⑺正義の味方
繁華街の駅前は今日も変わらず人で溢れ、水のように流れていく。交番には道に迷った外国人観光客が詰め寄せ、地図を見ながらああでもない、こうでもないと
日本語じゃないし、英語でもない。そうなると、大抵の日本人はもうお手上げなのである。加えて外国人は背が高いので威圧感があり、妙に語調が強い。桜田のような物怖じしない男でも、言葉が通じなければ何も出来ないのだ。
街のお巡りさんも大変だ。
翔太は同情しつつ、傍観者に徹していた。自分に出来ることなんて一つも無いのだ。
二人の男の怒声が響く交番内で、立花が溜息混じりに言った。
「ミナ、行け」
立花に背中を押され、ミナは桜田と外国人観光客の間に割って入った。マウンテンパーカーと伊達眼鏡で変装しているつもりらしいが、少なくとも桜田には一目で勘付かれている。
怒気を漂わせる外国人に、ミナは始め英語で話し掛けていたが、途中で言語を切り替えた。何語かと思ったら、立花がスペイン語だと教えてくれた。
外国人観光客はミナの説明に納得したらしく、だんだんと落ち着きを取り戻し、最後は飼い犬のような従順さで礼を言って、機嫌良く交番を出て行った。
桜田は干し草みたいに机に突っ伏している。ミナは此方に向かってサムズアップして、微笑んだ。ドラえもんみたいに便利な子供だ。
疲れ切った顔で、桜田が顔を上げる。そして、自分たちの姿を見付けると仲間に休憩と言い置いて、交番を出て行った。ミナが
交番から少し離れた小さな公園で、桜田は立ち止まった。自動販売機で安っぽい缶コーヒーを買い、ついでに先程の礼にミナにコーラを買ってやっていた。
缶コーヒーを片手に、桜田は赤く錆びたブランコの柵に腰掛け、プルタブを起こした。
「今日はお揃いでどないしてん? お出掛けか?」
「うん、そう」
ミナは隣に座り、コーラを開けた。途端に泡が噴き出して、ミナが慌てて口を付ける。立花は何を考えているのかよく分からない真顔で、煙草に火を点けた。
路上喫煙禁止やで、と桜田が言うと、立花はうるせぇと一蹴して美味そうに煙草を吸った。
「天気が良いから釣りに行くんだ」
「ええなぁ」
「餌を調達したくてね、桜田さんなら詳しいかなって思って」
桜田は目を丸くした。
ただの釣りではないことを察したのだろう。コーヒーを一口飲み下すと、桜田は薄く笑った。
「どんな餌が欲しいんや?」
「昨日、交通事故があったでしょう? 青島空曹長が起こした奴」
「ああ……」
「俺の知らないことを教えてよ」
子供が強請るみたいに、ミナが言う。桜田は少し考え込むように空を見上げると、苦笑した。
「……自分等には、買春斡旋グループの摘発に協力してもろうたさかいな。これで貸し借りは無しやで?」
売春斡旋グループとは、
「
「壊れてた?」
「せや。けどな、あの人は戦闘機のパイロットや。車両トラブルに気付かんはずがあらへん。恐らく、何者かに細工をされたんやろう」
「事故ではなかった?」
「うちはそう考えてる。せやけど、どっかから圧力が掛かってるさかい、これ以上の捜査は出来へんやろうな」
自分たちは、まずいものに手を出してしまっているのではないだろうか。翔太は滲む冷や汗を拭った。
青島が事故ではなく他殺の可能性が高くなって来たのだ。ミナの予言が当たったのである。
ミナはありがとう、と簡単に礼を言って、柵から降りた。
桜田を公園に残し、一度事務所に戻った。立花が道路状態を確認していた。青島空曹長のことは気になるけれど、大阪の情報流出源を確かめる方が優先順位が高いのだ。
「高速は動いてねェ。新幹線は満席」
「日が暮れるまで電車に揺られるよりは、病院に行った方が生産的だね。
「暗殺?」
翔太がびっくりして訊き返すと、ミナが言った。
「鷹派にとっては、生かしておくメリットが無いんだ。飼うにはコストも掛かる。青島さんの娘もね」
何でもないことみたいに言って、ミナはパソコンをリュックに入れた。立花は既に扉の前に立っている。
「公安の暗殺者って言ったら、ペリドットだぞ」
