⑹権謀術数

 大阪出発を翌朝に控えた夜半、日本海の遥か上空でとんでもない事故が起きた。バラエティ番組を放映していたテレビの上に、緊急速報とテロップが流れる。それは睡魔に誘われて微睡んでいた翔太を完全に覚醒させる程のけたたましいサイレンを鳴らしていた。


 朝食の仕込みをしていたはずの立花が給湯室から顔を覗かせ、パソコンに向き合っていたミナが振り返る。三人でテレビに釘付けになり、流れ出す緊急速報を静観していた。


 航空自衛隊の夜間飛行で、F2戦闘機二機が接触。

 夜間訓練中の出来事だったと言う。接触の際に一号機は右翼を破損し、そのまま海面に墜落。もう一機は機体を破損させながら、無事に基地へ帰還した。


 墜落した戦闘機のパイロット救出の為に海上自衛隊が向かった。しかし、機体は墜落の際に爆発し、パイロットは安否不明。政府は明日、緊急記者会見を開くらしい。


 この事故に付随して、高速道路に規制が掛かった。

 帰還した機体が、街中に破片を幾つか落としたのだ。住宅地に落ちた破片は屋根を貫いて家人を傷付け、高速道路に落ちたものはアスファルトを抉った。火災も起き、消防車のサイレンが鳴り止まなかった。


 テレビを見詰めていた立花は、溜息を吐いて新聞を広げた。




「明日は無理だな」




 高速道路の規制に伴い、一般道は激しい渋滞が予測される。また、彼方此方に爪痕つめあとを残した事故により、凡ゆる交通手段は麻痺する。

 バラエティ番組がニュース速報に切り替わり、能面みたいな顔をした女アナウンサーが事故の詳細を伝えようとしている。しかし、先程以上の情報は掴めていないようだった。




「笹森さんには連絡をしておく」




 立花もミナも、あっさりと大阪行きを諦めたらしかった。

 目の前の事件に比べれば、確かに自分達の状況には余裕がある。だからと言って先延ばしにすれば悪化するのは明白だ。


 もどかしいし、歯痒い。

 翔太がテレビを睨んでいると、立花に後頭部を新聞で叩かれた。全く痛くはなかったが、驚いた。




「もう、寝るぞ」




 出来ることは、何も無いのだ。

 ミナはパソコンで笹森にメッセージを送っているらしかった。事件のことも調べようとしていたが、立花に止められたので止めた。時刻は午後十時に差し掛かる。ミナはパソコンの電源を落とした。













 13.夜明け前

 ⑹権謀術数けんぼうじゅっすう












 何だか寝た気がしない。

 重い体を引き起こすと、給湯室から芳ばしい匂いがした。ミナはパソコンの回転椅子に座ってテレビを見詰めている。どうやら、立花が朝食を作ってくれているらしい。


 テレビでは昨夜の事故について記者会見を行なっていた。

 航空自衛隊の幹部が白い長机に並び、記者からのフラッシュを浴びながら事故の概要について滔々と説明している。


 昨夜午後九時四十分、日本海沖にて夜間訓練飛行中のF2戦闘機が接触した。その際、パイロットであった青島淳吾あおしま じゅんご二等空曹と共に一機は海面に墜落。もう一機に搭乗していた栁澤朝陽やなぎさわ あさひ一等空曹は機体を破損させながら基地へ帰還。


 海面に墜落した機体は損壊が激しく、青島空曹は殉職した。

 接触事故については機体トラブルと操作ミスの両面で捜査を進めているが、帰還した栁澤空曹は現在検査の為に入院中である。


 椅子の上で腕を組み、ミナは話し掛けるのを躊躇ためらう程、真剣な顔をしていた。吸い込まれそうな集中状態に、周りの声は聞こえていない。


 朝食の焼鮭を運んで来た立花がテレビのチャンネルを変えると、其処で漸くミナは我に帰ったらしかった。しかし、チャンネルを変えても記者会見は映っている。今はどの局も昨夜の事故について持ち切りで、事故に巻き込まれた民間の映像も映し出された。


