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ある夜の手記を、そのまま掲載します。

 ある夜、私は漠然と恐ろしくなって筆を執りました。

 己は死に往く身です。今こうしてこれを書いている間にも、私は着々と死に向かっています。死が恐ろしいのではありません。このことが恐ろしいのです。あるいは、このように思っていることが恐ろしいのです。なにか騙されているような気がしてならないのです。

 そも、流れとは誰がつくったのでしょうか? 音が流れています。映像が流れています。誰かがつくったのでしょうか。川も流れています。なにが作ったのでしょうか?

 そしてこれを書いている私もまた、流れに仮託しているのです。私はけっして流れを作ってはいません。さも当たり前のように、なにがしかの秩序に法って、文字の流れを綴っているのです。なぜ流れているのかわかりません。これを書いていることも、またこれを己が読めることも恐ろしいのです。どうしてでしょうか? 文字とは単体にすぎません。しかしここにはルールがあって、さもはじめからおわりがあるかのように文章として流れているのです。

 時間も同じだと思うのです。時間はこれまでからこれからへと流れています。あるいは、帯の中で、われわれは後ろから前へと流されています。そう思っています。顔を上げると、私の部屋には時計があります。時計は右回りをして、時間は進んでいるのだと私に語りかけてきます。けれど、それは嘘くさいのです。ミニッツとかセコンドとか、そういうものは人が作ったにすぎないからでしょうか。では川はなぜ流れているのでしょうか? 流れはわれわれが作ったものではありません。おそらくわれわれは初めから錯覚をしていて、ものが流れるというきまりを作ってきたにすぎないのです。ではいつからわれわれは盲だったのか、ほんとうはどうなっているのか。そもそも流れはどこからあって、どこにないのか。それがたまらなく不安なのです。

 落ち着いてきたので、私はまた寝ることにします。次に私がこの手記をみるときには、また頭からこれを読むでしょう。それを思うと、私はまた恐ろしくなるのです。もはや起きるということが恐ろしいので、それを忘れるために私は寝ることにします。

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