グレート・ドリップ

藤井 狐音

グレート・ドリップ

 大学生になる春休み、ドリップ・バッグ・コーヒーを買い込んだ。


 都心への進学を機に始めた一人暮らしは、思っていた五倍くらい退屈だった。自分の部屋に家族はいなくて、近所に出たって旧い知り合いも新しい友人もいない。流行り病の時勢とあって、バイトをする感じでも遊びに行く感じでもない。働き口がなければ、どうせ遊びに行く金だってない。それくらいはわかっていた。

 けれど、自分にはこれがあると思っていたインターネットが、これほど張り合いのないものだとは想像もしていなかった。

 対戦ゲームはストレスが溜まるし、そうでないソーシャルゲームは一日を費やすには単調すぎる。動画はあっという間に観終わってしまうわりに供給が遅いし、かといって配信は時間ばかり長くて、漠然として面白味がない。結局SNSに張り付いて、三秒に一回くらいスワイプしては何も変わらない画面を眺めたり、新しい投稿を一瞬で消費したりして、一日を過ごす。

 授業が始まれば、そんな生活にも少しは起伏が生まれよう。しかしそれまでの数週間、こんな空虚な一日を繰り返すとなると、それは想像するだけで気が滅入る。

 そんな中で見つけたのが、ドリップ・コーヒー・バッグの詰め合わせだった。一日の中にコーヒータイムを設ければ漠然とした時間の中に区切りが生まれるし、種類があるとなれば日々に変化も訪れる。これはちょうどいいと思って、すぐに三箱取り寄せた。

 とりあえず、その判断は功を奏した。思惑通り生活に起伏が生まれ、お菓子との食べ合わせに関心が広がったことで、楽しみのバリエーションも広がった。読書の時間にも充てるようになった。それも、ある種の組み合わせだ。

 ——それまではよかった。

 とりあえず、というのは、やがてドリップ・バッグ・コーヒーは憂鬱の種に変わったのである。コーヒータイムに飽きたとか、よく考えてみるとつまらなかったとか、そういうことではない。その時間自体は、それまでと変わりない。厭な気分を起こさせるのは、シンクの三角コーナーに溜まった、使用済みのドリップ・バッグだ。

 黒い粒子を蓄えてずっしりと積み重なる様はさながらいつかのニュースで見た土嚢のようで、また日に日に増えていくそれは、己が一日、一日と生きてきたことを克明に語る。そこに蓄積されているものが、恵まれた生存者サバイバーという呪詛に見えた。

 天災がある。病災がある。そうでなくとも、過酷の中で生きている——あるいは今も死んでいくものがある。そんな世界で、いとも容易く一日を消費している自分がいる。自覚していながらそれを続ける自分のことが、この世で一番許せないもののように思えてくる。


 同じ話を、SNSでも呟いた。寝不足ですよ、と誰かが言っていた。

 最近、夜遅くまで落ち着かない。眠りに就こうにも、布団の中で呼吸の仕方さえわからなくなりかける。もうすぐ花粉のシーズンである。始業までの数週間、こんな日々が続くことを思うと、やっぱり私は気が滅入った。

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