第7話

流石アキバツの軍だった。部隊を率いている指揮官一人一人が尋常ではなく手強い。サケツはゴロを追い詰めたものの礫一つで戦況を変えられてしまい、サイカの鮮やかで華やかな用兵のせいで圧倒的に数で勝るハラムとハラルの歩兵を押し切れずにいる。

 サイカの騎射がまた見惚れるほど鮮やかですれ違いざまに馬上でほぼ体を寝かせて九矢射るのだ。あれで五千を指揮していた将軍が射抜かれた。到底人間技とは思えない。

 だが、クルマユにはそんなことどうでもよかった。アキバツ。今対峙している稀代の武人。クルマユはアキバツの攻撃を凌ぎ切るので精一杯だった。赤備えの赤騎兵は見ているだけで鳥肌が立つ思いだ。アキバツの目は引き込まれるように美しく、激しく燃えている。体からゾクゾクとしたものが湧き上がってくる。生涯の最後にこれほどの相手に巡り会えるとは…。武人としてこれほどの僥倖があろうか。



  クルマユは楔形で突っ込んだ。しかし、赤騎兵は綺麗に二つに割れた。速度を緩められず間を走り抜けていく。間を走り抜け中心に達した時、クルマユは軍を四つに分けて半分ずつぶつかった。だが、赤騎兵はさらに細かくばらけて蜂のように刺しては引くことを繰り返した。赤騎兵の動きは目で捉えきれぬほど速く、残像が真っ赤な霧を作り出す。振り払おうとしてもピッタリと張り付いてくる。冷や汗が全身から吹き出してくる。気を抜けば部隊が粉々に砕かれそうだ。赤騎兵の圧力が心臓を締め付けてきた。部隊をなんとか一つにまとめて車輪を作った。回転させる。霧を少しずつ弾きながら前進する。赤騎兵も高速で回る車輪に手を出しかねているようだ。赤騎兵が徐々に退いていく。ついに抜けた。

 瞬間、ゾッと嫌な予感がクルマユを襲った。その正体を見極める前に赤い槍が車輪を貫いていた。衝撃は強大で八千の騎兵が余さず吹き飛ぶ。クルマユは車輪を六つの方陣に分けようとした。だが、その前にアキバツは反転して鶴翼の陣形で側面を突いていた。クルマユの軍が崩れる。なんとか押し返そうとするが動揺した軍は赤騎兵に押されに押され、鶴翼の中央に掃かれるように追い詰められる。不意に側面の圧力が消えた。

  圧力を跳ね除けようと外に向けていた力がぶつかる力を失い陣が緩んだ。クルマユは不審に思った。圧倒的に追い詰められているのはこちらだ。そんなところでアキバツが手を抜くなど考えられない。目を凝らすと両翼が中央の付け根に吸い込まれている。瞬く間に一つの焔球が出来上がった。クルマユの顎から汗が伝った。先ほどよりもさらに濃い脅威の予感。

  一箇所に集約した焔球から一片の彗星が飛び出した。再び強大な衝撃が走った。否。先ほどよりもさらに絶大な威力だ。中心に届くと彗星がさらに九つに分裂した。うち一片がクルマユに真っ直ぐ向かってくる。アキバツ。目の前に迫る。馳せ違った。アキバツと直接渡り合う。一撃目。剣がアキバツに弾かれた。手の感覚が消える。軍略だけでなく武術もまた天賦だ。

  アキバツの剣は空中で弾かれたように跳ね返った。首がチリチリと熱い。瞳が首元に吸い込まれていく剣をゆっくりと写す。躱そうとするも体が縛られたように動かない。何とか重い腕を動かし、二本目の剣を抜いた。しかし、到底間に合わない。死の予感がすぐ側まで迫っていた。だが、それが命に届く寸前に赤騎兵に動揺が走った。聴き慣れた雄叫びが耳に入る。サケツだ。サケツが赤騎兵の背後を突いたのだ。無論張り付いていたゴロがそれを容易に許すわけもなく騎馬隊は半数が倒されている。だが、捨て身とも言えるこの特攻はアキバツの意表をも突いたようで一瞬動きが止まった。

 半ば無意識にクルマユはなけなしの力を振り絞り、アキバツに斬りかかっていた。どこかを斬った感覚が仄かにあったが、アキバツは馬にほとんどぶら下がるようにして躱していた。もう一撃を加えれば首が取れる。しかし、体が動かなかった。赤騎兵とのぶつかり合いだけでも命を削るような負担が掛かっていたのにアキバツの一撃がクルマユの体力、そして気力までも奪い去っていた。

 (動け…動くんだ!)

