第33話 シーカーの里へ②

***


 翌日の昼過ぎにはダルカスの森の玄関口に着いた。普通の人間が竜を駆るより倍以上早い行程である。アルフィリースの操縦技術あってのことだった。

 ダーヴの町。人口三万人に届かないく程度しかないが、森の資源(材木、木の実、薬草など)が豊富であるため、地方の割に訪れる人が多く活気はある町だ。

 また森からの魔物が頻発し、森を挟んで四つの国が隣接する地帯のため、クルムスの国境警備の兵や傭兵の姿がここかしこに見える。そういった武装した連中が多い割には自然が多いせいか、ほのぼのとした雰囲気が町全体に漂っていた。

 兵士達も堅苦しい恰好はしておらず、そのあたりで野菜売りの露店の店主と座って話しこんだりしている。平和なクルムス人の気質なのかもしれない。とてもエルフの里に攻め込むような人間達には見えなかったし、戦ったような跡も見受けられない。

 とりあえず情報収集のため、アルフィリース達は町に来ている。念のためフェンナにもフードをかぶせて同行させているが、一通り見て回っても町に物々しい雰囲気はなさそうだ。念のためギルドにも顔を出して聞き回ったが、特にクルムスが兵士を動かしたような気配はなかった。


「この穏やかな雰囲気……クルムスではなかったか?」

「しかし可能性は一番高いと思います。他の三国からシーカーの里に入るのは、地形の関係でかなり難しいですから。ダルカスの森を資源として利用しているのが、そもそもクルムスだけだと聞いていますし」

「もう少し探ってみましょう」


 ニア、フェンナ、ミランダが色々話し合っている。その辺の軍事事情に疎いアルフィリースとリサは、いまいち話についていけない。


「もうちょっと私も、色んな国や土地について情報を集めないとダメね……」

「リサも同感ですね。これからは諸国の情報についても敏感にならなくては」


 アルフィリースとリサがそんな考えに耽っていると、横の通りに人だかりができているのが見えた。


「ねぇ、何かしらあれ?」

「さぁ。行ってみましょうか」

「またしても厄介事だとひしひしと感じるのは、リサだけでしょうか」


 ともあれ全員で近づいてみると、どうやら人が倒れているようだだ。男のようだが、顔は見えない。なぜだか、ミランダが妙に顔を輝かせている。

 顔を輝かせたミランダの様子を訝しみ、アルフィリースがミランダを肘で小突く。


「ねぇ、なんで嬉しそうなの??」

「だって、イケメンとの出会いの匂いがするから」

「匂いとはなんですか、スケベシスター。まぁ人助けする分には止めませんが、助けられてからが彼の本当の災難の始まりなのは間違いないでしょう」

「人聞きが悪いね!」


 などとくだらないことを言いつつも、一行は助けに向かう。

 リサは「精霊よ、哀れな通行人を助けたまえ……あのシスターに天罰を、デカ女には笑える災厄を……」などと呟いている。アルフィリースとミランダはリサの祈りに呆れながら男に声をかけた。


「もし、男の方。どうされましたか? どこかお加減でも?」

「返事がない。どうやら、ただのしかばねのようですね、と」

「リサ、冗談言わないの。ちゃんと脈はあるわよ。あ、意識が戻りそうね」

「……お……」

「お?」

「お……おっぱい……」


 間違えた、ただの変態のようだ。その瞬間、グシャッという音と共に男の頭が地面にめり込んだ。もちろんやったのはミランダである。


「あー、この人手遅れだったわ。もう、なんか色々、人として」

「いや、今ミランダがとどめを刺したよね?」

「人として手遅れなのは貴女も同じです、お姉さま」

「ちょっとリサ、アルフィだけじゃなくて最近アタシにもひどくない?」


 いつもの展開に慣れておらず、呆気にとられるニアとフェンナを尻目にぎゃあぎゃあ三人が言い合っていると、死んだかに思われた男がむくっと起き上がってきた。そして、


「あーねーさーんー!」

「きゃあああぁ!?」


 男が意味不明な言葉を発しながら、アルフィリースの胸に飛び込んで行ったのである。


「な、何するのー!」

「いやー姐さん冷たいなぁ! いつものようにやってくださいよぉ!!」

「いつものようにって、何をよー!?」


 あまりの展開に、通行人で含めて全員の頭の中が真っ白となった。いち早く正気に戻ったのはミランダだった。


「……は! ちょっとこの変態、アルフィから離れな!」

「……またしても変な虫ですか。アルフィ、変な虫を寄せ付けるフェロモンでも出しているのではないですか? くっ、天下の往来でぐっさりやるとさすがに問題になってしまう!」

