私のヒモ
鯨飲
私のヒモ
うちにはヒモがいます。
といっても喋る紐のことです。
この紐との出会いは、3ヶ月ほど前のことでした。
喋る紐と出会った日、私は自殺を試みていました。
会社で毎日、道具として扱われる。
こんな人生に未練など何もないはずなのに。
今日も上司にこき使われました。
1日で終わるはずもない量の仕事を割り振られ、残業も行い、やっとの思いでその仕事を終えると、次は上司がやり残した仕事の処理をしなければなりません。おまけに、その処理が終わっていなければ上司に叱責されます。
会社と部屋を往復するだけの生活。
一体、何の意味があるのでしょうか。
今日こそ人生に終わりを告げようと、台に昇り、紐に首を吊ろうとしたその時、
「ちょっと待ってくれ。このままだと俺は、警察の証拠品保管室で永遠に過ごすことになるじゃないか」
誰かの声がしました。
「え?」
思わず私は後ろを見ました。しかし誰もいません。幻聴が聞こえるぐらいに疲れ切っているのだろう。そう思い、自殺を再開しようとすると。
「聞いてた?自殺に使われると、俺は証拠品として、警察署に保管されるの!それは嫌なんだよ!巻き込まないでくれ!」
必死に訴えかけてくる。
「紐が喋ってる?」
怪訝な目で、私は紐を見つめました。
「おお!やっと気づいたか!そうだよ俺が喋ってるんだよ!取り敢えず、俺のために自殺は止めてくれ」
「そうは言っても、自殺用に買ってきましたし...」
「あのさ、ものの気持ち考えたことある?俺だって命奪うために使われたくないよ。何かを縛ったりするのに使われてこそ紐冥利に尽きるってものさ」
続けて紐は語り出す。
「殺人事件とかでもそうだぜ?人間は被害者かわいそーとか言ってるけど、凶器の気持ち考えたことあるのかよ?食材切るために打たれてきたのに、人を刺すために使われて、その後は証拠保存のために、血がついたまま袋に入れられるんだぜ。せめて洗ってやれよ!」
そんなことを言われても困ります。道具に感情があることなんて、誰が知っているでしょうか。少なくとも私は今知りました。
困惑している私を尻目に、紐は質問してきました。
「てゆーか、何で死のうとしてたんだ?」
「仕事の悩みがあって、これ以上苦しみたくないと思ったからです」
「誰かに相談したのか?」
「いや、誰にも相談してません」
「頼れる人はいないのか?家族は?」
「まぁ家族はいますけど」
「俺たちと違ってさ、家族がいるんだったら頼ればよくないか?このまま死ぬよりもさ」
紐の言葉を聞いて、私は死ぬことばかり考えて、家族に連絡を取っていなかったことに気付きました。
「そうですね。連絡を取ってみます」
「もしもしお母さん?[#「?」は縦中横]あのね私...」
そこから、何時間話したかは覚えていません。仕事のこと、自殺願望があることなど、自分の中にある負の感情を初めて、人に吐き出しました。
母はそれら全てを受け止めてくれました。そして、実家に帰ってくることを勧められました。
しかし、私もやられっぱなしでは癪なので、会社が労働基準法を違反している証拠を集めて、会社から取れる金を取ってから転職することにしました。
そして現在、私は無事に転職を成功させることができました。
以前のように、道具として扱われる毎日は終わりを告げたのです。
そして、部屋には今も紐がいます。
上司に叱責されていたり、過剰な時間外労働を命令される様子を録音して集めている期間、家に帰ると、私はこの紐と喋って気を紛らわせていました。
「今日も上司の尻拭いのために残業させられました」
「それは災難だったな。でも証拠集めたら、とっととトンズラしたらいいから今だけの辛抱だ。頑張れよ」
証拠集めのためとは言え、劣悪な環境で仕事をするのは苦痛でした。それをやり遂げることができたのは、紐が励ましてくれたおかげです。
転職が成功した今、改めてお礼を言うために、私は紐に話しかけました。
「あの、色々ありがとうございました」
紐は返事をしません。
「聞こえてますかー」
紐はピクリとも反応せず、机の上に横たわっています。
紐と会話できないことを察した私は、靴紐をそれに付け替え、新しい職場へ向かいました。
私はもう道具じゃない
私のヒモ 鯨飲 @yukidaruma8
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