「丁度、会いたいと思ってたんだ」
ミナは笑った。
感覚が違い過ぎて、付いて行けない。翔太は溜息を飲み込み、彼等の後を追った。
13.夜明け前
⑺正義の味方
消毒液独特の臭いが鼻を突く。
病院は嫌いだ。嫌なことばかりを思い出す。
白い密室、窓のない壁、白いベッド、白衣の男。
英語の書かれた点滴パック、返事をしない砂月。
きっと良くなる。きっと良くなる。きっと良くなる。
両親の声が、まるで呪いみたいに耳の奥に残っている。此処にいると、いつまでも自分を戒めて、
「翔太、邪魔だ」
立花の低い声がして、翔太ははっとした。
白い病室には大きな窓があり、春の日差しが一杯に取り入れられていた。
自分が入口で棒立ちしていたことに気付き、翔太は慌てて扉を閉めた。微かに漂った花の匂いに、
青島空曹長――青島淳吾の娘、
ミナはサイドテーブルに黄色いガーベラの花を置くと、杏をじっと見下ろしていた。
薬の副作用で眠っているだけで、命に別状は無いらしい。
心電図は等間隔に脈を刻み、人工呼吸器も付いていない。四肢の欠損も、後遺症も無いそうだ。ただ、昨晩、父親が事故で亡くなったことはまだ聞いていないと言う。起きた時に誰がどのように伝えるのだろう。
青島淳吾の妻は三年前に他界しており、以来、杏は父と二人で暮らして来た。航空自衛隊の戦闘機パイロットとして多忙な父親だっただろう。杏は現在14歳。砂月と一つ違い。多感な年頃だ。反抗期か、思春期か。
通り掛かった看護師が、ガーベラの花束を見て花瓶に移してくれた。ショートヘアで活発そうな印象を受ける杏によく似合う、華やかな色合いだった。
自分たちに出来ることは何も無い。
ましてや、自分たちは正義の為に、青島の死の真相を探っている訳ではない。敵に対抗出来る弱味を探しているだけで、杏の気持ちなんて後回しだった。彼女を守る余裕も、同情する権利も無い。
「行くぞ」
立花が言った。
ミナは一度頷くと、そのまま病室を出た。翔太は最後に振り返り、目覚めない杏を見詰めた。
この子は、砂月とは違う。きっと、大丈夫。
自分に言い聞かせ、翔太は病室を出た。
青島淳吾と一緒に事故に遭ったという栁澤朝陽は、同じ病院に入院していた。一日だけの検査入院らしい。
病室を覗いてみると、彼の家族がベッドを囲んでいた。
妻と息子が二人。栁澤自身に怪我は無さそうだ。家族に囲まれた彼は幸せそうに見えたし、何かを堪えているようにも見えた。
出直すか、と立花が言った。
しかし、丁度その時、妻と二人の息子が病室を出て来た。妻は訝しげに見て来たが、息子達の手前、軽く会釈しただけだった。眼帯を付けた立花は街では不審者だが、病院では馴染んでいる。
病室に誰もいないことを確かめてから、ミナが真っ先に入って行った。
栁澤は切れ長な目をした、何処か神経質そうな顔をした男だった。家族に囲まれていた時はそうでも無かったが、対峙してみると、まるで武士や侍みたいなストイックな印象を受ける。
「……どちら様ですか?」
栁澤の質問は尤もだった。
果たして、自分達はどちら様なのだろう。
翔太が黙っていると、ミナはオレンジ色のガーベラの花束を差し出した。
「昨日、青島さんと杏さんの交通事故で、救命措置をしました」
なる程、そう切り込むらしい。
栁澤は納得したように頷いて、少しだけ、表情を和らげた。
「青島が言ってたよ。二人の勇敢な若者が助けてくれたって。名乗りもせず、いなくなってしまったと聞いているが」
栁澤が花束を受け取ると、ミナは苦笑した。
そのまま自然に側の椅子に座り、栁澤の顔を見詰めた。
「騒がしいのは、あんまり好きじゃなくて。……すみません」
「いや……。二人を助けてくれて、ありがとう」
栁澤は笑った。それは何処か寂しく、弱々しい笑顔だった。
栁澤と青島は、防衛大学からの同期で、二十年近く共に過ごして来た戦友だったと言う。そんな仲間がこんな風に亡くなるなんて予想も出来なかっただろうし、納得出来る筈も無かった。