「どーでもいいから、この人ひっぺがしてぇ!」


 だが三人がかりでも、男は離れる気配が一向に無い。


「今までで最大級の変な虫ですね。もはや人目を憚らず駆除するしかありませんか?」

「仕方ないね……殺るか!?」


 リサとミランダが物騒な事を言いながら顔を見合わせた瞬間――


「おい、レクサス。何をしている?」

「へ?」


 今まで何をしてもアルフィリースから離れようとしなかった男が、突然振り向いた。その瞬間、ゴンッ! という衝撃音と共に、男の頭に漬物石がぶつけられた。会心の一撃だったのだろう、男が再び気を失う。もういっそ一生目を覚まさなくてもいいかもしれないというのが、アルフィリース達の感想だった。

 そして今度こそ動かなくなった男をさらに足蹴にしながら、話しかけてくる者がいた。


「ワタシの連れが無礼をした。許せ」

「は……いえ。死んだのでは?」

「これくらいでこの愚か者は死なん。心配するな」


 目の前にいたのはアルフィリース以上の体躯を持つ女性だった。鍛えられた体は男と見まがうほどで、しっかりとした豊満な胸が性別を物語らなければ間違えても仕方ない。端正で化粧っ気のない外見ではあるが、きちんとした格好をすれば女性としても化けそうではある。だが戦士のように荒っぽくて、それでいて隙のない鋭い眼光を放つ様は、ある意味では美しく気高い猛禽を見ているような気分になり、こういう女性がいてもよいのではないかとアルフィリースは感心していた。

 ほどけば腰の近くまであるだろう黒髪を、首の少し上で一つに束ねているが、やはり黒髪はこの地域でも珍しいのか、周囲が魔術士だろうかなどと噂している。アルフィリースもレクサスと呼ばれた男を回収する慣れた動作を見つめていると、女性は既に立ち去ろうとしていた。


「それでは失礼する。急ぎの身ゆえ大した詫びもできんが、また会った折には何らかの形で返そう」

「あ、いえ、そんな……な、名前を伺ってもよろしいですか?」


 なぜか反射的にアルフィリースは女性の名前を聞いてしまった。女性は少し不思議そうな顔をしたが、特に嫌そうな顔もせず答える。


「ルイだ。事情があって名字は捨てているがね。そっちは?」

「あ、私はアルフィリースと言います。私も名字は捨てています」

「まあお互いこのような髪だ、事情は色々あるだろう。では縁があればまた会おう」


 その言葉だけを残し、そっけなく女性は行ってしまった。変態はちゃんと抱えるのかと思っていたが、足を持って引きずっていた。うつぶせなのであれだと顔面がひどいことになりそうだ、とアルフィリースが心配する傍で、ミランダが頭を抱えている。


「どうしましたか、ミランダ。イケメンをゲットし損ねた悔しさですか?」

「いや、確かに顔は悪くないがあんな変態御免こうむる……っていうより、アイツの名前がね」

「確かレクサスとか言ってたわね。まさか知り合い?」

「いや、知り合いじゃないだろうけど。どっかで聞いたような……」


 ミランダはすぐにその名前を思い出せなかったが、不吉な名前の予感があったのだ。


***


「――起きろ、レクサス。目は覚ましているだろう? そろそろ自分で歩け」

「……ばれてました?」


 引きずられていた男がむくりと起き上がる。顔に付いた泥を払うと、あれだけ引きずられながも、怪我一つなかった。


「ワタシがあと数瞬遅れていたら、どうするつもりだった?」

「うーん、とりあえずあの美人三人を昏倒させて、エルフを連れ去っていたと思いますよ?」

「結構な使い手だったぞ、後ろの獣人も含めてな」

「でもまだまだ青い感じが抜けてないですけどね。オレなら問題なく倒せます」

「あの連中が油断していればな。だが今回はそれが仕事ではない」

「まあそうですけど。ゼルヴァーに恩を売っておいて、損はないかと思ったので」


 レクサスはへへへ、と軽薄な笑いを浮かべながら答える。だがルイの表情は変わらない。


「放っておけ、ゼルヴァーがへまをしただけだ。別に尻ぬぐいの必要はない」

「姐さんがそう言うなら。で、どうします?」

「決まっている、先を急ぎたいところだが、宿にコートを忘れたからとりあえず戻るぞ」

「またヴァルサスさんに怒られますよー?」

「だから取りに行くんだろうが。だいたい貴様も着てないくせに」


 そして二人は宿に帰り、部屋に無造作に置いてある揃いのコートを羽織る。黒いコートに金のボタン。左胸に同じく金で鷹を示す紋章が刺繍として入れてある。その上からルイは背中に大剣を、レクサスは左右の腰に剣を身につける。


