いつまででもあの時間

連海里 宙太朗

永遠にあの時間

「おめでとうございます! あなたは【おうち時間】に当選いたしました!」

 平日の早朝。まだ陽も昇り切っていない時間だ。

 突然鳴り響いたスマホに出ると寝ぼけた頭に、女の良く通る声が響いてきた。

「……は?」

 それだけを返すのが精いっぱいだった。

「現在、政府は【おうち時間】を推奨しています! 世の中が大変な今! 国民総出で【おうち時間】を有意義なものにして、心も体も充実した生活を送っていきたいと考えております!」

 妙にテンションの高い女だ。

 しかし、気合の入った声はどことなく無機質だった。

「だれだよ、あんた。【おうち時間】って……」

「それでは、存分に【おうち時間】を堪能してください!」

 こちらの疑問に答える前に、通話が切れた。

「…………? え?」

 何が何だか分からない。

 時計を見ると、六時半。

 それにしても【おうち時間】か。

 例のウィルスが世界中で猛威を振るっている中、必要不可欠ではない外出を控え自宅で有意義に過ごすこと。それが【おうち時間】

 世の中のホワイトカラー共の中には、リモートワークなどと言って自宅で仕事をこなす奴らもいるが、俺のようなトラックドライバーには無縁の働き方だ。

 実際に体を動かさなければ、こなせない仕事も世の中にはあるのだ。

「しゃーない。起きるか」

 妙な電話のせいで、いつもよりも三十分早く起きてしまった。

 適当に顔を洗い、朝飯も食べずに、俺はいつも通りの仕事着に着替え出勤しようと自宅のドアを開ける。

 一歩、外に出るとけたたましくスマホが鳴る。

「やあ、何をしてるんだ? 君は【おうち時間】中だろう? 必要不可欠ではない外出は控えるんだ」

 スマホの通話口からは、上司の声が聞こえてきた。

「いや……必要不可欠ではないって……今から出勤なんですけど」

「でも、【おうち時間】中だろう?」

 何を言ってるんだ。こいつは。

 無能だとは思っていたが、ついに頭がイカれたのか。

「やぁ、駄目だよ。必要不可欠ではない外出は」

「……っ!」

 電話口の声が変わった。

「しゃ、しゃ、社長!」

 俺の会社は従業員も少ない。大企業と違って、社長との距離も近いので声を聞けばすぐに分かる。

「で、でも……仕事が」

「政府から要請があったんだよ。君は今から【おうち時間】」

「とはいっても……」

「なぁに、心配するな。【おうち時間】中はもちろん給料は払うし、君の代わりのドライバーもちゃんと用意はしている。なんの心配もせずに【おうち時間】を楽しめばいい」

「は、はぁ……」

 まだ頭は混乱しているが、有給のようなものだろうか。

 まあ、このところまとまった休みも取れなかったし、せっかくだから【おうち時間】を堪能するか。

 俺は作業着を脱ぎ捨てると、ごろんとベッドに横になった。大きく伸びをして、目を瞑るとすぐに夢の世界へと落ちていった。


 三日も経つと、何もすることが無くなる。

本来は【おうち時間】であり、休みではないので必要不可欠な外出ができないのだ。食事はデリバリーがあるので問題はない。ただ、暇で仕方がない。

 俺はスマホを手に取ると、古くからの友人に電話をかけた。

「よお、今大丈夫か? 今日は土曜だろ? どこか出かけないか?」

 スマホ越しの友人は、少しだけ唸ると、

「お前【おうち時間】中だろ? 必要不可欠な外出は控えろよ」

「なんだよ。お前もかよ。他のやつらに電話しても、みんなそう言うんだよ」

「仕方ないだろ。【おうち時間】中なんだから」

 友人はそう言うと、無慈悲に通話を切った。

「……っち」

 苛立ちをぶつけるように、俺はスマホを放り投げた。


 三週間後。

 スマホで銀行の口座を確認すると、給料が振り込まれていた。

「今月はほとんど仕事してないのに……」

 殆ど仕事を休んでいるのに金が貰えるというのはどこか妙な気分がする。

「いや、休みじゃないのか。【おうち時間】中なのか」

 この時代。家から一歩も出ていないのに、金さえあれば生活が出来てしまう。

 ニートという存在もいるにはいるが、俺はやっぱり仕事をして金を貰いたいし、、たまの休みには外に出て思いっきり羽を伸ばしたい。

「【おうち時間】か」

 憂鬱なため息をもらして、俺はベッドに倒れ込んだ。


 一年後。

 まだ【おうち時間】は続いている。

 家の中でほとんど動いていないので、腹は飛び出て逆に腕や足は細くなっている。荷物の上げ下ろしで鍛えた体はもうどこにもない。

 月末になれば、しっかりと給料は満額振り込まれていた。


 十年後。

 先日、上司から俺の昇進の連絡があった。

 勤続十五年、休むこともさぼることもなく会社に貢献した実績を湛えての昇進だそうだ。

 あれから何度も言えの外に出ようとした。

 しかし、そのたびにどこからともなく、会社の人間、親兄弟。お隣さん。はては警察や黒いスーツを着た知らない人間が必要不可欠な外出は控えるようにと、口酸っぱく言ってくる。

 ワクチンが開発され、何年か前には猛威を振るっていた例のウィルスは、過去のものとなっているというのに。

 俺は窓の外から、楽しそうに外を歩いている人を見つめていた。

「もう【おうち時間】はいやだ」

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いつまででもあの時間 連海里 宙太朗 @taka27fc

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