第6話 しっぽブラシ
「ただいまー!」
一人で出かけていたターニャが戻って来た。その声に目が覚めたのか、私の膝の上に頭を載せて眠っていたルビィは起き上がる。
「おかえり、ターニャ」
「ただいま、姉さん。ルビィは寝てたの? 起きたならちょうどよかった。ルビィにお土産買ってきたから」
ターニャは向かいのソファに腰を下ろすと、手に持っていた紙袋をテーブルの上に置いた。紙袋はカツンと硬質な音を立てる。
がさごそとターニャは紙袋に手を突っ込んで、何かを取り出した。同時にルビィはまた私の膝の上に頭を載せる。まだ眠いのだろう。
「ちょっとルビィ、寝ないで。あなたへのお土産なんだから、確認してから寝なさい」
「ん〜?」
ルビィは頭だけ動かして私を見上げる。
「ターニャがお土産あるって、ルビィ」
「おみやげー⋯」
「そう、お土産!」
ターニャがそっとテーブルに置いたのは瓶詰めのジャムだった。真っ赤な宝石のような苺のジャム。これはルビィの好物だ。
「いちごじゃむー?」
ルビィは跳ね起きると瓶を手繰り寄せ、手に取って掲げると、窓から差し込む光が当たって瓶が輝いて見えた。
「ソフィニャ、いちごじゃむー! ほっとけーき!」
「苺ジャムにはホットケーキね」
ルビィはこの組み合わせが大好きだ。これで今日のお昼は決まったようなものだ。
「姉さんにもお土産あるからね」
ターニャは意味ありげに私に微笑む。
「私にも?」
「そう。姉さんにもとっておきのをね。あとで渡すね」
一体ターニャは私に何を買ってきたのか、皆目見当がつかない。ルビィにジャムなら、私へは珈琲豆あたりが妥当のように思う。けれど珈琲豆くらいでターニャがこんな顔をするとも思えず、私は気が急いた。
お昼はルビィが食べたがっていたホットケーキを焼いた。もちろんお供はターニャが買ってきた苺ジャム。ルビィは見ているこちらも思わず微笑んでしまうような幸せな顔をして食べていた。
今はお腹がふくれて眠くなったのか、またソファの上で丸くなっている。愛くるしい顔からは規則正しい呼吸が聞こえていた。
「姉さんへのお土産はこれ」
ターニャは白い袋を私に手渡した。
「開けてもいい?」
「どうぞ、どうぞ」
私はゆっくり袋を開いて中身を取り出した。それは小さなブラシだった。子供用のしっぽブラシだ。名前の通り、しっぽを手入れするためのブラシ。私が使うには少し小さめではあるけど、使えないというわけではない。
「ターニャ、ありがとう。でもどうしてこれを選んだの?」
私のしっぽはそんなにぼさぼさだったろうかと、何だか心配になる。
「それ小さいでしょ。でもほら、あそこで寝てるちびちゃんにはちょうどいいと思わない?」
「ルビィにってこと?」
ならば私に渡さずにルビィに渡すべきではないか。さっきジャムと一緒に渡せばよかったのに。
「姉さんがルビィのしっぽを手入れしてあげてね。猫族は家族からしっぽを手入れされるのが好きだから」
「なるほど、だからルビィじゃなくて、私に渡したの?」
猫族がしっぽを手入れされるのが好きなんて初めて知った。なにせ私の周りに猫族なんてほぼいなかったからだ。しかしターニャは猫族の留学生たちと交流していたから、私の知らない彼女たちの習性もよく知っているに違いない。
「お風呂上がりなんかに使ってあげると、ぴったりだと思う。ルビィなんて、いっつもしっぽをわしゃわしゃ雑に扱うから。姉さんが手入れしてあげなくちゃ」
言われてみればルビィは自分のしっぽの扱いはわりと雑だった。あまりしっぽには関心が向いてない。髪の毛もぴょんぴょん跳ねてて、朝は私がよく梳いている。
ルビィは元々きれいな毛並みではあるけど、何だか今からこのブラシを使うのが楽しみになってきた。
夜になり、夕飯を済ますとターニャはさっさとお風呂に入り寝室に行ってしまった。今日はもう疲れたから早く寝ると言う。家に来てから夜ふかしもたまにしていたターニャにしては珍しい。買い物であちこちを歩き回って疲れたのだろう。
私が居間で本をめくっていると、お風呂上がりのルビィがやって来た。ちょこんと私の隣りに座って、バスタオルでしっぽを引っ張るように拭いている。
私はキッチンに行き、冷蔵庫から牛乳を取り出してグラスに注いで、ルビィのところまで持って行く。
「ソフィニャ、ありがとうー」
ルビィはごくごくと勢いよく牛乳を飲み干した。よほど喉が渇いていたらしい。
「ルビィ、ちょっとこっちに背を向けてくれる? 髪梳かすから」
「な〜!」
ルビィはくるっと私を背にソファに座り直した。私はまず髪の水気を拭き取り、普通の櫛でルビィの髪を梳かす。
それが終わったら次はしっぽだ。ルビィの鍵しっぽをそっと手に載せて、ターニャからもらったブラシで毛並みを撫でるように梳く。しかしルビィは驚いたのか、びくっとしてこちらを振り向いた。
「見て、ルビィ。これしっぽブラシ。ターニャが買ってきたの」
「⋯⋯しっぽ、ぶらし?」
「そう。しっぽ専用のブラシ」
「⋯⋯⋯ソフィニャ」
「なぁに、ルビィ」
「⋯⋯だいじょぶー」
ルビィは前を向き直したので、私はまた手を動かしてしっぽの毛並みを整える。白い毛並みは電灯の明かりでキラキラと光を放つ。
おとなしく座るルビィはどこかそわそわしているようだった。猫族はしっぽブラシは使わないみたいだし、慣れてなくてくすぐったいのだろう。
「はい、ルビィ終わったよ」
ルビィの肩をぽんぽんとすると、こっちを向いたルビィはどこか恥ずかしそうな顔をしていた。
「ソフィニャ⋯⋯」
私を見上げる目は何だかいつもより潤んでいて、水中から見上げる満月のようにゆらゆらとゆらめいている。
「どうかした?」
「⋯⋯ルビィも、ルビィもすき」
「すき⋯⋯?」
「ん!」
突然ルビィは私の腕の中に飛び込んで来たので、私はしっかりと受け止める。
「ルビィは甘えん坊ね」
「ソフィニャ、すきー」
「うん、ありがとう。私もルビィが大好きだよ」
私たちはしばらく身を寄せあって、互いのぬくもりを感じていた。
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