⑸星送り
血液が花のように散った。
後方から放たれた一発の銃弾は、ベリルの拳銃と六本目の指を吹き飛ばしていた。
拳銃が濡れたコンクリートを滑る。
湊は足元に転がった拳銃を蹴り飛ばし、下水の中に放り込む。ベリルが手を押さえながら呻き声を漏らす。湊は振り向いた。闇の向こう、モノクロの世界に、エメラルドグリーンの瞳が煌々と揺れる。
それはまるで、春の新緑のようだった。
モノクロの世界が、急速に色彩を取り戻して行く。緑柱玉の瞳、真っ赤な血の色。ベリルの青い瞳に憤怒の炎が音を立てて燃え盛る。
「何で、お前が……!」
愕然と、ベリルが呟く。
闇の向こうから現れた暗殺者、ペリドットは寒気がするような美しい微笑みを浮かべていた。
「俺の弟を殺しやがったのは、お前だったな……」
ベリルは忌々しげに顔を歪め、文章を読み上げるかのような感情の無い声で問い掛ける。
「貴方の弟が、復讐を望んでいるとでも思うのですか」
どの口が言うんだ。
こいつ等は、狂ってる。犠牲は付き物と言いながら、いざ自分の番が来ると文句を言う。
「僕等の科学なら、貴方の弟も救済出来る……」
湊が言い返そうと口を開いた時、ペリドットが言った。
「あいつは死んで、俺は
その声は、深い諦念に染まっていた。
ペリドットは自嘲するかのように喉の奥で笑うと、引き金を絞った。
「なるべく大きな声で泣いてくれよ? あの世まで、届くようにな」
黒い鉄の塊が火を噴いた。
耳を劈くような銃声が響き渡り、幾つもの銃弾がベリルの身体を貫いた。――湊は其処に、爆弾の破片で貫かれて死んだ父を、目の前で銃殺されたノワールを重ね見た。
銃弾がベリルを貫く度に、湊は自分の胸に穴が開いていくような感覚に陥った。ペリドットはベリルを甚振るように、急所を外しながら撃ち抜いて行く。その横顔に浮かぶ薄い笑みが、湊にはもう
「止めてくれ!!」
湊は縋り付くようにペリドットの腕を掴んだ。けれど、その瞬間、視界が一回転して、湊はコンクリートの床に叩き付けられていた。
弾切れの拳銃から、カチン、カチンと虚しい音がする。
ペリドットは銃弾を補充し、なおもベリルに向けた。ベリルは既に血塗れで、立ち上がることすら出来ない。
湊は手を伸ばした。
頭を打ったせいか、視界が生き物みたいにぐにゃぐにゃと揺れる。それでも、手を伸ばした。
海の向こうで死んだ両親、目の前で殺されたノワール。届かなかった手の平。俺は、もう二度と、もう二度とあんな思いはしたくない。
「SLCがどんな組織であったとしても……!」
赤黒い血液を泡のように吐き出しながら、ベリルが掠れた声で言った。舌が縺れ、
「僕にとっては、居場所だったんだ!!」
記憶の混濁、言語障害。――ブラックの副作用。
ああ、この人も。この人も、あの薬に汚染されているのか。
ペリドットは、引き金に指を掛けながら首を捻った。
「何言ってんだ?」
心臓が潰れそうに痛かった。ペリドットには、本当に分からないのだ。ベリルの声は既に言語の形を取っていないし、会話も成立しない。
きっと、ノワールもそうだった。記憶が混濁し、意識は
ペリドットは退屈そうに溜息を吐いた。
「そんなんじゃ、全然聞こえねぇな。――死んで、弟に
どん、と破裂するような音がした。
それは湿気と腐臭に包まれた下水道の奥底で、重く鳴り響いた。
ベリルの眉間に
視界が滲む。立ち上がれない。
航。頼む、航、助けてくれ。
いや、航は此処に来られない。俺が乗り越えるべきことだ。
翔太、蓮治、親父、お母さん、ノワール。
「……おい、大丈夫か」
生理的に零れた涙を拭い、湊は顔を上げた。滲む視界にエメラルドの瞳が見える。
ノワール。ノワール。ノワール。
――もう、いない。
泣きたくて、叫びたくて、何もかもを投げ出してしまいたくて。けれど、このエメラルドの瞳が逃避を許さない。
分かってるんだ。理屈は、分かってる。
両親やノワールを殺したのも、俺や航を地獄に突き落としたのも、全部、この世界そのものなんだ。誰かを憎み、血の復讐を果たしても、何一つ変えることなんて出来ないって。
この怒りを、憎しみを、恨みを、悲しみを、全て力にして行くしかない。俺はまだ、何も成し遂げていない。今はまだ立ち止まる時じゃない。
「あんだけ
ペリドットはそっと笑って、湊の腕を掴んだ。
両足に力が入らない。見兼ねたペリドットが背負ってくれた。
温かい背中だった。命の音がする。
命は、灯火に似ている。温かいのに、簡単に消えてしまう。
「生きていてくれ、ペリドット」
背中の筋肉が僅かに強張る。湊はペリドットのジャケットを握り締めた。
生きていてくれ。
それだけで、良いから。
湊が言うと、ペリドットが笑った。
自分の言葉がどのように届いたかは、分からない。
19.空を見上げて夢を見る
⑸星送り
高層ビルの正面口は、黄色い規制線が張られていた。
倒壊の危険がある為に封鎖されているはずだが、内部には確かに人の気配がある。しかも、何か不測の事態でも起きたのか慌ただしく動き回っているのである。
湊と航が、場を撹乱すると言っていた。
遠くバイクのエンジンと、散弾銃の音がする。なる程、と立花は胸の内で呟いた。彼等が囮となって、雑兵を引き寄せてくれるらしい。
敵を集めた後にどうするつもりなのか知らないが、ペリドットが付いて行ったから、まあ、大丈夫だろう。あの男は嫌いだが、腕は信頼出来る。
立花は慎重に気配を探りながら、裏口に回った。
正面玄関も素通り出来そうだったが、念の為。湊の話では武装した玄人が虫のように湧いて出るとのことだったが、想定よりも数が少ない。何故だろう。
フィクサーが動いたか?