「姐さん、ちゃんとコートの前を合わせましょうよ」

「暑い。ヴァルサスの言うとおり羽織っているだけマシだと思え」

「うーん、ベッツの爺さんが見たらなんて言うか。黒い鷹の自覚に欠けるとか文句言われますよ?」

「あれは口うるさく言うのが仕事だ。ワタシが真面目になったら、ベッツの仕事がなくなってボケが早く進行するだろうが」

「あの爺さん、後五十年くらいはボケそうにないですけどね」

「それで生きてたら妖怪ジジイだ。軽口はそこまでだ。行くぞ」

「ああっ、待ってくださいよー。あーねーさーんー!」


 颯爽と宿を出ていくルイの後に、慌ただしくレクサスが続く。二人の進行方向に見えるのは――ダルカスの森。


***


「あ――――っ!」

「……っ! なによミランダ、大きな声出して」


 こちらはアルフィリース達である。森に入る準備をするために、今日はこのダーヴで一泊することになった。買い出しに出る前に宿を手配し、部屋に荷物を置きにきた瞬間にこの大声である。ニアやフェンナも耳を押さえている。


「落ち着きのないシスターですね……どうしましたか」

「レクサス……思い出したのよ!」

「ずっと悩んでいたのか」


 全員で怪訝そうな顔をするが、ミランダの顔は真剣そのものである。


「イメージと全然違うからわからなかった……アタシ達は運が良かったかもしれない」

「なんで?」

「レクサス。間違ってなかったら、西方諸国で『死神レクサス』『百人斬りのレクサス』って言われた傭兵よ、あの男は」

「そんなに有名な奴だったのか? ただの変態にしか見えなかったが」


 ニアがまだ信じられないといった顔をする。


「アタシも噂だけだけど。でも同じ噂を何度も聞いたから、かなり信憑性は高いわ」

「どんな?」

「アタシが聞いたのはとある国の戦争に奴が参加した時。当時若かった奴は一般の傭兵として参加し、豪雨で氾濫する河の中州に孤立した敵の軍団に切り込み、十日間で千の首を上げたと言われている男よ。まぁ誇張かもしれないけど、単独で軍を敗走させた化け物みたいな傭兵よ。でもあまりに大きすぎる功に報酬は支払われなかった。レクサスの雇い主が約束した報酬をそのまま払ったら破産するほどの額だったから。腹を立てたレクサスは雇い主、その周囲にいた兵士や近侍を所かまわず斬り伏せて逃げた。以後手配書に名前が載せられたせいで傭兵としても等級を剥奪され、その後どこかの傭兵団に拾われたとは聞いたけど……」

「一日百人で、『百人斬りのレクサス』か。そんな化け物には見えなかったけどなぁ」

「それもそうだが、あのルイとかいう女は、そのレクサスを部下のように扱っていたな……」


 ニアがぼそっと呟く。


「だとしたらあの女、どのくらい強いんだ?」

「……考えたくもないわね。とりあえず戦場で出会った時、敵でないことを祈るのみよ。違う方向に歩いていったし、まさかダルカスの森には入らないと思うけど」


 恐ろしい話に、全員が黙ってしまった。そんな強敵に戦場で出会うなど御免被ると、互いに青ざめた表情を確認しあっていた。だがミランダが窺い見たアルフィリースだけは反応が違っていた。

 アルフィリースだけはレクサスという傭兵よりも、ルイと名乗ったあの女性の方が気になってしょうがなかったのだ。同じ黒髪だということは、彼女はどんな事情を抱えているのか。それが気になってしょうがない。もっと話をしてみたいが、きっと望むと望まざるにかかわらず、どこかで戦うことになる。そんな予感に、アルフィリースは今からぶるりと手が震えるのだった。

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呪印の女剣士 はーみっと @me14090

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