ホーム・タイム・ジョーク

稀山 美波

頓珍漢なおうち時間

――七時半、起床の時間です――


 枕元に置かれた端末から、無機質な機械音声が聞こえてくる。それと同時、ベッドがゆっくりと起き上がり、室内の照明とテレビの電源がついた。


「コーヒーをお願い。ホットでね」


 寝ぼけ眼をこすりながらそう呟くと、キッチンにあるコーヒーメーカーのランプが点灯する。


『2284年12月2日。本日の天気をお伝えします――』


 私はコーヒーができあがるまでの間、ぼけっとテレビの映像を眺めることとした。部屋の隅に置かれた機械から、若い女性が日本地図を指差している風景が立体映像として映し出されている。


 百年ほど前までは、テレビは液晶画面に映し出されていたらしい。二次元的にしか映像を見ることができない時代とは、果たしてどんなものだったのだろう。歴史の教科書でしか見聞きしたことのない生活に、私は思いを馳せてゆく。


――コーヒーができました――


 今でこそ、寝起きからモーニングコーヒーまで全てが自動化されているが、当時はそれらをすべて人の手でやっていたという。


 生活の悉くが機械化されていったのは、二十一世紀の初頭らしい。なんでも当時、非常に感染力の高いウイルスが蔓延し、人々は外出することが難しくなったのだとか。


 そこで、最低限の生活が自宅で完結できるよう、ありとあらゆるものの自動化・機械化が推し進められていったのだ。買い物はすべてオンラインとなり、その配送もロボットやドローンがこなすようになった。学業や仕事もすべて自宅で行える仕組みが整えられていき、今私の目の前にあるような立体映像技術も磨かれていったというわけだ。


 怪我の功名、とでも言うべきか。ともかく人々は、生活のほとんどを自宅で過ごすようになった。『おうち時間』だなんて、当時は呼ばれていたそうな。


「もうこんな時間。朝礼始まっちゃう」


 そんなことを考えている内に、八時を告げるアラームが端末から鳴り響いた。朝礼は八時二十分。急いで着替えなくては間に合わない。


「化粧は軽くでいいや」


 私は歯磨きと洗顔を終えた後、いつもよりも大雑把に化粧を終える。時刻は八時十五分。なんとか朝礼に間に合った。


「おうち時間ならぬ、、ってね」


 自分で言った駄洒落に自分で笑いながら、私はパソコンの電源をつけ、オフィスの映像を映し出す眼鏡を装着する。オフィスには、私以外の同僚たちが既に集っていた。もちろんそれは、仮想現実空間のもの――つまり映像でしかないのだが。


『おはようございます』


 これが、二十三世紀の出勤風景だ。


 聞けば、二十一世紀の人々は、満員電車に押し込まれながら数十分から一時間あまりをかけて通勤していたそうではないか。八時二十分に朝礼があるならば、六時には起きなくてはならない。


『おう、今日はギリギリだな』

『ちょっと考え事をしてたら遅くなって』


 二十一世紀満員電車では、痴漢が常態化していたそうな。今の時代に生まれてよかったと、改めて思う。朝早く起きる必要も、満員電車に揺られることも、痴漢の被害に遭うこともないのだから。


『だから今日は化粧がおざなりなのか。そんなんだからまだ結婚できないんだぞ、はっはっは』


 いや、ひとつ訂正しておこう。


 痴漢のような存在は、二十三世紀になっても存在する。デリカシーの欠片もない、このハゲ上司のような存在は、まだまだ健在だ。


『おうち時間ならぬ、、か』

『何か言ったか?』

『いえ何も』


 またしても自らの駄洒落に笑いそうになってしまったのをぐっと堪えながら、私は下手くそな笑みを浮かべてやった。



『お昼食べてきます』


 正午のチャイムと同時、私は眼鏡を外して帰宅する。私は端末に『冷蔵庫にある弁当を温めておいて』と伝えて、首や肩をぐるぐると回す。やはり、自分の部屋は実に落ち着く。


 二十一世紀では、職場で昼食を取ったり、はたまた職場の同僚と昼食を共にしたのだろう。それも、人でごった返す街の中、時間ばかりを意識しながら。


――お弁当が温まりました――


 休憩時くらい、時間や人目を気にせずゆっくりとしたいものだ。先日オンラインで購入した有名店の弁当を食べながら、二十一世紀の人々たちに同情する。


「そういえば、実家から蜜柑が届いてたんだっけ」


 弁当を食べ終えた折、部屋の隅に置かれた段ボールが目に入った。農家を営んでいる両親から届いた、大量の蜜柑だ。気温や湿度、栄養の管理を人工知能に一任し、最適な時期を見計らって摘んでくれるロボットに収穫させただけあって、実家の蜜柑は非常に美味である。


「冬の蜜柑には、やっぱりこれがないと」


 私は両手に持てるだけ蜜柑を手に取って、端末に声をかける。するとすぐさま、リビングの中央にある炬燵の電源が入った。それを確認して、即座に炬燵へ下半身を滑り込ませる。


 炬燵に潜りながら、蜜柑の皮を剥き、丸ごと頬張る。炬燵と蜜柑は、やはりセットでなくては。こればかりは、二十一世紀も二十三世紀も変わらない。


「おうち時間ならぬ、、ってね」


 私はまたしても自らの駄洒落に笑ってしまいながら、五分後に控えた午後の業務の準備を始めた。



『お疲れさまでした』


 十七時半の定刻と同時、眼鏡を外して帰宅する。


 私に限らず、現代社会では残業という文化がほとんどない。それもそのはず、生活のほとんどは自動化と機械化が進んでいるのだ。人間のやる仕事を見つける方が、難しいかもしれない。その一方で、二十一世紀の人間は呆れかえるほどの残業をしていたそうではないか。


「家でのんびりする時間がないなんて、考えられないな」


 私は苦笑しながら、夕飯に何を食べるかを考えていた。今日の昼まで食べ続けていた有名店の弁当は、すでに在庫を切らしてしる。デリバリーも、もう食べ飽きるほど食べてきた。さて、どうしたものか。


「久しぶりに自炊でもするか」


 思えば今日は、二十一世紀について考えることが多かった。ここはひとつ、前時代の不自由さに敬意を表し、自ら料理でもするとしよう。確か、先月気まぐれに買った食材がまだ真空冷凍されているはずだ。


「あれ?」


 数か月ぶりに台所へ立ち、数か月ぶりにガスコンロへ火を点けようとする。しかし何度つまみを回してみても、火が灯ることはない。


「ボロアパートめ。第一、まだガスコンロの家なんてあり得ないよ」


 私は悪態をつきながら居間へと戻り、ベッドに寝転んだ。十年近く見続けてきた天井を仰ぎ見ていると、なんだか物悲しくなってくる。


「引越したいなあ」


 高校を卒業すると同時に実家を飛び出し、家賃の安さだけで選んだのが、このボロアパートだ。十分蓄えもできたし、いい頃合いかもしれない。


「おうち時間ならぬ、だね。いやいや、『ちかん』はもう使ったか」


 本日何度目になるかわからない駄洒落を呟いて、一人で笑う。奇妙な独り言ではあったが、『引越したい』と言葉にしたことで、その欲望はどんどんと私の中で大きくなっていった。


 善は急げ、思い立ったが吉日。私はパソコンの電源を――


「いや。今日は、二十一世紀スタイルでいこう」


 入れようとして、やめた。


 何の因果か、今日は二十一世紀について考えることが多かった。そんな日にふと引越しを思い立つだなんて、まるで何か見えない力が働いているようではないか。最近外にも出ていなかったし、いい機会だ。デジタルな映像の中ではなく、実際に街を歩きながら家を探すのも一興かもしれない。


――ピピピ――


 そう決意した私を邪魔するかのように、枕元の端末がけたたましく鳴り響いた。きっと、アラームの設定か何かを間違えたのだろう。


「ええい、うるさい」


 端末をいくら操作しても、喧しい電子音は止まなかった。段々と煩わしくなってきたので、端末の電源を切って大人しくさせる。今日の私は、二十一世紀的な過ごし方をすると決めたのだ。


「よし。友達に胸を張れるような、立派な家を探すとしますか。おうち時間ならぬ、ってね」


 私はまたしても自らの駄洒落に笑いながら、久々の外界へと足を踏み入れた。



 夜の散歩兼新居探しは、一時間ほどで終了した。現代では当たり前のことだが、やはり外は寂しい。人の往来もほとんどなく、道を行くのは無人自動運転のトラックくらいのものだ。


「いい家も見つからなかったし、駄洒落も思いつかないし。やめとくんだった」


 あらゆる意味で収穫のなかった私は、夜の帳の中を歩く。その足取りは、ひどく重い。こんなことなら、大人しくおうち時間を楽しむべきだった。


「……ん?」


 そんな時、ふと周囲の異変に気が付いた。先ほどまで静寂で満たされていたはずの帰路が、やけに喧しい。自宅アパートへ近づくにつれ、消防ロボットと救助ロボットの姿と、それらから発せられるサイレンの音が増えていった。


「おい、火事だってよ」


 ロボットだけではない。おうち時間を楽しんでいるはずの人々も、ただならぬ様子で集まってきていた。どうやら近所で火事があったらしく、彼らはその野次馬らしい。


 人間のこういうところは、二十一世紀も二十三世紀も変わりない――だなんて呆れていたのも、束の間だった。


「わ、私のアパート……」


 その火事とやらは、私のアパートで起きたらしい。

 先ほどまで、暗くひっそりと佇んでいたそれは、今や轟々と燃え盛る火炎の中にあった。


 これは、現実のことなのだろうか。

 一体、どうして、何があったというのか。


 訳もわからず狼狽えていた私の耳に、野次馬たちの声が届く。



「なんでも、ガス漏れらしいぜ」

「でもガス漏れなんて、端末から警報が鳴るだろ」

「だよな。端末の電源でも切ってたんじゃないか?」



 その声は、『何が起きたのだ』という私の疑問を、実にあっさりと解決してくれた。


「は、ははは……」


 頭の中が真っ白となり、何も考えられない。

 そんな状況下でもなお、例のあのフレーズだけは、嫌でも頭浮かんできてしまった。



「おうち時間ならぬ、、か……」



 この駄洒落ばかりは、さすがに笑えなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ホーム・タイム・ジョーク 稀山 美波 @mareyama0730

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