はじめてのずぃそぅ文

架橋 椋香

初ぇっせぃ♪?

 授けられたもの、というのが、ございますみたく、一部にあるらしいのですが、私に探してみますところ、それは所謂欠損のくうの中にありますようで、負を加えると、減るものだな、を実感せらるのでありますが、先程あなた様がおっしゃったとおり、私の敬語はめちゃめちゃのNaOHであるところのようなので、此の文章はなんですか?わかったら教えてくれると大変助かる者です私は。


 ところで、私の肩に寧ろ揉むような強さでへばりついている痛み、これは、最近の入浴時のため息の無さなどに由来するもので、私はこのごろのぼせるほど湯に浸っていながらそれでも一度も安らぎをしておらず、では何をしているのかと言うと、水面の観察。私の最近の研究に依りますと、水面というのは、存在も認めがたいほどの薄く、かろい膜を持っていて、その膜は指で触れても沈むともなく沈み、破るともなく破れ、誰にも聴こえない僅か微かな、ふつ、といった音を立て、消滅、というか昔の、哲学者か科学者か、タレスなどといったような感じのひとが言っていたように、水に還ったかのような物語性、エロスを孕むのです。それで、膜は空気に引っ張られるか重力に引っ張られるかの緊張感、まさに字の上での、をしていて、それを友人に言うと彼は賢く「それは表面張力だよ」などと言うのでした。


 ここまで、やはり敬語どころでなく文章全体としてめっちゃめちゃめちゃした、それはもうNOaHノアの方舟、運ぶねなどをしてしまうのではないかという先の水ナトの回収、を引き掴みている文章が、やはりと実存していて、言いきますと、流石に言葉はどうこうする無く流れる葉であって、やばい、を良い意味で使ったり。こんな様にを一度しか使わなかったり(ここで2度めのが登場してしまうことの虚無感、水滴を噛みしめ)がされていてそれが悩ましいだとか、くるくると小さく舞っている人も居ります訳で、それを考え鑑みるカンガルーと、もう、どうでもよくね?ですわ、と言ってしまいたくなるもの。だって私だって璧ではございませぬし。思ったことをそのまま文にするとはぢになる身。赦しを乞ふる。

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はじめてのずぃそぅ文 架橋 椋香 @mukunokinokaori

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