父の時間

ナナシマイ

1

「コーヒー、飲むか?」


 ソファに寝そべってスマートフォンを弄る私に、父がそう問いかけてきた。「うん」とだけ答え、また指を動かす。丁度、SNSにコメントが来ていたのだ。父は何も言わずに自室へと向かっていった。


 ガリガリガリ、ガリガリ――


 そのうち、奥から豆を挽く音が聞こえてくる。あまり規則正しいとは言えないリズムだが、私はそれに合わせて足の指を動かす。

 自分で淹れたこともない――というより淹れ方も知らない――のに、お洒落なカフェにだって行かないのに、私はこの音に慣れ親しんでいる。それはとても贅沢なことだと、そう思った。


 いつの間にか豆を挽く音は止んでいて、父は湯を沸かしにキッチンに入っていた。私なんかよりずっとキッチンに馴染む父の姿に、私は心の中で溜め息をついた。


 ……本当に、ぐうたらな娘だ。

 家にいる時間が増えて、それを強く感じるようになった。元から自覚はしていたが、外ではそれなりにやっていたものだから。


 「何か手伝う?」そう聞けばいいのに、私はそれをしない。ただ怠けては、父の時間を奪っていく……。




 良い香りが漂い始めると、私は寝そべるのをやめて座り直した。父にバレないよう静かに、それでも大きく息を吸う。……あぁ、良い匂いだ! 早く来ないかな、なんて子供みたいに膝を叩いては、ちらちらとキッチンに目線をやった。


「ほい」


 トトン、とテーブルに置かれた2つのマグカップ。私のはホームセンターで買ってきた安物だが、父のは何とか焼の良い物で綺麗な青色。羨ましそうに見つめてみたけれど、勿論無視される。


 それから、小さなお皿を隣に置いた。


「え、もう17時だよ? 夕飯は?」

「食わないなら良いよ」

「……ちょっと食べる」


 お皿の上に置かれたカステラを、私は半分より少しずらしたところで切った。ちょっとではないが、甘い物は好きだし、別腹だ。……いや、夕飯は少し遅らせてもらおうか。


 コーヒーを飲みながら、カステラを食べる。酸味が少なくて深い味のコーヒー。私好みの、というより父の舌をそのまま受け継いだが故に、私にとっても好みである味。そして、カステラはカロリーオフとか気にしていないような甘さで安心だ。最近は甘さ控えめのお菓子が多すぎる。


「これどこの?」

「駅前だよ。駅からバス停に向かう手前で、中山通りの方に入ったところ」

「ふーん」


 質問をしておきながら気のない返事をする私に、「聞いても行かないんだろ?」と呆れ顔の父。

 別に良いじゃないか、と思った。若い女というのは、適当に質問をして話を広げて、何となくで相槌を打つ生き物なのだから。


 と言うか、父の説明はこちらの期待値よりも細かすぎるのだ。中山通りなんて言われても、ぱっと出てくるものではないし、分かったとしても店の位置を知りたかった訳ではない。でもまぁ、父親というのはそういう生き物なのだろう。私はまた、父の時間を奪っている。




 あっという間にカステラは無くなり、私はマグカップの底に残った、冷めかけのコーヒーをずっと吸いながら飲み干す。


 どうせ奪ってしまうのなら、せめて、親と過ごすこの時間だけは大切にしようと思った。

 ……娘と飲むコーヒーは美味しいでしょう? などと考えることこそが、傲慢なのだろうけれど。

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