太陽のアビタシオン
三衣 千月
太陽のアビタシオン
自宅は、快適であるに限る。
男子学生は、常日頃からそう思っていた。
外に出て、帰ってくるのが家。自宅。マイハウス。フランス語ではアビタシオン。そこで満足いく時間が過ごせるならば、それはもうこの世の極楽と言っていい。
「おうい、遊びに行こうぜタイヨー」
「馬鹿を言うなよアキラ。今日はルームランプを買いに行かねばならん」
「また部屋の飾りつけかよ。よく飽きねえな」
男子学生、
部活にも所属せず、自宅での過ごし方を有意義にすることだけに注力する。比津はそういう男であり、彼にとって、部屋で過ごす時間は何にも替えることができない大切なものだった。
けれどもそれは、ずっと引きこもっていたいという類のものではなく、むしろ逆に外との繋がりを絶つことを彼はよしとしなかった。
外に出るからこそ、家のありがたみが分かるのであり、ずっと家に引きこもっていては、部屋の真の良さは分からない、と常日頃から彼は説いている。海外旅行に行って、日本の良さを再確認するようなものだとも言っているが、友人らの賛同が得られたことはこれまで一度としてない。
「良い部屋で良い時間を過ごすためなら、苦労はいとわん」
「ダメだ。付き合いは長いっちゃあ長いけど、その考えはまーったく理解できねぇ」
部屋は、居心地の良い空間であってほしい。比津はその執念にも似た信念で、家具の置き場一つ、照明の角度に至るまで、全ての要素をこだわるに至った。
彼が小学3年生の時のこと。
部屋の扉を開けてからベッドに至るまでの動線をいかに美しくするかを考えるにあたり、独力で建築工学を学び、一級建築士相当の力をつけた。そして折よく家の新築が重なり、彼は満足のいく間取りの部屋を手に入れた。
誰もが彼を神童だともてはやす中、比津は静かに「いい部屋で過ごせれば、それだけでいい」と言った。
また彼が中学1年の時には、部屋で使っているサイドテーブルに違和感を感じ、理想のサイドテーブルを手に入れるために方々を駆けまわった。
残念ながら彼の求めるサイドテーブルは世の中に存在せず、それならば自分で作ってしまえばいいとばかりに彼はインテリアを学び、理想のものを完成させた。
「そういやルームランプって、タイヨーが作ったあのサイドテーブルに乗せるのか?」
「ああ。そうだ」
「あれ、おしゃれだもんなあ。試作品だってもらったヤツ、今でもウチで使ってるぜ」
「ありがとう。家具は、やはり使われてこそだからな」
比津が作った試作品のサイドテーブルは、隣家に住むアキラの家でも重宝されていた。その使い勝手の良さに、アキラの母親がSNSを通じて情報を発信し、ネット上で話題になったのちにグッドデザイン賞を受賞した。
だが比津はそのデザイン権、および商用権をあっさりと手放し、周囲を驚かせた。
彼は、部屋が快適になること以外には一切の興味がなかったからだ。
「でも、ランプだって前に買ってなかったか?」
「それがな。最近、部屋に入る光の量が少し変わってきた。合わせようと思ってな」
「季節の変化とかそんなんじゃねーの?」
「それに対応できるだけの、季節ごとに使うランプは持っているんだ。今年は、どのランプを出しても違和感が消えない」
「タイヨーの部屋バカぶりは知っていたつもりだったけど、まだまだだったらしい」
「天気によっても部屋の状態は変わるんだ。当然、対応できるだけの手段は持っている」
「わーった。わーったよ。お前がバカなのはよーっく分かった」
世間では、やれ神童だ、100年に一人の天才だ、アインシュタインの再来だなどと言われているが、本人の望みはただ一つ、快適な部屋で過ごすことである。
遊びに誘うのは諦めた、とばかりにひらひらと手を振って比津を追い払うように顔をしかめる。去りかける背中を見て、ふと思い出したように告げる。
「そうだ、タイヨー。母さんがまたパインケーキ作ったってよ。あとで持ってってやる」
「ありがとう。アレは最高だからな。俺の部屋時間に欠かせないものだ」
「おう、母さんに伝えといてやるよ」
にこやかに笑う比津を、今度こそ見送る。
そして、比津の感じた違和感の正体は、数か月後に世間を騒がせることになる。
〇 〇 〇
太陽の、活動減退。
そう大々的に報道されたのち、世間は一時的に混乱した。
世界の破滅か、地球の滅亡かと終末論者たちが騒ぎ立てる。原因不明のその天体活動に科学者らは頭を抱え、神学者らは祈りを捧げる。
このままでは徐々に太陽光が減り、数十年もすれば地球は氷河期に突入するだろうというのが専門家による見立てだった。
比津は決意した。