 手が自分のものではないかのように重かった。間に合わない。再び雄叫びがこだました。サケツが単騎で駆けてきた。アキバツはまだ体勢を立て直せていない。サケツの剣が今度はアキバツの首に向かって振り下ろされる。アキバツは急いで起き上がろうとしているがサケツの方が僅かに早い。獲れる。クルマユは思わず拳を握りしめた。


 凡庸な相手ならここで勝負は決まっていただろう。だが、サケツもクルマユも忘れていた。相手がこれまで対峙したなかで紛れもなく最強の怪物、アキバツであることを。

 「なっ…」

  アキバツの体が跳ね上がる。剣が凄まじい唸りを上げて稲妻のごとく飛翔する。サケツの渾身の力が篭った剣とぶつかり合った。天が割れんばかりの音が鳴り響き、僅かな時差も生じず、剣もサケツの胴体も真っ二つに両断されていた。

 血と臓物が派手に降り注ぐ。これまで腐るほど見てきたそれが息子のだけはまるで違うものに見えた。頬にかかった血が氷水のように冷たかった。愛した息子が二つになって地に落ちる。死体は敵味方入り乱れた戦場で蹄に踏み砕かれ、すぐに形は無くなった。クルマユは悲鳴と咆哮が入り混じった血が滲むような叫びを上げていた。頭が真っ白になる。


  そこからの記憶は幕が掛かったようにプッツリと途切れていた。次に記憶が紡がれた時、周囲には赤騎兵の死体が三十人ほどが散乱していた。それは正しく散乱といった具合で地面にぶちまけられた死体は斬られ、砕かれ、裂かれ、潰されてぐちゃぐちゃに撹拌されていた。

 アキバツ軍の姿は無かった。見ると側にマハルが控えていた。マハルが三万を率いて急行してきたからアキバツは引いたのだろう。先ほどまでは音に満ちていた戦場が悲しみに溢れた無音が漂っていた。

  息子のサケツがアキバツの手で殺されたのが夢のように思える。しかし、紛れもない現実だった。サケツの血が掛かった頬が火傷したかのようにヒリヒリと痛む。

 激情など湧かなかった。ただ、腹の底から冷たい怒りが滲み出てくる。

 「クルマユ様、アキバツを止められず申し訳ございません。アイツは船を使って河を遡っていたようで私が想定できなかったのが全ての敗因で…」


「マハル。」

 クルマユはマハルの言葉を途中で遮った。マハルは自分をだしぬいたアキバツがクルマユに奇襲をかけたためにサケツが討たれたと自分を責めているのだろうが、クルマユはアキバツと正面から正々堂々と戦った。そして破れたのだ。こちらの犠牲は一万に及ぶ。向こうはせいぜい三千といったところだ。

 ヨルムンド帝国の禁軍は退けた。その時点で目的は達している。アキバツとの戦はいわば場外戦だ。しかし、このまま帰れるのか。自軍の半分にも満たない軍に翻弄され、指揮官は一人も討てずあまつさえ息子まで殺された。生涯最後の戦に華を咲かせるつもりが残ったのは惨めさだけだった。

 「追撃するぞ。一人残さず殺し尽くしてやる。」


 「えっ…し、しかし」

 何かを言いおうとしたマハルを鞭で叩き落とした。

 「言葉を挟むことは許さん。」

 普段賢知に溢れたクルマユの目には狂気の光を放っていた。赤騎兵との戦いで死の淵を飛び越えたからだろうか。

 マハルは変わり果てたクルマユの姿に衝撃を受けた。今のクルマユには何を言っても無駄だろう。マハルは唇を噛み、拳を血が噴き出すほど握りしめた。そして、部隊にクルマユの命令を伝えた。敗戦で沈み込んでいた軍ににわかに活気が戻った。



  騎馬隊でアキバツ軍の背を捉えた。

  ぶつかる。圧倒的大軍のクルマユを散々に掻き回したアキバツだが寡兵の常としてその分クルマユ軍よりも多く駆けなければならなかった。馬はもう潰れる寸前だろう。

  思った通り赤騎兵もゴロたちの騎馬隊も小さく固まって攻撃を弾き返している。そこの動きは見事だったが先程の縦横無尽に駆け回っていた時に比べたらまるで問題にならなかった。

  少しずつ防御を削り取っていく。だが、アキバツもよく耐えている。

  アキバツ軍に僅かに揺らいだ。回り込んでいたマハルが攻撃を開始したのだろう。クルマユもここぞとばかりに攻め立てる。

  アキバツは右、左と包囲を逃れようとするが数で押さえつける。アキバツは逃げ場を無くされ、方向を限定されていく。行き着く先は騎馬が力を発揮できない狭く起伏の多い土地、モカ平原だ。アキバツ軍の動きがいよいよ激しくなる。それは網から逃れようともがく、哀れな獲物のある足掻きにも似ていた。


