電車に乗った王子様(KAC20211)

つとむュー

電車に乗った王子様

「ねぇ、パパ。『おうちじかん』ってなに?」


 家に着くといきなり質問された。

 小学校二年生の娘に。


 おうち時間って、アレだろ?

 新型コロナウイルス感染拡大で、テレワークが叫ばれて話題になったワード。

 それだったら簡単じゃないか。


 ――おうちにいる時間のことだよ。


 そう答えればいい――と思ったところで俺はふと考える。

 だったら、娘はわざわざ玄関までやって来るだろうか?

 俺のことを待ちわびていた輝きをキラキラと瞳に宿しながら。


 そんな簡単な答えで満足できるのなら、妻がすでにやっているはずだ。

 それで納得できなかったから俺に助けを求めているのだろう。

 それにしても愛娘はやっぱり可愛い。


「ねえ、香鈴ちゃん。その言葉、どこで聞いてきたの?」


 靴を脱ぎながら訊いてみる。

 娘がこの言葉を聞いてきた経緯に、彼女の疑問に対する答えが隠されているはずだ。

 俺は娘の答えを待ちながら、靴入れの上のアルコールで手指を消毒しマスクを外した。


「えっとね、国語の時間にね、先生が教科書を読んでたら突然、男子が叫んだの」


 国語の時間?

 先生が教科書を読んでいる時に?


 これはなかなか難しいシチュエーションだぞ。

 教科書に何が書かれているのか、俺には分からないから。

 というか、新型コロナのことがすでに教科書に書かれているのか?


 いやいや、それはないだろう。

 娘が使っている教科書は、一年前の四月に手に入れたものだ。新型コロナもその頃に感染の第一波を迎えた。だから教科書に書かれているとは思えない。


「先生が読んでいたのって、どんな内容だったの?」


 リビングに入りながら娘に訊いてみる。

 娘は必死に俺の後をついてくる。求める答えがそこにあると信じて。

 キッチンにいる妻と目が合うと、彼女も困った顔で俺に助けを求めていた。


「えっとね、王子様のお話しだった」


 王子様?

 だったら『おうち時間』じゃなくて『おしろ時間』じゃないのか?

 とツッコみたくなったが、それで解決するとは思えない。

 俺は脱いだスーツをハンガーに掛けながら、さらに訊いてみた。


「王子様が住んでたのは、お城じゃなくてお家だったの?」


 すると驚くべき答えが返ってきたのだ。


「違うの。王子様はお城を抜け出して、電車に乗るの」


 ローマの休日かよ!

 ていうか、電車!?

 それって一番やっちゃいけないシチュエーションじゃね? 王子様が乗っていいのは白馬だけなんだから。


 こんなコロナ渦なのにテレワークもせずに電車に乗っちゃうなんて、『おうち時間』に反する行為じゃないか。

 それともまさか、王子様はお城を出て普通のお家に引っ越すとか?


「それでね、王子様は間違って女性専用車両に乗っちゃったの」


 そりゃ、王子様だからね。

 女性専用車両の存在なんて知らないよね。


 なんて感心している場合か。

 なんだか嫌な予感が、俺の頭の片隅をよぎる。

 俺の中の男の子の部分が何かを叫ぼうとしていた。


「そしたら男子が叫んだの。『おうちじかん』って!」


 香鈴ちゃん、それは『おうちじかん』じゃない。

 『おうじちかん』や!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

電車に乗った王子様(KAC20211) つとむュー @tsutomyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