シン・エヴァを観るために走った話(物理)

竹尾 錬二

第1話シン・エヴァを観るために走った話(物理)

 本日、2021年3月8日は『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の公開日である。私はこの日の為に心身を整え、準備万端で劇場に挑んだ。


 新世紀エヴァンゲリオンとは、私にとって呪いのようなアニメである。

 今も私の肚の中でトグロを巻いているエヴァへの恩讐を、ほんの僅かに解説しておこう。

 1990年代の終わり、学生だった私は否応無しにエヴァンゲリオンブームの渦中へと叩き込まれた。初めて見たのは朝の6時からの再放送。『第8話 アスカ来日』である。

 アニメを見るという習慣が無かった私は、殻から出た雛が初めて見たものを親と思いこむように、エヴァに染まった。

 当時の学生生活は恋に部活と充実しており、振り返ってみても、人生で最も活力と刺激に満ち溢れていた時期だった。エヴァは、私の学生生活に添えられた彩の一つだったと言える。

 余談だが、私が初めて読んだエロ本は、当時の18禁のエヴァのアンソロジーコミックである。今思えば粗悪なアダルトコミックであるが、薄暗い部室での回し読みの背徳感に心躍らせたものだ。尚、そのエロ本は所有していた先輩が卒業の際に『これはお前に託す』と渡され、今も実家の学習机の底に眠っている。

 テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』が前衛的とも言える不可解な終りを遂げ、その最終回を補完するように作られた劇場版『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』も、観客に明快な物語の答えを示すものでは無かった事は、既に諸賢ご存じの事だろう。

 世には、浅薄なエヴァの解釈本や、便乗した哲学書、心理学書が溢れかえった。

 エヴァの放送と時を同じくして、当時の私の生活に革新的な変化が起きた。――インターネットの開通である。

 私の実家は、当時ではかなりインターネットの導入が早い部類だったように記憶している。ダイアルアップ接続の貧弱な回線だったが、インターネットというものを触ってみたいという友人が、何人も家に遊びに来たものだ。

 私にとって、インターネットは検索エンジンを使った調べものの道具に過ぎなかったが、ある日ふと、エヴァについて調べてみようと悪戯心を起こした。

 ――禁断の、扉が開いた。

 当時個人サイトで隆盛していた、エヴァの考察、そして、二次創作の数々が、私を待ち受けていた。

 インターネット空間に散りばめられたそれらのテキストは、エヴァを見終えた私の中に燻っていた不完全燃焼感を補完し、私の心を大いに慰撫した。 

 私は、とりわけエヴァ二次創作に没頭した。そこにはエヴァに心惹かれ、美しい結末を望む人間達の飢渇が絞り出した、数多くの物語が存在した。

 最初期のWEB創作はほぼ全てが自サイトで、稚拙なHTMLで作られた数えきれない程の小説サイトがアクセスカウンタの回転を競い合っていたものだ。

 彼らは、WEB上に創作を発表するという活動に於けるアーリーアダプターだった。小説サイトというインフラの存在しない時代、道なき道を拓いて己が作品を発表した者たちだ。

 エヴァの二次創作は、多種多様に分岐し、複数の類型が派生していった。

 劇中のターニングポイントとなるシーンで、主人公の碇シンジが違う選択を行い、分岐した物語を描くもの。LASやLRSと呼ばれる、恋愛主体の作品。助言をするオリジナルキャラクターを登場させるもの。あるいは、シンジが時間を逆行し、未来知識を以て戦いに挑むもの。エヴァの視聴者がシンジに憑依して原作知識を万全に活用して戦うものなど、作中でヘイトを集めたキャラを断罪するもの――今思えば、現在のWEB創作での流行要素と同様のエッセンスを取り入れたものも多かったように思う。

 とりわけ私が最も愛したのは、『GenesisQ』という有名な作品だった。謎の敵生命体、使徒を全て擬人化して登場させた現代ファンタジーとしてのエヴァという、二次創作の中にもかなり変則的な作品である。

 ハマった。感想で初めてEメールというもの出した。返信が来て歓喜した。作中のエッセンスから、作者の方が同郷であることを看破した事は一層ファン心理を強めた。

 作者の方が発行している同人誌も買った。その頃の同人誌には、本名と電話番号が載っているのは珍しくない。作者氏は、サイトの日記欄に娘さんの画像を載せていたり、第二子誕生の喜びを綴っていたりしたものだ。大らかな時代だった。 

 私の人生を変えた一文がある。

 それは、『GenesisQ』のサイトにダイアリーに綴られていた、作者の方の言葉だ。


「どこに行っても、僕が満足できるエヴァンゲリオンは無かった。

 だから『僕が書こう』、そう思った」


 ――『僕が書こう』

 その一言は、後に私を二次創作へと誘っていくことになるが、長くなり過ぎるのでその話は割愛しよう。

 『GenesisQ』も更新頻度は落ちていき、第25話にてやがて止まった。テレビ版と同じ、26話で最終話の予定だったという話だから、本当に物語は最後の最後だったのだ――。

