第2話 萬田哲夫と絵都雪花(2)
「こりゃあ、修理に2、3日はかかるね」
大家さんが呼んだ修理屋は、雪花の部屋にあるエアコンを見ると、なにやら難しい顔をしてそう言った。
雪花の部屋には大家さん、修理屋、そして萬田哲夫がいた。
哲夫には難しいことは分からないが、とりあえず彼らと一緒に難しい顔をしていた。
「そうかい。なら哲夫、あんたの部屋にあの娘を泊めてやんな」
「はい、了解しました」
大家さんは90歳をとうに越える女性だったが、スラッと背筋を伸ばし、良く通る大きな声で哲夫に話した。
哲夫にとって大家さんの命令は絶対なので、考えることもせずに頷いた。
頷いて、修理屋と大家さんが帰っていくのを見送った後、首をひねった。
雪花のような若い娘がむさくるしい男の部屋で寝泊まりをしてよいものなのだろうかと。
だが哲夫は複雑なことを緻密に考えていくのが得意ではない。
ひとまず雪花に現状報告をするのが先である。
「ただいま戻りました」
哲夫が扉を開け、中に入ると、6畳ほどしかない狭い部屋にごろんと雪花が眠っていた。
思っていたより時間が経っていたらしい。
雪花のまっしろい小さな手には哲夫が買った、丈夫なロープが握られている。
「哲夫さん、死なないで・・・」
哲夫が驚いて雪花を見ると、雪花は目を閉じたままであったが、頬には涙が流れている。
寝言だったらしい。
雪花の夢に自分が登場しているのだろうか。
哲夫は雪花の頬を流れる涙に、そっと指を添えた。
透き通った、美しい涙であった。
哲夫は押し入れから毛布をいくつか取り出すと、サンドイッチの要領でぐるりと挟まり、雪花の隣に寝転んだ。
今日は死ぬはずの1日だったが、明日死ぬことにしよう。
哲夫はそう思った。
雪花が目を覚ましたのは、明朝の明け方であった。
目の前では哲夫がグオーグオーと大きな寝息を立てている。
まつ毛が長い。
ホクロが顔の右半分に7つもある。
鼻をそっとつまむと、一瞬グオッと呼吸が止まる。
離すと、またグオーグオーと寝息を立てる。
生きている、と思った。
哲夫が今日も、生きている。
そのことは雪花をなによりも嬉しくさせた。
「大家さん、おはようございます!」
大家さんは毎朝アパートの近くにある公園ででラジオ体操をしている。
アパートの住人たちは基本夜型なので参加しないのだが、雪花は大家さんが好きなので、よく早起きして一緒に体操をしていた。
「おはようさん。雪花、春なんだから無理して出てこないでいいんだよ」
「大丈夫です、短時間なら氷を身にまとえば問題ないですから」
雪花のスラリと伸びた白い腕は薄く氷で覆われていて、太陽の光を反射するとキラキラ輝いた。
「ほう、器用なもんじゃな」
ラジオ体操の軽快なリズムに合わせて、雪花と大家さんは上下左右に身体を揺らす。
雪花はちらりと哲夫の部屋に目を向けるが、哲夫が起きた気配はない。
ラジオ体操が終わると、大家さんは雪花のスタンプカードにスタンプを押した。30個貯めた者には、大家さんの畑で採れた果物やら野菜やらをプレゼントするのである。
「大家さん、ありがとうございます」
「真面目に体操に参加してくれるのは、雪花くらいだからね」
「えと・・・哲夫さんとのことです」
ああ、と大家さんは言って萬田哲夫の部屋に目を向ける。
古びたアパートは今日のような快晴でも、寂しげな建物に見えた。
「雪の結晶で機械の動きを止められるのは、雪花くらいだからね」
「すみません!哲夫さんが今にも死んじゃうんじゃないかって考えたら、いても立ってもいられなくて・・・」
雪花は泣き出しそうな顔をして、大家さんに謝った。
どうやらエアコンが壊れたのは、雪花の雪女としての能力によるものらしい。哲夫を死なせたくない一心で、雪花は今回の行動に出たのだ。
大家さんは怒ったりはせず、雪花の白く美しい髪を優しく撫でた。
哲夫を死なせたくないのは、大家さんも一緒なのである。
「さて、今日はどうやって哲夫を生き延びさせるんだい?」
大家さんがにやりと笑う。
雪花も桜の花びらが舞うような満開の笑顔を見せた。
そして、かばんからノートを取りだすと、哲夫の部屋に向かってにっこりと笑いかけた。
「哲夫さん生存作戦」とノートには書かれていた。
明日死ぬ男と隣人さん @kuroneko77770801
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。明日死ぬ男と隣人さんの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます