第5話 誰より近くに



 夜になり困ったことが発生した。

 それはターニャの寝場所である。

 私の家は元々ベッドが一つしかなく、先日ルビィが越して来たことで、ベッドが二つになった。

 数年前はお客さん用の簡易ベッドがあったのだが、古くなってしまったのと、家にお客さんが来ることもあまりなかったので処分してしまったのだ。

 以前ターニャが来た時はその簡易ベッドを使ってもらっていたが、今はない。

 私はそのことをすっかり忘れたままターニャを呼んでしまった。

「うーん、そうね⋯⋯。私がソフィア姉さんと寝ればいいんじゃない? ちょっと狭いけど、寝れなくはないでしょ」

「まぁ、それで何とかなるけど」

 私たちが話していると、ルビィは不満そうに私たちを見ていた。

「ルビィは何が不満なの?」

 ターニャが聞く。けれどルビィは答えずむすっとしていた。

「私はルビィは機嫌が悪いと思ったけど、考えすぎだった? まぁ、今日の夜は私と姉さんが一緒に寝て、ルビィはルビィ用のベッドで寝る。これで決まりね」

 ちゃちゃっとターニャはこの問題をまとめてしまった。

「ルビィはそれでいい?」

 私は念の為に確認すると、渋々という感じではあったが頷いた。

 ひとまずベッドの問題はこれでいいだろうか。

 パジャマ姿になった私たちはそれぞれベッドに潜り込んだ。

 小さなルビィならともかく、それなりに大きなターニャと一つのベッドで寝るのは、多少窮屈である。全く眠れないわけではないし、今日はしょうがない。

 隣りのベッドのルビィはタオルケットの中で丸くなって、こちらに背を向けていた。耳としっぽだけがちょこんと顔を覗かせる。

「おやすみ、ルビィ」

 声をかけたが眠ってしまったのか返事はない。私は部屋の灯りを消した。



 隣りに寝るターニャは落ち着かないのか、何度も寝返りをうつ。私もそれで眠れなくなっていた。ルビィは相変わらずこちらに背を向けたまま丸くなっている。

 どことなく寂しさが漂うその背中が何だか可哀想で、抱きしめたくなる。ルビィが来てからいつだって寝る時は二人だったから、私の寂しさを投影しているのかもしれない。

「慣れない枕は落ち着かないなぁ」

 がばりとターニャが起き上がり、私が何か声をかける前にベッドから降りて、ルビィのベッドへと歩いて行く。

「起きてるー?」

 ターニャは背中側からルビィの顔を覗き込んだ。

「眠ってるのに起こしちゃダメよ」

 私がたしなめるとこちらに首を向けたターニャが「ルビィ泣いてるよ、姉さん」と神妙な表情を浮かべていた。

 私も気になってベッドから出るとルビィのところに行く。私の気配に気づいたのか、ルビィは小さな体をこちらに向けて私を見上げた。確かに目はうるうるしている。

「ルビィ、どうしたの? どこか痛い?」

 私はルビィと目線を合わせるためにしゃがんだ。

「ひとり、いや」

 はらはらと涙をこぼしたルビィはそう言うと私の首に抱きつく。

「ソフィニャといっしょ、いっしょ!」

「そうね、いつも一緒だったものね。一緒がいいね」

 私はルビィの背中をさすりながらなだめる。遠い故郷を離れて、家族も近くにいないルビィにとって、一人はとても寂しいことなのだろう。もっと早くに気づいてあげらればよかったのに。私は自分の不甲斐なさに情けなくなる。

「それじゃ、姉さんはルビィと眠れば解決ね。私は先に寝まーす」

 ターニャは私のベッドに戻るとタオルケットを被って横になってしまった。

「ルビィ、あの通りだし、一緒に寝てもいい?」

「ソフィニャといっしょ!」

 にこにこと愛くるしい笑顔になったルビィは、ベッドの端によると空いてるところをポフポフと叩く。私がそこに収まるとルビィは身はよせて来る。その顔が実に満足そうで、私はあまりに可愛いくてその体を抱きしめた。

 私にとってもこの子はやはりかけがえのない存在。大事にしなくては。

 二人でタオルケットを分け合って、私たちはぬくぬくとした眠りについた。


 


