5.夜のパレード

⑴国家依頼

 師走しわすに入ると気温はぐっと下がり、体の芯まで凍えるような寒風が吹いた。葉を落とし終えた街路樹には電飾が巻き付けられ、街は来たるクリスマスに向けてお祭り騒ぎだった。


 異国の神の生誕祭だ。

 フライドチキンの店に行列が出来、凡ゆる店が赤と緑に彩られる。翔は綿のような息を吐き出し、かじかむ指先を温めた。


 陽気なクリスマスソングが流れる中、隣から何処か調子外れな鼻歌が聞こえた。栗色くりいろの頭が微かに揺れ、小さな唇は賛美歌さんびかみたいに静かな歌を口ずさんでいる。




「Hallelujah……」




 ハレルヤ。

 意味は、知らない。ミナが気持ち良さそうに口ずさむ歌は、心地良いリズムを刻んでいた。




「ハレルヤって、どういう意味なんだ?」




 ミナは少し考えてから答えた。




「日本風に訳するなら、バンザイかな。神様ありがとうとか」

「お前、信仰深いんだな」

「俺に神はいない」




 何なんだよ。

 翔は溜息を吐いた。神をたたえるような歌を口ずさむくせに、無宗教なのか。


 ミナは色々な意味でちぐはぐな少年である。少女のような顔立ちの少年で、アジア系に見えるのに英語を話し、大人しそうに見えて無鉄砲むてっぽうだ。


 今日は夕食の買い出しに来たところだった。

 立花から手書きのメモを預かったミナに、ひまを持て余した翔が付いて行った形である。


 商店街は殆どの店がシャッターを下ろしている。繁華街に八百屋があるはずもなく、二人で隣の駅まで歩いて行った。帰路に辿り着いた頃には昼を過ぎており、空腹を訴えて腹の虫が鳴いた。


 繁華街の雑多な駅前に、大きなクリスマスツリーが立っていた。信仰心に反比例するような巨大なツリーは、人々を見下すように立ちはだかり、翔は酷い威圧感に息苦しさすら覚えた。


 狂ったように肌を露出する若い女が、携帯電話を向けている。クリスマスツリーの下にはデジタル時計が設置され、電飾の点灯までのカウントダウンをしているらしかった。


 賑わう駅前を眺めていると、隣を歩いていたミナが思い出したように言った。




「Willowにえさをやらないと」

餌付えづけしてんのかよ」




 放し飼いのドブネズミにえさを与えるなんて、迷惑な奴だな。翔がそんなことを言うと、ミナは笑った。




「今年の冬は寒いらしいから、こごえていたら可哀想だ」




 この少年にとっては、人間もオケラもミミズもドブネズミも同価値なのかも知れない。とは言え、命の大切さが分かるのは良いことだ。













 5.夜のパレード

 ⑴国家依頼












「おかえり」




 事務所に帰り着くと、立花が低い声で言った。

 買い物袋をぶら下げるミナに手を伸ばしたので、この男にもそんな心遣こころづかいが出来るのかと驚いた。だが、立花は買い物がきちんと出来ているのかが気掛かりだっただけらしく、袋を覗いて確認するとすぐに返した。




「こいつ、買い物下手だろ」




 立花はそんなことを言って、笑った。

 先日の事件以来、何処か物腰が柔らかくなったような気がする。


 仕事をミナに阻止されてから、立花は仕事のやり方を変えたらしかった。

 依頼の受付をインターネットに切り替えたのだ。ミナいわく、通常のインターネットの検索エンジンとは異なるウェブサイトを使い、正攻法では到達出来ないようにしたそうだ。


 ミナが事務員として窓口を引き受け、依頼内容を選別する。それを立花に持ち掛け、受けるか否かを決めるそうだ。


 仕事を選ぶのはプロじゃないと豪語していた立花が窓口をミナに任せるというのは、すごいことだ。それだけ、先日のことが悔しかったのだろうし、ミナは偉業を成し遂げたのだろう。


 ミナが言っていたのだが、上杉心音は父親と共に引っ越したそうだ。新天地であの父子がどのような暮らしをしているのかは分からないが、幸せになれたら良いなと思う。


 買い物を片付けた後、ミナはパソコンの前に座った。定位置に戻った立花が、煙草に火を点ける。普段と変わらない事務所の姿に何故だかほっとして、翔はソファに座った。




「なんか依頼来てるか?」




 煙草を吹かして、立花が言った。

 ミナがどういう基準で依頼を選別しているのか分からないが、件数自体は以前と然程さほど変わっていないそうだ。もっとも、依頼人が突然事務所を訪れるよりはマシである。


 ディスプレイをにらんでいたミナが、うなりながら言った。




「何件か来てるけど、どれも復讐の依頼だね」

「そんなのは却下だ。他には?」




 立花は復讐を請け負わない。そのせいで胸糞の悪いクソみたいな依頼ばかり来るらしいが、インターネットに受付窓口を設置することで、依頼内容を事前に調査することが出来るようになったそうだ。お蔭で依頼人に振り回されることもないし、事務所は表面上は平穏である。


 立花がインターネットを活用して来なかったのは、本人に苦手意識がある為らしい。

 ブルーライトに照らされながら、ミナがうなる。




「Under Webは広いからねぇ。海外の依頼も来てるくらいだ」

「アンダーウェブ?」

「そう。皆が使ってる検索エンジンやウェブサイトは海の浅瀬みたいなものなんだ。Under Webはその下に広がる深海ってところかな。此処では違法薬物や臓器、兵器の売買も日常的に行われてる」