それとも、別の何かが?
分からない。何にせよ、やるべきことは変わらない。
空は茜色に染まっていた。日が落ちる前に侵入しないと、夜の闇の中では航が狙われる。ロックダウンした街は明かりが無いので、バイクのテールランプは的になるだろう。
立花は翔太に後方の見張りを任せて、裏口を開け放った。
いきなり、銃を持った三人のチンピラが現れた。突然の侵入者に動揺し、拙い手付きで銃を取り出そうとする。
目を閉じていても勝てる相手だった。立花は二発ずつ頭蓋骨を撃ち抜き、二階廊下から顔を覗かせた馬鹿を撃った。
間抜けな悲鳴を上げて男が転落する。首の骨の折れる鈍い音がした。それが合図だったみたいに、武装した男達が溢れて来る。
頭上から銃弾が降って来る。下手糞、と嘲笑いながら立花はポケットに忍ばせていた閃光弾を投げ放った。
稲妻でも落ちたみたいに世界が真っ白に染まる。のたうち回る男達の首を折り、脳天を撃ち抜き、死体の山を踏みながら上層階を目指す。
途中、翔太の様子を窺ったが、閃光弾は食らっていないようだった。足手纏いになるなら置いて行っても良かった。翔太は後方から現れた男の胸を撃ち抜いた。
狙うなら、頭だ。
だが、初めて渡された銃をこの状況で扱っていることを考えると、及第点だろうか。
立花は翔太が仕留め損なった男にとどめを刺し、銃弾を装填した。
建物は地上17階だった。見取図を思い出しながら階段を駆け上がる。悪の親玉は最上階にいるのが定石だが、こいつ等はどうだろうか。
湊は、薬品の研究室がある15階が怪しいと言っていた。確かに、襲撃されたら真っ先に虎の子を守るだろう。問題は、其処に誰がいるかということだ。
10階を過ぎた辺りで、敵の種類が変わった。
金で雇われただろうチンピラの中に、スーツを着た男が混ざっている。恐らく、公安の手先だ。見るからに外国人らしき男もいる。ゴールが近いことを予感し、立花は銃弾を入れ替えた。
撃ち放った銃弾は、ターゲットに命中すると内部で放射状に破裂する。
立花個人としては、あまり好きではないタイプの銃弾だった。
ターゲットの呻き声が不快だし、スマートじゃないからだ。しかし、敵の数が多いので、散弾銃を持って来れば良かったと後悔した。
銃弾が減って来たので、ナイフに切り替える。
銃弾の残数を確認しつつ、立花は壁に刻まれた数字を見上げた。15階。湊の言っていた研究室。素通りする訳にも行かず、立花は警戒しながら踏み入れた。
雑兵は、いなかった。
殺し尽くしたとは思わない。湊と航の陽動か、ペリドットが何かしたか。立花が廊下に足を踏み出した、その瞬間だった。
研究室の硝子が凄まじい音と共に木っ端微塵に吹き飛んで、頭の上から降り注いだ。立花は咄嗟に翔太を後ろに蹴り飛ばし、ジャケットを脱いで盾代わりにした。
硝子片が雨のように降り注ぐ。
ああ、なる程。誘導されていたって訳か。
研究室の扉が音も無く開く。其処に立っていたのは、幽霊のような陰気な大男だった。対峙するのは、これで三度目だったか。
「よォ、三代目」
SLCに寄生する殺人鬼、ギベオン。
立花は壁に身を潜め、思考を巡らせた。
その時、懐に入れていた携帯電話が震えた。コールを三回、任務達成の合図だ。ベリルを殺ったらしい。どうやったのか知らないが、腹が立つ程、手際が良い。
残すは、ギベオンと望月か。
まずいな。立花は歯噛みする。ベリルが死んだとなれば、望月は逃走するかも知れない。奴は国家に通じている。何をしでかすか分からない。逃すのは駄目だ。此処で確実に仕留める。
「……おい、翔太」
翔太はいつの間にか煤塗れになっていた。立花はギベオンの様子を窺いつつ、階段を顎で示した。
「先に行け。俺はあの死に損ないを始末して行く」
どうやら、向こうも俺に用があるらしいしな。
立花が言うと、翔太はまるで捨て犬みたいな顔をした。立花は鼻で笑って、頭を撫でた。
「ケジメを付けるんだろ?」
そう言うと、翔太の目に小さな炎が灯った。
良い目だと、思った。眼球に執着する異常者には分からないだろう、小さな希望の光。
「行け」
翔太の肩を押し、立花は笑った。
迷子、捨て犬、番犬。神谷翔太は、しかと頷くと階段に向かって走り出した。立花はその背中を眺め、顎先から滴り落ちる返り血を拭った。
近江さんも、こんな気持ちだったのかな。
何となく、立花はそんなことを思った。
ヤクザに囲まれて、ドラム缶に押し込まれた自分の元に現れた金色の光。殺すには惜しいと笑ったあの時の師匠の気持ちが、分かるような気がする。
安い感傷だ。
立花はナイフの血を切って
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