 朝になり三人で朝食を食べる。今日は『カリカリ』と呼ばれるドライフードに牛乳をかけて食べた。この『カリカリ』は特に猫族が好んでいて、ルビィも美味しそうに頬張った。

 朝食の後はみんなで市場いちばに買い出しへ行く。市場へと続く石畳には街路樹の木陰が涼しい陰影を描いていた。

 先を歩くターニャが薄いオレンジ色の外壁の民家の前で立ち止まる。

「二人とも来て!」

 手招きしているので、私とルビィは顔を見合わせて、それからターニャの元に向かった。

「姉さん、ルビィ、見てこれ」

 民家の門の脇に台座が置かれており、そこに箱が載せられていた。中には様々な柄の布に、たくさんの色の糸やボタンなどが並んでいる。箱には『ご自由にお持ちください』と書かれている。

「これもらっていいみたいよ」

 ターニャは少し興奮気味に私を見た。

「色々あるけど、使い道あるかな」

「私、最近裁縫好きなのよね。ルビィに何かこれで作ってあげようかと思って」

「だって、ルビィ」

「ぬいぐるみ、つくるー?」

「ぬいぐるみか。まぁルビィがほしいなら作るよ! 任せて」

「おー⋯」

 ルビィも関心を示す。

「あっ、白い布ある。赤い丸ボタンもあるし、白猫のぬいぐるみが作れるわね」

 ターニャは早速箱から目ぼしいものを取り出していた。私とルビィはそれを横から眺める。

 突然民家の玄関扉が開き、年配の女性が顔出した。三人揃ってこんにちは、と挨拶すると女性はにこにこしながは近づいてきた。

「こんなものに若いお嬢さんたちが目をとめてくださって嬉しいわ」

「たくさんありますけど、これ本当にいただいてもいいんですか?」

「箱に書いてある通り、好きに持っていってちょうだい。もう使わなくなってしまって、処分に困っていたものだから」

「蚤の市などに出されたらお金になるんではありませんか? どれも新品同様ですし」

 私が聞くと女性は「面倒だから」と笑った。

「欲しい人がもらってくれたらそれで充分よ」

「それでは遠慮なくいただいていきますね」

 ターニャはご機嫌である。

「全部持っていってもらってもいいくらいよ」

「さすがにそこまでは」

 と言いながらターニャは布の吟味も忘れない。

「好きなのが見つかったら是非手土産にしていってね」

 家へと去っていく女性に私たちお礼を伝えた。ターニャは鼻唄を歌いながら箱の中を漁る。

 ルビィも箱に近づいて中を覗き込む。布やボタン、リボン、糸や毛糸を興味深そうに手に取る。

「ソフィニャ、これ!」

 ルビィは白いレースを私に見せた。

「へぇ、ルビィ、随分素敵な物を見つけたのね」

「むふー」

 自慢気なルビィの頭をターニャが撫でた。

 二人は熱心に吟味に吟味を重ねて、いくつもの布や糸、綿にボタンを手にして、それらをもらっていくことにした。

「カバンがいっぱいになってしまったわ」

「いっぱいいっぱいー!」

 宝物を手に入れたみたいに嬉しそうにする二人。

「姉さん、私は悪いけど先に帰るね。せっかく色々もらったから今すぐ作りたいのよ」

「もうしょうがないね。ルビィはどうする? 一緒に来る? ターニャと戻る?」

 ルビィは私とターニャの顔を見ながら、とても悩ましそうに眉をよせる。

「ルビィ、白猫のぬいぐるみと黒豹のぬいぐるみ早くほしくないのー?」

 ターニャが揺さぶったら、ぬいぐるみが気になるのか、ルビィはターニャの手を取った。どうやら私は負けてしまったらしい。少し寂しい、なんて口にはしないでおこう。

「ルビィはターニャと先にお家に戻ってて」

「ソフィニャ、ぎゅうにゅう⋯」

「牛乳ね。今朝使い切ってしまったものね。分かった、ちゃんと買って来る」

 こうして私は一人市場へ向かった。



 市場で買い出しを終えて家に戻ると、居間のソファにはルビィとターニャが並んで座っていた。

 ターニャが早速ぬいぐるみを作っているようだ。テーブルにはぬいぐるみの設計図らしき絵が描かれている。

「ただいま」

 声をかけるとやっと私に気づいたのか二人して同じタイミングで顔を上げた。

「おかえり、姉さん」

「ソフィニャー!」

 ルビィはソファから立ち上がって、私に飛びつく。

「ソフィニャ、ターニャぬいぐるみ、つくってる」

「そうみたいね。かわいいぬいぐるみできるといいね」

 ルビィはにへっと笑う。よほどぬいぐるみが楽しみなのだろう。とたとたとターニャの隣りに座り直すと、ルビィはぬいぐるみ作りの様子に夢中になる。

 私は洗濯でもすることにした。

 そうして時間はゆるゆると過ぎて、お昼になり、ご飯の後もターニャはぬいぐるみ作りに精を出した。ルビィはそんなターニャを真剣に見つめていたが、途中で眠くなったのかソファの上で丸くなっている。