「海外とも繋がってんのかよ」

「海と同じさ。海域は国によって違うけど、繋がってるだろ。深海となれば法も効果を発揮しない」

「……なんか怖いな」

「知識さえあれば、大丈夫さ。俺はSurfingも得意だよ」




 そんな少女みたいな顔をして、サーフィンも出来るのか。翔が見当違いのところに感心していると、ミナがひらめいたみたいに声を上げた。




大口おおぐちの依頼が来てるよ」

「どんな?」

「依頼人はMODだね」

「MODって何」

「Ministry of Defence ――。和訳するなら、防衛省だね」

「防衛省?!」




 立花が咳き込んだ。

 いつも余裕綽々よゆうしゃくしゃくの彼が驚く姿は新鮮だ。

 防衛省って何だっけ、と翔が考えていると、ミナが補足してくれた。




「所謂、国防省だよね。他の国の侵略とか大規模災害とかから国を守って、国軍をまとめるところだよ。日本には軍隊はないらしいけど、戦力という意味では自衛隊が相当するのかな」

「その話、裏は取れてんだろうな」

「依頼先については本物だね。メッセージの送信にも幾つか中継地点を挟んでいるし、嘘にしては手が込んでる」




 立花は納得したようではなかった。

 自分を落ち着けるように煙草の煙を吸い込み、眉をひそめている。話から完全に置いてけぼりを食らい、翔は出遅れつつも問い掛けた。




「依頼人は自衛隊の親玉ってことだろ? それってどういうことなの?」

「つまりさ」




 椅子を回転させ、ミナが言った。




「今回の依頼人は、国家ってことだね」

「国家?!」




 話の規模が大き過ぎて付いていけない。

 立花の動揺も分かる。国家が殺し屋に依頼をするとは、どういうことか。


 立花は煙草を灰皿に押し付けた。




「国家が邪魔者を排除しようとするのは、別に珍しいことじゃねぇ。CIAとかMI6だって暗殺を任務として遂行するしな」




 この国は知らない間に随分と治安が悪くなっていたらしい。翔が知らなかっただけで、昔からそういう事件は起きていたのかも知れないが。




「この国にも工作員と呼ばれるスパイはいる。公安なんかその代表だろ」

「じゃあ、何で此処に依頼が来てんだよ!」

「それなんだけどさ」




 腕を組んだミナが、目をキラキラさせて言った。




「国家と言っても一枚岩じゃない。鷹派もいれば鳩派もいる。これって、派閥争いじゃないかな」

「そんなもん、却下だ。絶対に面倒なことになる」




 立花が吐き捨てる。

 尤もな話である。派閥争いとは得てして面倒なものであるし、関わらずに済むのならそれに越したことはない。


 ミナは顎に指を添え、考え込むようにして言った。




「この依頼なんだけどさ、宛名がレンジじゃないんだよね」

「じゃあ、誰だって言うんだよ」




 翔が尋ねると、ミナは真顔で答えた。




「宛名はハヤブサだ」




 途端、立花から表情が消える。空気がぐっと下がったような気がして、翔は思わず身構えた。


 ハヤブサ。また、だ。

 立花が凄腕の殺し屋であることは疑う余地もないけれど、その名が出ると空気が変わる。




「ますますキナ臭ぇな。国家には子飼いの殺し屋だっている。態々わざわざ外部委託する理由が分からねぇ」




 かなり不穏な言葉が出て来たが、話が進まないので翔は聞き流そうとした。だが、ミナが耳聡みみざとく追求した。




「子飼いの殺し屋って、国家公認ってこと? それともスパイのこと?」

「国家公認の殺し屋だよ。俺も詳細は知らねぇ。先代から聞いただけだ」




 国直々の依頼に、国家公認の殺し屋。

 もう、訳が分からない。覗いてはならない闇の深淵に足を突っ込んだ気分だ。それは泥沼のように両足をからめ取り、やがては呼吸を奪うのかも知れない。




「国家公認の殺し屋を動かせない理由があるってことか……」

「断る?」

「いや、ハヤブサ宛の依頼なんだろ。受けるよ」




 立花は溜息を吐いた。

 立花個人宛の依頼ならば、断ったのだろう。ならば、ハヤブサとは一体何なのか。危険で面倒だと分かっていながら受けなければならない程の価値が、その名前にはあるのだろうか。




「まったく。誰を殺せって言うんだ……」




 ミナが小難しい顔をして唸る。

 多弁な彼が言いよどむというのはろくな依頼じゃないということだ。ミナが言った。




「何だか、嫌な感じがする。何だろう。腹の底がざわざわして、落ち着かない。……この依頼、本当に受けるの?」




 彼が弱音を吐くのも珍しいことだ。

 何か自分に出来ることはないだろうかと翔が見詰めていると、立花が言った。




「嫌な予感がするのは、俺も同じだ。だが、ハヤブサ宛に来ている以上は断れねぇ。ミナは俺から離れるな。翔はミナを守れ」




 立花なら自衛は出来るのだろう。

 依頼の規模を考えると、優先して守るべきは弱者であるミナだ。翔はしかと頷いた。二人揃って嫌な予感がするなんて言うから、不安になって来た。


 ミナは暗い顔でパソコンを操作していた。依頼人に了承の返事を送ったらしい。




「返事が来た」

「早いな。何だって?」

「打ち合わせ先が指定されているよ。料亭だね」

「……」




 ミナがディスプレイに映したのは、打ち合わせ先となる料亭の写真だった。旅館のような畳の部屋、和風な創作料理、庭は立派な松の木が立っている。


 翔は自分の姿を見た。

 ミナは立花に付いて行くのだろう。自分はミナを守れと言われたが、着て行く服がない。


 察したらしいミナが、もう一度買い物に行こうかと言った。打ち合わせまで日にちがある。翔は頷き、イルミネーションに彩られたクリスマスの街並みを想像して、うんざりした。

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