚式。相手はこの街で知り合った時計職人である。

 式は使用人たちが住む家の庭で行われた。招待されたのも身近な人たちばかりで、結婚式とは言ってもかなりアットホームで気楽な集まりになっている。

 真っ白なドレス姿のロレナはとてもきれいで、招待客たちの目を奪った。

「ブーケトスをしようかと思ったのですが、どうしても渡したい相手がいるので直接渡します」

 席から立ち上がったロレナは真っ直ぐルビィのところまで歩いて来た。その様子にルビィはびっくりして、しっぽをぶわっとさせている。

「ルビィ様、私のブーケを受け取っていただけますか?」

「ルビィが? ブーケは投げるものでしょ?」

「私はどうしてもルビィ様に渡したいのです。私の次にルビィ様に幸せになっていただきたいですから」

 何故かロレナは私に視線を送り、ウィンクする。

「ありがとう、ロレナ。ソフィニャ、もらっちゃった」

「よかったね、ルビィ。たくさん幸せになれるかもね」

「なるよ、きっと」

 ルビィは受け取った白いバラのブーケを優しく胸に抱く。

 式は時間が経つにつれて、だんだんとゆるゆるとのんきな空気に変わり、日が暮れる頃にはただの飲み会になっていた。

「ソフィニャ、喉乾いた〜」

「私のこれ飲む?」

 まだグラスに半分残るお酒を差し出してみる。

「うー、お酒苦手」

「ルビィはジュースの方が好きだったね」

「そう! 何か飲み物ないかなぁ」

「ジュースもらって来るね」

 私はキッチンまで行ってルビィの好きそうなりんごジュースをもらって戻った。

 夜空には蜜色の月が輝いて、私たちを見守るように光を降り注いでいる。

 月に照らされた私とルビィの指にはあの花の指輪が光っていた。 

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ルビィとソフィア 砂鳥はと子 @sunadori_hatoko

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