白眼視
凪野海里
白眼視
ウイルス蔓延による自粛生活を余儀なくされて、人と会う機会は減った。誰かが遊んでいれば、近所から白い目で見られる。常に誰かが見張っていて、常に誰かを咎めている。
それはまるでSNSと変わらない。あれだって常に周りに見られている。近所って単位じゃない。それこそ世界じゅう。突然横槍が入って見ず知らずの人が喧嘩を売ってくることもある。会ったこともない奴らに文句言われる筋合いないんだけど?
「自粛自粛っていい加減飽きた。どっか行きたーい!」
SNSを使って愚痴を言えば、フォロワーからハートマークが押された。それだけで心が軽くなる。SNSって誰かに賛同してほしいときほど反応が欲しいものだ。
そのとき、フォロワーでもない人から返信が届いた。名前はアクマ。ダサい名前。メッセージを開いてみると、こんな言葉が私の目に飛び込んだ。
「文句ばっか言うな。みんな同じ気持ちで過ごしてんだよ」
文句言って何が悪いの。アクマという名前の、顔も知らない相手に苛立つ。返信を送ろうとした矢先、ガチャリと音が聞こえた。家の誰かが帰って来た音だった。
リビングに入ってきた人はお母さんだった。
「おかえり」と声をかけると、お母さんは私を見るなり顔をしかめた。
「またスマホばっかいじって」
「だってこれくらいしか楽しみがないんだもん」
「受験勉強はどうしたのよ。こういう合間にも勉強している人はいるのよ」
「休憩ぐらいいいじゃん」
「あんたの場合は、休憩が長すぎるのよ」
お母さんは両手いっぱいの買い物袋をキッチンに運んでいく。それから、「あ」と小さく叫んだ。
「お母さんが帰って来るまで、皿洗いしといてって言ったじゃん」
「今やろうと思ってたの」
はぁ、とお母さんはため息をつきながら、冷蔵庫を開けた。買い物袋から取り出した食材を、次々冷蔵庫に放り込んでいく。
私はいったん、スマホをテーブルに置いて、制服の袖をまくった。キッチンの流し台の前に立って、桶に浸けられた食器類を見つめる。どろどろの汚れ切った水のなかをゆらゆら動く食器、そして私の顔。
「いつまでこの生活、続くのかな」
ふとこぼした愚痴に、お母さんは「さあね」と他人事みたいにつぶやいた。
「東京の感染者は増えていく一方だもの」
「ったく。こっちは我慢して外歩かないようにしてんのに、どうしてみんな出歩くのよ。我慢してるこっちがバカみたいじゃない」
「我慢してるのはあなただけじゃないわよ」
お母さんは、アクマって奴と同じことを言った。
みんなが我慢してたら、こんなことになるわけないでしょ。私は心のなかでアクマにもお母さんにも、心のなかで文句を言った。みんなってどこまでの範囲? 近所の住民、県内に住む人、あるいは日本単位、世界単位。みんなってどこまでがみんななのか。
スポンジに食器用洗剤をつけて、汚れている食器を片っ端から洗っていく。ガチャガチャと乱雑な音をたてて、もうほとんど八つ当たりだった。お母さんから「もうちょっと丁寧に洗いなよ」と注意された。
ただ、昨日食べたカレーの鍋についた焦げは、いくらスポンジでこすってもとれなかった。お母さんがそれを見て「あとでやっておくからいいわよ」と言ってきた。
次の日の放課後、友だちの雪菜にアクマを名乗る人物についてなんとなく話を持ち出すと、彼女から同情の目を向けられた。
「そいつ、今SNSで話題になってる自粛警察だよ。こないだ、塾友が学校説明会ついでに東京巡りをした写真を何気なくSNSにアップしたら、『感染者数わかってんのか!?』って嚙みつかれたって」
かかわらない方が良いよ、と雪菜は言いながらアイスのカフェオレを飲む。私もその隣で抹茶ラテを飲んだ。ほんの半年前まで私たちは、こういった飲み物にタピオカを混ぜてSNSにアップしていたけれど、今はもうブームが過ぎていた。あんなぶにぶにした黒い食べ物、どうして喜んで食べてたんだろう。純粋にキモくないか? 消化にも悪いし。なのに、地元では今さらタピオカジュース店がオープンしている。きっと1年もしないうちに潰れるよ。
私はもう一度、アクマの返信を見つめた。
「文句ばっか言うな。みんな同じ気持ちで過ごしてんだよ」――文字だけを見てると余計ムカつく。
「じゃあ。こいつ、ブロックしたほうが良いかな」
「そうしな」
私はブロックボタンを押した。
それからすぐに話題は夏休みの話になる。どっか行きたいけど、どうせどこにも行けないだろう。世間で散々繰り返される「自粛しろ」という言葉が鍋底についた焦げのようにいつまでも頭のなかをこびりつく。
SNSでも夏の話題で持ち切りだった。あちこちで騒がれる、「感染対策すれば大丈夫でしょ」という言葉があふれだす。
そんな言葉をぼんやり眺めていると、仕事から帰って来たお母さんからまた「スマホやめなさい」と注意された。それから、テーブルの上に置かれた飲みかけの抹茶ラテを見て目を見開く。
「あんたまた、カフェ行ったの?」
「家で飲むためだよ」
スマホの画面から目を背けずに言うと、お母さんは「ウソね」とすぐに看破された。スマホの上を滑っていた指が止まる。
お母さんの言うとおりだった。私はスマホからそっと顔をあげた。
「感染者まだ増えてんだから、外で飲み食いはやめてよね。受験生なのに感染したらどうすんのよ」
「別にいいじゃん、カラオケ行ってるわけじゃないんだから。巣籠もりでこっちもストレスたまってんの!」
「あなたみたいに軽率な行動する子が、感染者を増やすのよ」
話にならない!