 数年が達ち、エヴァは新劇場版が開始された。それは、テレビシリーズの後ろ暗さを脱ぎ捨てたような、エンターテイメントとして生まれ変わった新しいエヴァンゲリオンだった。

 『序』『破』文句のつけようのない展開だった。そして、破の予告に映し出された文字。

 ――『Q』

 長らく止まっていた、『GenesisQ』のダイアリーが久しぶりに更新された。

 

「心臓が止まるかと思った。頑張らなくちゃと思った」


 作者の方のその書き込みに、『GenesisQ』の完結の希望の灯が見えた気がした。

 しかし、結局更新は行われることなく、『GenesisQ』はサイトごと消えた。

 今は、DLしてZIPに固めたサイトのHTMLファイルが、私のHDの底に沈殿しているのみである。


 更に数年、満を辞して登場した『新ヱヴァンゲリオンQ』は多くの観客を落胆、或いは困惑の渦に落とし込んだ。エンタメ路線を捨て、旧作に戻ったような陰鬱なトーン。観客を置いてけぼりにした展開の数々。

 しかし、私は『Q』を鑑賞して歓喜を抑えきれなかった。

 これでいいんだ、これがエヴァなんだ。そんな暗い喜びを、『Q』は満たしてくれた。

 そして、完結編となる『シン・エヴァンゲリオン』を待ち続けて数年。

 延長に次ぐ、延長。コロナによる再延長。

 待った。待ち続けた。エヴァは既に私の一部である。面白いとかつまらないとか、そんな次元でエヴァの終わりを待っていたのではない。

 云わば、青春の負債――高額ローンの、最後の引き落としを待つような心境に近いものがあった。

 そうして、ようやく公開日が決定された。

 3月8日。その日を指折り数えて。

 待って、待って、ようやっと迎えた、今日この日である。



 ◆


 睡眠は十分にとった。

 体調も万全に整えてある。

 鑑賞を妨げるような小用は全て済ませておいた。

 席は既にインターネットで予約済。

 私にとって、重要な節目となる日だ。髭も綺麗にそって、服装も身綺麗に整えた。

 開演は14時10分である。

 12時には、TOHOシネマズのある駅ビル一体型ショッピングモールに到着し、フードコートに3月に開店した新しいラーメン屋で担々麺を食べた。旨くも不味くも無かった。

 暫し、紀伊國屋書店を冷やかした。余命3000字がポップ付きで紹介されてあるのにはほっこりした。探している『衛府の七忍』の最終巻は無かった。剣道日本を買おうかと思ったが、荷物になるので鑑賞後にする事にした。

 手持ち無沙汰となったので、ショッピングモールでタピオカを飲んだ。実に久方ぶりのタピオカである。+300円でタピオカ倍量にすれば良かったと、少し後悔した。

 上映時間は長いので、トイレに行っておくことも忘れない。

 後はインターネットで予約したチケットを発券し、劇場が開くのを待つばかり。


『該当する予約が存在しません』

「――?」

 

 発券が、失敗する。


『該当する予約が存在しません』


 幾度も、そんなエラーメッセージが表示された。

 そんな馬鹿な。

 スマホを覗いて、予約を確認する。


『TOHOシネマズO分W田タウン』


 ――は?

 そこに書かれていたのは、郊外の寂れたショッピングモールの名だった。

 おかしい。私が予約したのは、このオシャンティーな駅ビルの『TOHOシネマズAプラザ』では無かったのか!

 何度見直しても、文字は変わらない。

 完全に、予約する劇場を間違えていた。

 時計を見る。上映開始まで、後三十分と僅かしかない。

 肚を括った。

 私は、今日何としても、シン・エヴァを見るのだ。見なければならんのだ。

 駅ビルを駆け出し、乗ってきたクロスバイクに跨った。

 TOHOシネマズO分W田タウンまでの距離は、道沿いで約10㎞程か。ロードバイクなら、10㎞30分で走る事は造作も無い。勿論、速度を維持して走れるなら、の話だが。

 私のクロスバイクはかなり重い。しかも、半端な田舎の市街地にはありがちな事だが、信号も多く、車道も狭いので、自転車は速度を抑えて歩道を走るしかない。

 その上致命的な事に、私のクロスバイクは、左のブレーキが故障していた。今日は、鑑賞が終わったらその足で行きつけの自転車屋に持ち込み、バスで帰宅する予定だったのだ!

 ブレーキの故障の原因は、スリップして派手に転倒して、ブレーキレバーが物理的に折れ曲がった事である。かなり激しい勢いで転んだが、その時の私は『よっしゃ! 受け身は完璧ノーダメージ!』と奇妙な悦びに浸っていたものだ。

 ブレーキの壊れた自転車で速度を出すのは、危険だ。私は、交通規則は順守するのがモットーである。

 安全に配慮しながら、可能な限りの最高速で――!

