おうち時間キット
くれは
おうち時間キット
彼女の部屋を訪れたら、宇宙になっていた。
いや、俺は本物の宇宙を見たことがないから、宇宙じゃないのかもしれない。そもそも、部屋が宇宙になっているとか意味がわからない。だから、きっと宇宙じゃないんだと思う。
部屋の中は、床がなくなっていた。玄関はまだ床があった。そこで靴を脱いで踏み出したら、床がなくて宇宙空間だった。いや、宇宙じゃないんだった。
床がなかったものだから、俺はその宇宙じゃない謎の空間に投げ出された。そのまま、濃い藍色の空間を漂う。漂いながら、謎空間を見回した。ちかちかと光る星屑がたくさん見える。それから、まるで安っぽい絵のような光る星の形のものもあちこちに浮かんで、漂っている。
やっぱり、ここは宇宙じゃないと思う。星というのは、普通は球体であって、こんな星の形をしていないはずだ。
では、宇宙じゃなければなんなのか。わからない。俺の中の雑な認識が、これを宇宙と呼びたがっている。
星屑が、俺の頬を掠める。飛んできた虫を捕まえるみたいに、それを掴んで、手を開く。それは、黄色い金平糖に見えた。なんなら、ほんのりと甘いにおいまでする。
あまりに金平糖にそっくりだったので、俺は違和感なくそれを口に放り込んだ。噛めばしゃりしゃりと口の中で崩れて、ほろほろと甘い。それはやっぱり金平糖だった。
「あ、見付けた!」
彼女の声がしたかと思うと、背中に軽い衝撃がある。そのまま、彼女の腕が後ろから俺の体を捕まえる。その衝撃で、二人で宙を漂ってゆく。もう、上も下もわからなくなっていた。
俺は彼女の手を掴むと、なんとか体の向きを変えて、彼女と向き合った。グレーのパーカー。膝が出る長さのスパッツ。ショートカットの髪に、いろんな色の金平糖がいくつもくっついて、光っていた。
その姿がなんだか可愛くて、笑ってしまう。
「これ、一体どういう状況?」
俺の言葉に、彼女は首を傾けた。
「わたしもよくわからないんだけど、多分、これが『おうち時間』なんだと思う」
「『おうち時間』……って、どういうこと?」
「こないだ、買ったんだよね。『おうち時間キット』っていうのを。昨日それが届いて、開けたら、黒いものが出てきた」
「黒いもの?」
「うん、黒くて丸くて……何をやってもどうにもならなくて、どうして良いかわからなくて、仕方ないから寝て起きたら部屋がこんな」
そう言って彼女は、近くを漂っていた金平糖を摘んで、それを口に入れた。甘さにうっとりするように、笑う。
「金平糖以外にも、いろいろあるんだよ。行こう」
そうやって、彼女に手を引かれて、その謎の空間を漂う。
彼女が手を伸ばして、摘みとったのは、水晶のようにきらきらと透き通る石で、彼女の指が俺の口に押し込んできたそれは、石じゃなくて琥珀糖だった。
白い星はマシュマロで、俺がかじったものは中にイチゴジャムが入っていた。彼女のは、中にチョコレートが入っていたらしい。
かと思えば、小さな焼き菓子が降ってくる。白い粉砂糖を流れ星の尻尾のように振りまきながら。
そして、二つ並んだ赤く燃える星はさくらんぼ。二人で一つずつ食べる。
さくらんぼを含んだ彼女の唇もさくらんぼみたいに赤くて、俺は我慢できなくなって、彼女の耳元に唇を寄せて、それで彼女の髪に絡んだ星屑を口に含む。
彼女はくすぐったがって声をあげて笑った。
彼女の髪に絡んで光っていた星屑はやっぱり甘くて、特別に甘くて、俺はまた啄む。彼女が身を捩る。
俺は彼女を抱き寄せて、いくつもいくつも、彼女の金平糖を食べた。彼女の腕が俺の背中に回されて、そしてぎゅっとしがみついてくる。
気付いたら朝になっていて、目を覚ましたら彼女の部屋のベッドだった。
部屋の中にはもう金平糖は浮かんでいなかったし、他にもおかしなところは全然なくて、普通の彼女の部屋だった。隣では、彼女がまだ眠っていた。
その穏やかな寝顔を見て、金平糖の味を思い出して、俺は彼女を抱き寄せてまた目を閉じた。
おうち時間キット くれは @kurehaa
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