 太陽ものんびりと沈んでいき、気づけば外には夜空が広がっていた。

「白猫完成!!」

 夕飯の支度をしていたら、ターニャの満足そうな声が聞こえたので、手を止めて私は居間を覗いてみた。 

「姉さん、どう?」

 白猫のぬいぐるみを見せてくれた。大きさは20センチほどで、ルビィが見つけた白いフリルがついた桃色のワンピースを着ている。目はルビィと同じ赤色だ。少々不格好ではあるが、それがいい味になっている。

「可愛くできてるじゃない。ルビィも喜ぶと思う」

 まだスヤスヤと夢の中にいるルビィに早く見せてあげたいものだ。

「でしょ、でしょ。自信作なんだから。次は黒豹のぬいぐるみを作らなくちゃ!」

「あんまり根を詰めちゃだめよ」

「分かってる」

 結局ターニャはぬいぐるみ作りが楽しいのか、今度は黒い布を取り出した。そこでルビィがもぞもぞと動き出す。私とターニャの視線がルビィへ向く。

「⋯⋯ん」

「ルビィ、目が覚めた?」

「⋯⋯ソフィニャ⋯⋯」

「ほらルビィ、白猫ちゃんのぬいぐるみだよ〜」

 ルビィの顔を見る私の前に、ターニャがぬいぐるみを割り込ませる。

「⋯⋯ぬいぐるみ?」

「そう。できたんだから。ほら」

 ターニャはルビィの手にぬいぐるみをもたせた。ルビィはゆっくりと手元を見る。そして目の高さまでぬいぐるみを持ち上げて、まじまじと見つめる。

「ルビィ、これ、ルビィ?」

「そうね。白猫だしルビィね」

「ターニャ、すき!」

 ルビィは体にかかっていたタオルケットを跳ね除けてターニャに抱きつく。

「はいはい。次は黒豹のぬいぐるみも作るから」

「ソフィニャ?」

「姉さんにしたいのね。大丈夫よ、姉さんのぬいぐるみも作るから」

 すっかり仲良し姉妹のようになっている二人が、とても愛おしく思える。やっぱりターニャを呼んだのは正解だった。



 翌日。お昼を過ぎて、おやつの時間になった頃、ターニャは黒豹のぬいぐるみも完成させた。こっちはクリーム色のワンピースを着ている。目は私と同じ金色。

 ルビィはテーブルに白猫と黒豹のぬいぐるみを座らせて、優しい表情で楽しそうに眺めていた。2つのぬいぐるみは手をつないで仲睦まじそうだ。

「ソフィニャ、ターニャ、ふたり、なかよし。けっこん、するー」

「えっ、結婚!?」

「結婚ですって!?」

 思わぬ言葉に私もターニャも素っ頓狂な声をあげた。

「だめー?」

 ルビィはすごく残念そうに俯く。

「その白猫と黒豹を結婚させたいの? 女の子同士でしょ」

 ターニャは困ったように2つのぬいぐるみとルビィの顔を行ったり来たり。

「けっこん、するー!」

「全く、ルビィはそんなに姉さんが好きなのね。将来は姉さんと結婚でもするつもりなの?」

「ん!」

「あはは、そのつもりなのね。さすがルビィね」

「結婚はそのぬいぐるみの話でしょう?」

「姉さん、鈍いのね。ルビィは姉さんと結婚したいから、そのぬいぐるみも結婚するのよ。ねぇ、ルビィ」

「むふー」

 自信満々といったルビィがふんぞり返る。

 ルビィは私と結婚したがっている。ルビィは果たして意味を分かっているのだろうか。一緒にいたいということを結婚にたとえているのだろうか。

「ソフィニャ!」

 私に抱きついたルビィは子供みたいに甘えて頬ずりをする。そんなルビィの頭を撫でながら、私はこの子とこれからどうしたいのか、どうしていくべきか、思いを馳せていた。

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