 国道十号線を下り、大道トンネルを越えた。

 ここまでは、駅からのバイパス沿いなので比較的安全に走る事ができる。

 問題はここから先だ。

 O分W田タウン――このショッピングモールは、私の高校時代の母校の直下にあった。

 開業したのは、忘れもしない、私が高校生の時代だった。

 遊びたい盛りの私達には良い溜まり場だったし、高校三年生になって部活を引退した後には、毎日のように悪友たちとゲームセンターにゾンビを撃ちに通っていたものだ。

 しかし、ここは地元の商店街のシェアを奪い、自らも食い尽くすようなショッピングモールの典型で、今は当時の賑わいは無い。

 時計を見る。距離は、半分近く稼いだか。しかし、時間がない。

 高校時代の元通学路だ。道は知り尽くしている。けれども脇道も信号も多く、道幅も狭いこのルートを通って間に合わせるビジョンが見えない。

 自転車で最高速で駆けるには――バイパスをもう少し下り、河川敷を通るという手もある。しかし、この川は大きく膨らんで蛇行している上、支流への分かれ道があり、単純距離に換算すれば1,5倍程も遠回りになる筈だ。

 距離の利か。

 自転車の全力か。

 私は、後者を選択した。

 ド田舎の中のド田舎だ。昼過ぎに河川敷を歩いている人間など、まず間違いなくいない。居たとしても、遠距離から目視確認できる。勿論、見えない脇道から飛び出される危険性もない。

 自転車をブッ飛ばすには、もうこれしか、ない。

 前輪のギアを最大の3に、後輪のギアを最大の8に。

 河川敷に入ると共に、立ち漕ぎダンシングの姿勢に入って、全身全霊で自転車を漕いだ。

 左右に民家も疎らなド田舎だ、マスクまでむしり取ってポケットに押し込み、肺に空気を流しこんだ。

 クソったれの最悪な状況だったが――私は、こんなアクシデントが嫌いではないのだ。

 ガチ体育会系の根性見せたるわオラァ! 

 胸中で毒づいて、総身の力を注ぎ込んでペダルを踏み続ける。

 河原は菜の花が咲き乱れていた。

 菜の花のマヨネーズ和えは母の好物だ。休日には摘んで届けるか。

 エヴァを見るのだ! という思いに白熱する脳髄に、チリチリと雑念が挟まる。

 河川敷は、O分W田タウンから離れる方向に膨らんでいた。

 本当に、この選択が正解だったのか?

 疑念と恐怖が胸中に満ちる。

 やがて、立ち漕ぎダンシングに限界が来てサドルに尻を落とした。

 あの輝かしい学生時代なら、10㎞程度の距離、自転車なら苦でも無かっただろう。

 だが、あっという間に足に疲労が溜まる。

 肺が喘鳴音をあげる。

 体力、落ちてるなあ。

 仕方のない事である。鍛えるのを止めてはいないが、こちらはもういい齢したオッサンなのだ。

 14歳で時が止まったエヴァパイロットとは訳が違う。

 最初にエヴァを見た時は、主人公達、14歳のエヴァパイロットとそう変わらない齢だった。

 それが何時の間にか、上司のミサトさんの齢をとっくに追い抜いていた。

 カレンダーが捲れる速度は加速する一方。

 この調子では、主人公の父親の碇ゲンドウの齢になってしまうのも、あっという間だろう。

 だが、今、この時、自転車を漕いでいる私は、まるで学生時代に戻ったかのような全力を出せていた。

 心地良かった。

 コロナ後に再開された稽古は、やれソーシャルディスタンスだの、声は控えめにだと、制限が多く、汗の一滴まで絞り尽くすような稽古は未だできてはいなかった。

 心臓が痛い。肺が苦しい。

 理系、文系、体育会系、私は人生のステージに於いて、自分の立ち位置を幾度も変えてきた。

 だが、根はここだ。己の身体性に根差した部分こそが、私の根幹なのだ。

 景色はぐんぐんと変わり、懐かしき学び舎が近づく。

 やがて、河川敷は途切れ、田畑で条里に区切られた農道を通って、私は目的地に辿り着いた。

 自転車は鍵もかけず駐輪場に突っ込んだ。

 このオンボロチャリを盗むような馬鹿がいるならお気の毒に。利かないブレーキで車道に突っ込んで死ね。

 最後は自分の足頼み。走って、走って、シアターに飛び込んだ。

 時計は、開幕の五分前を示していた。

 発券は恙なく行われた。胸を撫で下す。

 普段映画を鑑賞する時には飲食物は買わないが、余りに喉が渇いていたのでコーラを購入した。

 喉から喘鳴音を慣らして肩で息する、あからさまな不審者だったが、入り口では何事も無く通る事ができた。額で計るサーモグラフィー式体温計、あれは絶対にガバに違いない。

 

 予約をしていた席に深く腰掛け、息を整える。

 調心、調息。長年身に刻んできた、マインドセット。

 息と共に、乱れていた心もすっ、整った。

 間に合ったという安堵、間に合わせてやったという達成感。

 汗はまだ引かないが、前後左右の観客とは席も離れているので、勘弁して貰おう。

 緊張と安定が拮抗した、最高の心持ちだった。

 私の映画鑑賞のコンディションを最高に整えるのは、タピオカなどではなかったのだ。

 心臓の鼓動は、まだ少し速い。

 私は、開幕の時を待った。



 終劇

 

 

 

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シン・エヴァを観るために走った話(物理) 竹尾 錬二 @orange-kinoko

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