 死者が一名で済んだのは、奇跡である。

 勿論、誰も死なずに済めば良かったとは思うが、無関係の民間人が巻き込まれなかったのは不幸中の幸いである。


 立花は三人分の焼鮭と冷奴ひややっこ、アサリの味噌汁と白米を用意し、席に着くように命令した。ミナはテレビを見ている。立花が溜息を吐いて頭を小突くと、ミナは苦笑してソファにやって来た。


 大変な事故である。人が死んでいる。

 だが、自分達にはやるべきことがある。

 三人で手を合わせ、静かに朝食を食べ始めた。




「大阪に行けないなら、敵を炙り出すってのはどうかな」

「反対」

「反対」

「過半数により、否決」




 立花と翔太が言うと、ミナは頬を膨らませて焼鮭をつついた。

 多分、ろくな作戦じゃない。この子供は何かと囮捜査を買って出るので、危ないのだ。




「代案の無い反対意見は、野次と一緒だぞ」




 ミナはそんなことを言ったが、翔太も立花も取り合わなかった。テレビは相変わらず記者会見を繰り返し報道し、よく分からない専門家が解説している。


 討論番組にチャンネルを変えると、青島空曹――殉職により二階級特進した青島空曹長の写真が映っていた。眼鏡を掛けた優しそうな、純朴な顔付きの男だった。


 その顔を見た時、翔太は愕然とした。ミナも言葉を失った。其処に映っていたのは、昨日、交通事故から助け出した女の子の父親だったのである。


 こんなことが、有り得るのだろうか。

 昼間に交通事故で死に掛けて、夜に航空事故で死亡。まるで、死神が青島空曹長の喉に鎌を掛けていたみたいに。


 昼間に事故を起こした人間を、夜に戦闘機に乗せるというのも納得行かなかった。しかも、訓練飛行だと言う。こんな時くらい休めと思うし、せっかく助かった命がこんな風に失われてしまうのは辛かった。


 翔太が黙っていると、事務所の死神こと立花は焼鮭を丁寧に解剖しながら尋ねた。




「知り合いか?」




 答えられない翔太に代わり、ミナが説明した。補足が不要であるくらい、理路整然とした完璧な説明だった。そして、最後にミナは嫌なことを言った。テレビの記者会見を指して、あれはだと。


 何が、嘘だと言うのか。

 翔太は眉を寄せた。故人をいたむ言葉が嘘だと言うのなら、それは血の通わない冷徹な人間なのだろうと思う。けれど、ミナが指しているのは、航空自衛隊幹部の説明である。


 事故の説明が嘘と言うことは――……。

 翔太が言葉を失っていると、立花が言った。




「真実なんてものは無い。事実は幾らでも捏造出来る。そして、現実なんてものは頭蓋骨の中にしか存在しない」




 立花は解剖し終えた焼鮭を食べながら、茶碗を手に取った。

 静かな食卓は異様な空気に包まれた。ミナは記者会見を凝視し、まるで真贋を見極めるみたいに微動だにしない。




「……レンジ、出掛けたい」




 箸を置いたミナが、真剣な顔で言った。

 それはまるで、敵地に足を踏み入れた兵士のような覚悟の決まった顔付きだった。立花は箸を止め、些か視線を鋭くした。




「お前、状況が分かってんのか?」




 俺は反対だ、と言って立花は白米を頬張った。

 それでも、ミナは立花を真っ直ぐに睨み付けるような眼光で、コンクリートみたいな固い声で言った。




「交通網は麻痺してる。俺達が動けないように、向こうも動けない」

「それは希望的観測だろ。何処に寄り道するつもりなんだよ」




 立花の言葉は正論だったし、正しかった。しかし、ミナは食事も途中のまま続けた。




「昨日、青島さんは娘さんと一緒に交通事故に遭って、俺とショータが助けた。娘さんは心肺停止状態だったんだけど、心臓マッサージで息を取り戻した。父親はその夜に夜間訓練飛行で死んでる」