私は椅子から音をたてて立ち上がると、抹茶ラテを片手に部屋をでた。いいじゃん、ちょっと外で飲むくらい。
SNSでは、こんな状況下でも旅行へ行った人たちが次々に写真をアップしているのだ。「感染対策ばっちりしてるから大丈夫です!」なんてご丁寧な注意書きまで載せちゃって!
そうやってつぶやく人たちを、私は片っ端からブロックした。
政府はやがて、旅行や飲食などをする際に通常の値段よりも安く利用できる政策を発表した。今回のウイルス流行のせいで1番打撃を受けたのは、観光業や飲食業界だから。彼らを助け、国の経済をうまくまわすためにもこの政策は必要なものらしかった。
もちろん、反対する人もいた。ウイルスが余計にまき散らされるだけだって。でもすでに私たちは長すぎる自粛生活に飽きていて、とにかく外の世界に刺激を求めていた。何でも良い、どこでも良いから旅行に行きたい。そんな感情が、日本中にあふれていて、出かけたい人はとっとと出かけた。そして、比例するように感染者はどんどん増えていく。
「我慢してるこっちが馬鹿みたいじゃん」
全国の感染者数が1000人を超したという情報が夜のテレビで流れたとき、私はついそうつぶやいた。SNSでは、「旅行の政策だけとは限らない」「私たちだってちゃんと対策をしてる。他にも原因がある!」なんて意見もでているようだけど、果たしてそれは信用して良いものなのか。
私はちなみに、お母さんの言いつけをちゃんと守って自粛を決め込んでいた。外出をするといってもシャー芯が切れたとか、参考書がほしいとかで近くの店に買い物に行ったりする程度で、遊びたいのも我慢した。
一度、友だちから「どっかでかけない?」と誘いをかけられたけど、ごめんって断った。その友だちは後日、SNSのタイムラインに旅行の写真をアップした。苛立ったのは言うまでもない。こっちはお母さんからぐちぐち言われてるのに、あの子は何も言われてないわけ? 知り合いであろうと、全くの他人であろうと。SNSは最近、そんなものばっかりだ。とにかく旅行写真が飛び交って、楽しかった思い出を延々と語っている。まるで旅行することは偉いみたい。我慢してる身としてはストレスがたまるばかりだ。
我慢してるこっちが馬鹿みたい。どんなに我慢しても、彼らが足を引っ張るのだ。テレビに映し出された街頭インタビューでは「政策に問題があったのでは」と答える人も多くいた。その通りだと思う。
それを見ていたお母さんが「どうなのかしらねぇ」とため息をついた。
「そればかりが原因ってこともないんじゃない?」
「これが原因で増えたようなもんでしょ」
「政策も原因の1つではあるけど、ワクチンも作られてないからウイルスに対抗する手立てはないって素人にだってわかってるわけでしょ? なのにその上で出かけたってことはリスクも考慮に入れなきゃ駄目よ。出かけた人間にも責任はあるよ」
後日、SNSを眺めているとこんな情報が目に飛び込んできた。
「SNSで自粛警察してたアクマって奴、ウイルスに感染したらしいよ」
「これがそのときのつぶやき。画像参照!」
「政府の政策のせいで、ウイルスになった。まじ最悪」
「絶対同じバスとか電車に、感染者がいたとしか思えない!」
「悪いことなんもしてないのに。かかるべき奴らはもっと他にいるべきでしょ!」
「ダッセ」
「散々、人には自粛しろだの言ってたくせにな」
「政府に責任転嫁とか、終わってる」
「クズじゃん」
そんな悪口がタイムラインを流れていく。
汚い言葉が次々と鍋底にこびりつく焦げとなる。
アクマはすでにアカウントを削除してしまった。
雪菜からLIMEが来る。「アクマ、消えたね」の言葉のあとに「悪霊退散!」なんてスタンプが送信されていた。私はつい笑いながら、「GOOD!」のスタンプを押すのだった。
白眼視 凪野海里 @nagiumi
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