第2話 後編


「私、捨てられたんです」


 彼女は、市内にある大学の学生だという。

 一学年先輩と付き合っていたのだが、その先輩の就職を機に別れ話を切り出されたのが、数時間前。

 別れたくないとすがる彼女を、その先輩はこの山の中に一人置き去りにしたと云う。


 ひどい話だ。

 見れば彼女は、コートも着ていない。

 靴も土で汚れている。

 きっと彼女は、失意と孤独を抱えたまま、一人で寒い夜の山の中を歩いたのだ。


「私って、男運が悪いんですよ」


 それに対する返答は、生憎だが持ち合わせてはいなかった。

 その代わり、新しく注いだホットワインに砂糖を落としてやった。


「甘い、です。でも、これはこれでアリ、ですね」


 微笑みながら飲むところを見るに、彼女は甘いホットワインを楽しんでいるようだ。


 ふと気づく。

 ここで彼女に朝を迎えさせる事だけは、避けなくてはいけない。

 冬用の寝袋は一つしかない。

 俺は、女性にスマートフォンを差し出した。


「誰かに迎えに来てもらうといい」

「ありがとうございます。でも両親は明日まで不在なのです」


 なるほど、地元の子だったか。

 それなら話は早い。


「タクシーを呼ぶ。それで帰るといい」


 彼女は、寂しそうに焚き火を見つめながら、そうですねと呟いた。








 次の朝。

 朝食は軽くトーストとベーコンエッグで済ませた。

 さて、今日の食料を何とかしなければ。

 駐車場の車に戻って、非常用の食糧を見る。

 お、パスタがある。

 何とかなりそうだ。


 昼をパスタで済ませたあとも、俺は相変わらず焚き火の番人をしていた。

 時折小瓶のウイスキーをちびりと飲んでは、焚き火で炙ったウインナーをかじる。

 ソロキャンプの醍醐味だ。


 だか、少しだけ寂しく思う自分もいる。

 昨夜、数時間だけ一緒に焚き火を囲んた彼女。


 ちゃんと無事に帰れただろうか。

 内緒でタクシーの運転手に握らせた一万円で、足りただろうか。


 突然、可笑しさが込み上げる。

 俺は一人が好きなんだ。

 だからこそ、ソロキャンプを楽しんでいる。

 なのに何故、他人に思考を割いているのか。

 もう会う事はない、名前も知らない、赤の他人に。


 日没近くなると、山の空気は急激に冷たさを増す。

 さて、夕食の材料は、と。

 クーラーボックスを開けて、中身のチェックだ。


「……ハムしかない」


 これで今夜の晩餐は、ハムとパスタのみと決まった。

 焚き火に薪をくべて、火勢を強くする。

 深いコッフェルに水を張り、焚き火台に置く。


「……米くらい持ってくればよかったな」


 ほんの少しだけ後悔するが、不自由を楽しむのもキャンプの醍醐味なのだと自分に言い聞かせる。


 湯が沸いた。

 とりあえずコーヒーを淹れ、心を落ち着ける。


 すっかり暗くなった空は、昨日と同じ満天の星。


「独り占めするのは、少しもったいないな……」


 思わずごちる。


「では、今夜も一緒に見ましょう」


 不意の声に、肩が跳ねる。

 振り向くと、昨日の彼女が白い息を吐きながら立っていた。

 ダウンジャケットを着込み、パンツスタイル。

 両手にスーパーの袋を提げた彼女は、少しだけ笑みを浮かべながら歩いてくる。

 それだけで、胸が躍った。


「私も一緒にソロキャンプしに来ました」

「いやいや、ソロキャンプって一人でやるものだけど」

「良いじゃないですか。ほら、寝袋も持参したし、昨日のタクシー代のぶん、全部食材にして持ってきたんですよ」

「……ここまでどうやって?」

「パパが送ってくれました。ほら、あそこに」


 河原から上がったキャンプ場の駐車場で、男性らしき影が両手を振っていた。


「……マジか」


 若い子の思い切りというか、行動は理解できない。