「それで?」

「娘さんが心配なんだ」




 それは分かる。正直、翔太だって同じ気持ちだった。

 交通事故から生還したのは奇跡的な偶然だった。それなのに、父親は夜間に訓練飛行に参加し、そのまま死んだと言う。娘の気持ちを考えると遣り切れないし、心配だった。




「お見舞いに行きたい」




 本心だろうが、それが全てではないだろう。

 翔太だって見舞いの一つくらいなら行ってやりたい。自分達は名乗りもせずに立ち去ってしまった。ならば、花の一つくらい。


 立花は白米を飲み込むと、行儀悪く箸でミナを指した。




「お前が行って、見舞いだけで済むか? どうせ、首を突っ込む。これ以上、敵を増やしてどうするつもりだ?」

「顔は見せない。無事を確かめて、花だけ置いて帰る」

「無事じゃなかったら? 脳死状態だったら? 遺族が泣いていたら? お前は止まれないだろう」

「……じゃあ、レンジが納得する理由をあげる」




 ミナは立ち上がると、テレビ画面の端を指差した。

 航空自衛隊の幹部らしき浅黒い中年の男が、沈痛な面持ちで頭を下げている。




「この人は、那賀川なかがわ議員の敵対していた鷹派の人間だ。ペリドットやミア・ハミルトンを利用する公安とも繋がってる」

「……」

「この人達はね、軍備拡大とか法改正とか、国民の知らない所で戦争の準備を進めようとしている。それは青龍会の杜梓宸ト ズーチェンと同じだ」

「出任せ言ってんじゃねぇぞ。証拠を出せや」

「鷹派の筆頭と呼ばれる氏家議員の勉強会に、この航空自衛隊幹部の出入りがある。本人たちもそれを肯定してる。同じ派閥なんだよ」




 立花は机に肘を突き、深く溜息を吐いた。




「国会の大御所じゃねぇか……」




 氏家議員というのは、鷹派の大御所らしい。

 ミナや立花が言うには、彼等は自衛隊を海外の戦争に派遣させたり、日本の軍備拡大を図ったり、法改正により公認された処刑人を司法に導入したりする、所謂、強硬派らしい。


 勿論、良い政策も提案しているし、一定の支持率もある。だが、その根底には戦争を推進する過激な思想があると言う。




「俺は戦争が嫌いだ。他人に血を流せと言う人は信用出来ない」




 ミナはニューヨーカーなので、国籍はアメリカである。加えて未成年であるし、選挙権も無い。だが、其処等の若者よりはずっと政治に関心を持っているし、国の未来について考えている。


 立花は頬杖ほおづえを突いたまま、退屈そうに言った。




「其処まで言って、花だけ置いて帰るとは思えねぇんだが」

「それは、ごめん。撤回する」




 ミナが真顔で言うので、翔太はずっこけそうになった。


 つまり、SLCと一部の公安は、この氏家議員に繋がっているということだろう。彼等の目的は戦争で、その為に人体実験やら法改正やら物騒なことをやっている。

 中国マフィアの青龍会幹部である杜梓宸は、ミナの友達の李嚠亮リ リュウリョウの敵で、違法薬物や売春斡旋で国内の治安を悪化させることで中国に利益誘導を図っている。


 翔太はうなった。

 反論が浮かばないのだ。ミナは危険と分かっていても首を突っ込むだろう。それは辞めさせたいが、相手は敵である。むしろ、首を突っ込まない理由の方が無かった。




「この記者会見は嘘だらけだ。何か後ろ暗い思惑がある。俺は見過ごすべきじゃないと思う」

「じゃあ、どうするんだよ」




 立花が唸るように言った。

 折れたな、と思うと翔太は苦笑いを止められなかった。立花は基本的に交渉には向いていない人間である。腹芸が苦手なのだろう。だから、渋谷しぶやのような人間に振り回されるのだ。


 戦闘力に関してはそれを補ってあまりあるけれど、貧乏籤を引かされ易い。策略陰謀については、ミナの方が一枚も二枚も上手うわてである。

 ミナは箸を取り、冷奴を切り分けながら言った。




「青島さんの娘に会って、栁澤さんに話を聞く」

「栁澤? 事故で入院してるって人だろ?」

「そう。……多分、この人が生きて帰って来たのは、想定外のことだったと思うから」




 意味深なことを言って、ミナは冷奴を頬張った。

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