明日死ぬ男と隣人さん

@kuroneko77770801

第1話 萬田哲夫と絵都雪花

死にたい。

明日にでも死ぬしかない。

ある雨の日、萬田哲夫はそう思った。

哲夫が死にたいと思うのは、雨の日に限ったことではない。

うだるような晴天の朝も、しんと真っ白な雪の夜も、哲夫は死にたかった。

ドンッドンッドンッ。

哲夫が暮らすのは築70年の廃屋のような2階建てアパートである。家賃3000円、風呂なし。

扉を今にも壊しかねない勢いで叩かれ、哲夫はしかたなく扉を開けた。


「哲夫さん、大変です!」


明るい声がオンボロアパートに響き渡る。

扉の前にいたのは、絵都雪花だった。

雪花はアパートの住人の1人で、哲夫の隣の部屋で暮らしている。


「雪花さん、僕は今日忙しい。やっと丈夫なロープと死ぬにふさわしい椅子を購入してきたんですよ。今から遺書も書かなければいけないし・・・」

「すみません、哲夫さんが毎日忙しいのは分かってるのですが・・・そんなこと言ってる場合じゃないんです!」


雪花は哲夫の腕をとると、外へと引っ張りだした。

哲夫はまったく忙しい忙しい、と言いながら雪花の後を裸足でついていく。

雪花が哲夫を連れてきた場所は、雪花の部屋であった。


「エアコンが、壊れてるんです!」


雪花は部屋の片隅にあるエアコンを指差し、今にも泣き出しそうな顔をして叫んだ。

季節はちょうど4月になったばかり。町中には桜が咲き誇り、気温は暑すぎず寒すぎず、快適な毎日が続いている。

しかし、それは人間に限った話。

雪花は雪女の末裔であった。

雪女にとっての適温は氷点下であり、小一時間4月の気温に触れていると、熱中症もしくは最悪の場合死に至ることもある。


「これは大変ですね・・・」


哲夫は自分が死にたいからといって、

「いいじゃないですか、これで死ねますよ」などと言う男ではなかった。

ここで雪花を助けないと、死ぬときに後悔が残る。

萬田哲夫という男は生涯に一片の後悔も残したくないのである。


「ひとまず僕の部屋へどうぞ」

「哲夫さんの部屋に?いいんですか?」

「緊急事態なので」


哲夫は雪花を自分の部屋に連れていくと、エアコンの冷房温度をガンガンに下げて、扇風機を回した。


「具合はどうですか?」


哲夫は雪花に慮るような視線を向けた。哲夫の目は思慮深く、常闇の深遠のように黒い。雪花はその悲しげで優しい瞳が好きだった。


「だいぶ楽になりました。あ、哲夫さんは寒くないですか!?」


雪花の言葉に、哲夫は自分の服装を見た。半袖短パン、ほとんど下着姿のような格好である。春の陽気の中でなら問題はないが、冷房が効いた部屋では寒すぎるというものだ。哲夫は押し入れからロングコートを取り出すと、上からそのまま羽織った。


「すみません、ご迷惑をおかけして・・・」

「いえ、これから大家さんにエアコンを何とかしてもらうよう話してきますので、しばらくここに居てください」


哲夫はそう言い残すと、バタンと扉を閉めた。

雪花が哲夫の部屋に入ることは初めてであった。一ケ月前にアパートへ入居してから、哲夫には何度も助けられた。哲夫はいつも死にたい、死にたいと言いながら雪花を助けた。

そのうちに、雪花は哲夫にたいして想いを寄せるようになっていた。

雪女と人間が恋をしてもけして良い結末にはならないと、雪花は亡き母親からよく聞かされていた。

住む世界がちがうのだと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る