 彼女は二十歳で、俺は三十路。十歳も離れているのだから当然だ。

 生まれた時代も、聴いてきた音楽も違う。

 もしかしたら、義務教育のカリキュラムすら違うかもしれないのだ。


「あれ、なんで笑ってるんですか?」

「え」


 どうやら俺は笑っていたらしい。無理やり口角を横に伸ばして、顔を引き締める。


「では、とりあえずやる事を済ませますね」


 スーパーの袋を置いた彼女は、気をつけの姿勢で俺に向き直る。


「昨夜は、本当にありがとうございました。おかげで私はこうして無事におります」

「いや、そんな大したことしてないから……」


 深く腰を折り、彼女は頭を下げ続けている。


「いいえ、貴方の優しさで、私は救われました。明らかに不審な私に何も聞かず、温かいワインや美味しいお肉を振舞ってくれて、さらにタクシー代まで内緒で払ってくれるなんて。なかなか出来る事では無いと思います」


 ……ん?

 だいぶ良い方に誤解されてる気が。

 肉を焼いたのは、彼女が美味そうに食べていたから。

 タクシー代は、保護責任者なんたらに抵触しないように、社会人としての最低限の義務を果たしたに過ぎない。


「それに私、けっこうお肉食べちゃいましたし」


 スーパーの袋から引っ張り出したのは、牛肉だ。

 しかも。


「特選……黒毛和牛?」


 なんてこった。

 スーパーの安売り肉が、黒毛和牛になって戻ってきた。

 出世肉だ。わらしべ長者だ。

 これはさぞかしワインと合う、じゃない。


「はい、パパからです。お礼は後日あらためて日取りを決めて」

「ちょ、ちょっと待って」

「はい?」


 黒毛和牛のステーキ肉を開封しながら、彼女はきょとんと俺を見る。


「お父さんは、何も言わなかったの?」

「何を、ですか」


 何をって。

 そんなの決まっている。


「得体の知れない男がキャンプしてる場所に来ることを、だよ」

「そんな男の人、ここにはいません。私は、私を助けてくれた優しいキャンパーさんに会いに来たんです」


 真顔で返された。

 いや、真顔じゃないな。俺の反応を見て、笑いたいのを堪えてる顔だ。


 なんだ。

 なんだこの感情は。

 久しく忘れていた。

 いい歳して恥ずかしいけれど、これはもしや。


「それに私、貴方にときめいちゃいましたから……」

「は?」

「そ、そんなコトはどうでも良いんです。それより鉄板貸してください。あと椅子も」


 いやいや。

 どうでもよくないよ。

 てか、そういうコトを言いながら恥じらわないで。

 勘違いするから。

 おっさんって、そういう生き物だから。


 いろいろと腑に落ちないが、結果俺は黒毛和牛と彼女の弁舌に負けた。

 そうとなれば、やる事は決まった。

 鉄板を焚き火にかけて、彼女の分の椅子を展開する。


「……こんなおっさんをからかっても、楽しくないと思うけど」

「からかってなんかいません。マジです。本気と書いて、マジです」


 どうも昨日とキャラが違い過ぎる。

 というよりも、これがこの子の本当の姿なのだろう。


「さあ、今夜も一緒に焚き火を囲みましょう」


 次第に嬉しさが込み上げてくる。

 年甲斐もなく、心が躍る。


 だけど、ひとつだけ。

 言わなければならない。


「そのダウンジャケット、あんまり焚き火に近寄ると火の粉で穴が開くぞ」

「ええっ!?」


 そんなぁ、という彼女の嘆きが、二月の夜空に木霊した。



     ────終

  

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一緒にソロキャンプ 〜冬の焚き火と出世肉〜 若葉エコ(エコー) @sw20fun

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