ミナは膝の上で両手を組み、静かに問い掛けた。
「夜間飛行で、何があったんですか?」
「記者会見の通りさ。他のことは調査中だよ」
「……青島さんは昼に交通事故を起こしている。それなのに、どうして夜間訓練飛行なんてしたんですか。どうして、止めなかった」
栁澤は苦く笑った。
「……俺達は、国家防衛の鍵だ。どんな時でも迅速に出動出来るよう、常に備えている」
「Key to Defense, Ready Anytime」
「よく知ってるね」
「……スクランブルでも?」
「それを君に答えることは出来ないな」
栁澤は笑った。
スクランブルとは、領空侵犯の恐れがある不審機、侵入機に対する航空自衛隊の軍用機の緊急発進のことらしい。記者会見では夜間訓練飛行と言われているが、海外からの領空侵犯に対する発進だったとしたら、世間に公表することは出来ない。
上部だけのグローバリズムなんて、糞食らえだ。
青島や栁澤のような志の高い人間が、誰も知らない遥か上空で国を守る為に戦っていると言うのに、世間の人間は何も知らずにバッシングする。
機体の整備不良、パイロットのミス、指令系統の怠慢。
愛する家族の為に、たった一つの命を危険に晒して上空を駆ける彼等を、一体誰が責められると言うのだ。
「栁澤さん。俺は、青島さんが操縦ミスをするような人だとは思わないし、貴方の仲間が整備不良に気付かないとも思えない」
「……」
「貴方を信じて話します。昨日の交通事故で、青島さんの車のブレーキには細工がされていた。誰かが彼を殺そうとしたんだ」
栁澤の眉間に皺が寄る。
室内に嫌な緊張が走った。
「青島さんを邪魔だと思う、何者かがいたんだ。そいつが、貴方の戦友を高度三万フィートの遥か上空で殺した。俺はそう考える」
「……推理小説の読み過ぎじゃないかい?」
栁澤は皮肉っぽく笑った。
ミナの話には根拠が無い。荒唐無稽な作り話にも聞こえる。けれど、翔太は知っている。彼は意味の無い嘘は吐かない。
「俺の父はMSFで、海外の紛争地で人道援助に従事していた」
「……」
「彼等は、たった一つの命を危険に晒して、愛する者を守る為に、己の信念を貫く為に、一瞬の躊躇も無く飛び込んで行く。俺は彼等をヒーローだと思うし、心から尊敬している。……青島さんも、栁澤さんも、そういう人だと俺は思う。だから、それを邪魔しようとする人間が許せない」
それは、奮い立つような芯の通った強い声だった。
「貴方の戦友の無念は俺が晴らす。力を貸してくれ」
闇を切り裂く朝日のように、ミナの声が病室の静寂を打ち破る。
胸が震えるようだった。嘘偽りでは出せない本気の言葉だと思った。これが彼の本質であるし、ヒーローの息子たる所以でもある。
栁澤は、溜息を吐いた。魂まで一緒に抜けてしまいそうな、悲しく、深い溜息だった。そうして顔を上げた栁澤は、諦念したようにも、希望を掴んだようにも見えた。
そのまま栁澤は枕の下に手を入れ、何かを掴むとミナに差し出した。
「……青島は、正義感が強かった。家族を愛していた。妻を亡くしてからは、母親の分まで娘を……」
ミナがそれを受け取ると、栁澤はぼんやりと天井を眺めた。
「それは、青島の切り札だ」
「確かに、受け取った」
栁澤は、力無く笑った。まるで、風前の灯火みたいな儚い笑みだった。
扉の向こうから子供の声がする。家族が戻って来たのだろう。ミナが席を立つと、栁澤が言った。
「……君の名前は?」
「My name is Minato. Please call me Mina. I am your hero!」
もうキャラクターがぶれぶれだ。
翔太が溜息を吐くと、栁澤が此方を見た。名乗るべきだろうか。だが、自分の立場では何も言えない。
「俺の仲間。正義の味方には、仲間が必要でしょう?」
「はは」
よく分からないが、栁澤が楽しそうに笑ったので、それで良いと思った。
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