 ついにアキバツ軍をモカ平原に追い詰めた。あたりを四万の軍で包囲しているため逃げ場は無い。

 これほど絶望的な状況でもアキバツの軍は誰一人として戦意を失っていない。それは天晴れと言えた。これまでのクルマユならば、これほどの軍を殲滅するのを躊躇って投降を呼びかけるだろう。

 マハルはチラリとクルマユを窺った。声が出そうになった。優しかったクルマユは今やその面影すらなくギラギラと目を血走らせ、口の端からは涎が垂れている。まるで賽の河原にいる餓鬼だ。これが息子を失い、憎しみに囚われた父親の成れの果てなのか。尊敬している名将の変わり果てた姿はにマハルは胸を突かれ、むやみやたらに叫び散らしたい衝動に駆られた。そして、クルマユをこんな風にしたアキバツを殺したいとも思った。



 クルマユが駆け出した。マハルも遅れじとついて行く。

 だが、そこで突如異変が起きた。

 前を走っていた騎兵が一斉に地面へと吸い込まれていったのだ。否、騎兵が乗っている馬が次々と倒れているのだ。地面に影が蠢いていた。その影が散らばり、集まり、馬の足を刈っていた。地面から火が噴き出した。まるで地獄からの贈り物だ。光が飛び散り、轟音が響き、悪臭が漂う。馬が驚いて棹立ちになり、部隊はすぐに混乱に陥った。

 マハルはその混乱の中でなんとか隊形を整えようとした。

 「怯むな、敵は少数だ。しっかりと隊形を組んで対処すればどうってことはない。」

 マハルは何度も大声で繰り返した。部隊が落ち着いてくるのがわかる。 

「せっかく乱したのに…整えようとするなんて悪い人だわ♪」

 天からゾッとするような声が聞こえてきた。脳まで凍りつきそうになる。全身に寒気が走る。

  上を見上げると少女がいた。手には数人の首をぶら下げている。それを投げつけてきた。首がとんでもない速度で飛んでくる。

(小癪な!)

剣で残らず叩き落とした。血と脳が飛び散り視界を塞ぐ。手にふわっとした感覚を感じた。そよ風が吹いた感じだ。

  視界が晴れた時少女の姿は無かった。

 「こちらよ…おじ様♪」

  声がした方に振り返った。少女は馬の上を軽やかに跳ね回りながら嬉々として兵の首を刎ねている。首がぽんぽんと宙を舞う。マハルは馬首を回そうとした。しかし、動かない。どうしたというのだ。馬に目を落とす。手綱を握った右の肘から下の部分が鮮血を迸らせて別の生き物のように動いている。

  「あはは…楽しいわ♪もっともっと遊びましょ♪」

  信じられないほど残酷な光を放つ少女がいつのまにか目の前にいた。


  「貴様は一体何者だーー」

 マハルは怒りに任せて残ったもう一本の手で剣を振った。少女は空中で身をくねらせ、易々と躱した。手に先程と同じようなふわっとした感覚が感じられた。見ると手首から先が無かった。

  また楽しげな笑い声が聞こえて来る。そして意識は闇に包まれた。

  「私の名前はツクヨミっていうの♪っておじ様…もう終わってしまわれたの?とってもつまらないわ。」



 マハルが討たれるのがはっきりと見えた。

  先程のゆっくりした動きが嘘のように赤騎兵が、ゴロやサイカの騎馬隊が再び活発に動いていた。伏兵で浮き足立った味方の軍を好きなように蹂躙し始めた。

  嵌められた。今更その事実を認識した。

  アキバツは最初からここに兵を伏していたのだ。いつからか。戦が始まってからは頻繁に斥候を出していたので恐らく十数日前からだろう。

 アキバツは元からここで戦の決着をつけようしていたのだ。クルマユ一つの首ならば先程の戦で落とせた。しかし、アキバツの狙いは騎馬隊の殲滅にあったのだ。

  だからこそ先にサケツを討ったのだ。クルマユを追撃へと誘導するために。何という策略、何という鬼謀。身体中の粟がいつまで経っても消えない。

  全てがアキバツの掌の上にあった。

  完敗だ。悔しくもあるがいっそ清々しい。

  崩れつつある軍を赤い矢が貫いてくる。アキバツ。目の前にいた。剣を斬り上げた。アキバツは斬り下げてくる。

  剣が空を斬った。胸に熱いものが広がってきた。見ると胸から首にかけて綺麗に斬られている。熱い血と共に命が流れ出ているのがしっかりと感じられた。アキバツが反転した。ほっておけばしばらくして死ぬのだろうがアキバツは介錯をしてくれるようだ。ありがたいと素直に思った。先程の憎悪が嘘のように消え失せ、あるのは爽やかで清々しい気持ちだけがあった。

  「ああ…楽しかった。」

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最強英雄建国記〜国に裏切られた英雄は荒地に国を建てることにした〜 @kisiro

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