宇宙へ行こうと。
太陽活動を元に戻し、部屋に射す普段通りの日差しを取り戻そうと。
彼は、部屋で快適に過ごすことを人生の目標にしている。
苦労、苦難を乗り越えて勝ち取る部屋の快適さはひとしおであることを、これまでの経験でよく知っていた。
翌年、比津は高校卒業と同時にアメリカに渡った。
そしてJAXAの宇宙飛行士試験に最年少で合格し、訓練をこなす傍ら、研究機関で減退した太陽の活動を元に戻す方法を披露した。
専門的な話ではあるが、要約するならば、一瞬だけ太陽活動を止めてしまえ、というのが彼の論だった。
これは例えるならば、心停止を起こした人間にAEDを使う行為に似ている。あれは、心臓の正常な動きを妨げる電気信号を一度強制的に遮断することで、本来の心配活動を取り戻そうとするものだ。
スマートフォンやパソコンなどがフリーズした際に、再起動をかけるのにも似ている。
そのために比津が発明した小型ブラックホール発生機構を積み込み、彼を含むチームは宇宙へと飛び立つ。
何も、太陽の間近までいく必要はない。金星軌道の辺りまで飛び、太陽めがけてブラックホール弾を射出し、金星のスイングバイを利用しつつ地球に戻ってくる計画だった。
人類の存続をかけた有史以来最大のミッションは、無事に成功した。
数か月の後に、太陽の活動が正常に戻ったことがNASAによて観測され、彼らのチームは人類の救世主として讃えられた。
連日連夜、彼らは地球の英雄としてインタビューを受ける。
記者の一人が、比津に尋ねた。趣味は何か、と。彼は答えた。
「家で過ごすこと、だ」
「ヘイ、ヒヅ。お前はマジでそればっかりだな。
仲間たちが陽気にそう返す中、比津は首を横に振る。
「アメリカには、パインケーキがないからな。俺は、俺の快適な家のためにここまでやってきた。そして為すべきことを成した。帰る」
「パイン……ケーキ? あ、おい、ちょ、待てよヒヅ!」
その日の晩の飛行機で、比津は日本へと戻った。交通機関を乗り継ぎ、帰りついたのは、夕暮れ時。彼が元に戻した太陽は、地平線の間際で赤々と輝いていた。
誰にも帰ることは知らせていなかったが、自宅の前でばったりと、アキラに会った。高校卒業から、実に七年ぶりの再会。
彼女は信じられないものを見たような表情で固まっている。社会に出て働いているのだろう。スーツ姿の彼女の姿は、比津にとっても見慣れぬもので少し困惑した。
「……タイヨー?」
「ただいま。髪、ずいぶん伸びたな、アキラ」
かつて女性らしさの欠片もなかった幼馴染は、丸くした目にじわじわと涙を溜めながら比津へと走り寄る。それに合わせるように、後ろでサイド寄りに括ったショートポニーが揺れた。
ヒールの音がカツカツと鳴り、もつれるように倒れこむが、比津はそれをしっかりと受け止める。
「勝手に……何にも言わずに勝手に宇宙なんかに……このバカ!」
「もう大丈夫だ。太陽は元に戻ったからな」
「知ってるよ! いつの間にか宇宙飛行士になって、いつの間にか地球を救って……! 全部ニュースで見たから」
アキラは、比津の腕を強く抱えてありったけの力を込める。涙声で、なおも比津を罵倒する。
「もう宇宙飛行士は辞めてきた。陽射しが元に戻ったならもう宇宙に行く必要もない」
「バカだ。本物のバカだ。そんでもって、あたしもバカだ」
「そうなのか?」
彼女は比津が遠くに行ったことを知り、自分の気持ちを伝えなかったことを後悔した。いつでも近くにいると思い込んでいた。
離れて初めて、自分がどれだけタイヨーに気持ちを向けていたのかを自覚した。
「帰ってきたお祝いに、パインケーキ持ってくから」
「最高だ。あれを食べながら過ごす時間は至福そのものだ。おばさんに礼を――」
話を遮り、比津の襟を掴んで顔を引き寄せる。
そのまま爪先立って、不意打ちのように短いキスを見舞った後に、アキラは口の端を上げて言った。
「バーカ。恥ずかしくて内緒にしてたけど、昔からずっと、あたしのお手製だよ」
きょとんと家の前で立ち尽くす比津をよそに、アキラは髪を揺らして隣家の玄関扉の向こうへ消えた。
彼は、部屋で快適に過ごす事を第一にしていた。家具の置き場にこだわり、光の加減に気を張り、そしてそこで幼馴染と共にパインケーキを食べる時間が何よりも好きだった。
彼は、困難の果てに理想のおうち時間を手に入れた。あとついでに地球も救った。
つまるところ、これはそういう話である。
太陽のアビタシオン 三衣 千月 @mitsui_10goodman
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