パラダイムシフト☆在宅勤務
成井露丸
パラダイムシフト☆在宅勤務
「――
そのニュースは電流のように社内を駆け巡った。
これまで第一次緊急事態宣言が出てもサードウェーブが襲ってきても、頑として出勤を善とする昭和的価値観を崩さなかった我が社。そんな弊社にも、ついに役員会へとニューノーマルな議題が提出される日が来たというのか!?
デスクでうとうとと居眠りしていた僕は、顔を上げてデスクトップ画面の上の社内コミュニケーションツールの通知に目を見張った。「ああ、帰りたい、おうちに帰りたい」と眠い目をこすりながらではあるが――。
「――マジかよ!?」
なおこの社内コミュニケーションツールも情報分野に明るくない上層部を僕ら情報部門のスタッフが説明に説明を重ねて導入を許してもらったやつだ。「やっぱりコミュニケーションは直接顔を合わせないといかん!」というお偉いさんたちを説得するのには骨が折れました。――ただしお試し運用ということで人数限定の最安プランだけどねっ! 来てよ僕らのDX! ――閑話休題!
ダイレクトメッセージで秘書課の友人――
すぐにリプライは飛んできた。
『本当らしいわよ。「我が社もついに生産性と感染防止を両立させながらウィズコロナの時代の要請に応じる準備ができたのだ!」とか息巻いているわ』
白石麻衣花は僕と同期入社の若手女性社員。
ブラック企業の
同期の男性社員のみならず諸先輩や役員クラスを巻き込んで激しい争奪戦が行われたが、まだ誰の手にも落ちていない。――まあ、秘書課への配属も役員によるお手付けみたいなものだという噂もあるのだけれど。
そんな彼女は僕と偶然の同郷出身。
だからか他の男子社員とはちょっと違う距離感を保ちながらも、仲良くしてもらっているのだ。
「でも、城戸常務だろ?」
『一筋縄で行かないと思うわよね? ――御名答』
「議案の内容知っているの?」
『んー、まーねー(;^ω^)』
微妙な笑みの顔文字が送られてきた。
四階にある秘書課のデスクで苦笑いを浮かべる白石さんの表情が目に浮かぶ。
僕の所属する黒杉産業はざっくり言えば製造業に属する企業だ。
全国区ではないけれど、中小企業よりかは大規模。株式市場には上場していないけれど、だからこそオーナー一族による良く言えばリーダーシップある――悪く言えば無茶苦茶な経営がなされていた。
ザ・ブラック。ザ・昭和。ザ・年功序列&忖度。
――それが僕らの黒杉産業だ!
なんでこんな企業に入っちまったんだ、って思う日もあるけれど、給料払いは悪くないのと地方行政と系列の利権に食い込んでいるから経営に安定感はある。それが、どこか雇用の安心感と離職しにくさに繋がっている気はする。
「城戸常務なんて製造部門畑だからさ。リモートワークなんてイメージ出来ないんじゃないの?」
『そうなのよねー。もちろんそうなのよ。それは多分変わっていないのよ』
ものづくりには大きな装置がつきもので、会社に来ないと仕事にならない。実質在宅ワークできるのなんて、ホワイトカラーの一部だけ。
そうなってくると「あいつらだけおうちの時間をエンジョイしやがって、ズルい!」と現場から突上げの声。
――我々はこの国難に立ち向かうために一致団結してラインを止めることなく、誰一人現場から欠けることなく、このパンデミックを乗り越えるのである!
去年の夏。工場の二階にある桟橋から現場の社員たちを鼓舞し、アンチリモートワーク演説をぶっ放したのが城戸常務だった。
――あれは……ヤバかった。
『興味あるならPDF送ろうか? ヤバいわよ』
「――じゃあ、貰うよ」
正直、眠くてディスプレイで文字を読むのは勘弁な感じだったけれど、――興が乗った。
昨日の晩も突然起きたシステムトラブルで呼びつけられて、会社に泊まりこんだのだ。なんだか長い間家にろくに帰れていない気がする。
別に現場を軽視する気はないけれど、効率的に在宅勤務させてもらえるのなら、それに越したことはない。
――それにしてもあの城戸常務がねぇ。
経産省や自治体がお願いベースでお触れを出しているけれど、民間企業に対して真っ当な保証があるわけではない。――それに生産ラインを止めたら、困るのはうちの会社だけではないのだ。
だからこそ城戸常務を筆頭にリモートワーク抵抗勢力は、在宅勤務を許さないことで組織の一体感を維持しようとするのだ。でもなんだかそれって、ザ・昭和、ザ・製造業。……まぁ、仕方ないんだけどね〜。
しばらく待っていると、チャットウィンドウにアップロードされたPDFファイルのアイコンが現れた。ダブルクリックして開く。
『城戸常務、言っていたわよ。「これが在宅勤務のパラダイムシフトなんじゃ〜」って』
「パラダイムシフト?」
『ええ、パラダイムシフトって、考え方が根っこから変わるってこと?』
「それは――知っているけれど」
Acrobat ReaderでPDFが開かれた。役員会の議事一覧。
確かに議題に城戸常務の起案で『ニューノーマルにおけるリモートワーク推進政策(パラダイムシフト)について』という議題がある。
これはマジっぽい。ついに来たか、我が社にもDXの波が!?
――でも、パラダイムシフトって、何?
『ヤバいわよ、内容。まさに、パラダイムシフト。さすがライン維持絶対主義の城戸常務よ』
「――なんで? でもリモートワーク推進なんでしょ?」
『まぁ、見てよ、五七ページよ』
僕はウィンドウをスクロールしてそのページまで進んだ。タイトルは『ニューノーマルにおけるリモートワーク推進政策(パラダイムシフト)について』。まさにこれだ。――議案の内容に僕は目を走らせる。
「なになに『弊社における在宅勤務は本社併設の社員寮に住む者から優先して実施するものとする』……ん?」
『――どう? ジワジワ来るでしょ?』
「……いや、この社員寮って、あれでしょ? 廊下で繋がっている隣の建物でしょ?」
『そうよ。その通りよ』
「……これ実際には会社に住んでるのも同然の社員の話じゃん。会社が自宅になっている社員を在宅勤務って呼び替えているだけじゃん?」
『――おにただっ! m9(^Д^)』
白石さん、顔文字のレパートリーあるのね。
僕はさらに議案内容の先に目を走らせる。するとそこには巨額の予算案が形状されており、隣地買収と新棟建設のアイデアが――。
「これ何? 新規社員寮の建設計画?」
『凄いでしょ。まさにパラダイムシフト。私たちはきっと昭和のレガシーを甘く見ていたんだわ』
「これってつまり……。社員をもう会社に住ませることで在宅勤務している体にしようってこと?」
『――おにただっ! m9(^Д^)m9(^Д^)m9(^Д^) プギャー』
白石さん……三人に増えたよ。
「……これ在宅ワークの意味なくない?」
『無いよねー。全然嬉しく無いよねー』
「パ……パラダイムシフトだね」
『パラダイムシフトだよねー(白目)』
社会の要請から在宅勤務は増やしたい。
でも現場で仕事をすることは譲れない。
みんなは絶対に会社に来るべきだよー。
あ、だったら、みんな会社に住めばいいんじゃね?
それだーーーーーーーー!(←イマココ)
「それだーーーーーーーー! じゃねぇよぉ!」
『え、何? 落ち着いて。大丈夫よ、こんな議案さすがに――』
「……通らない?」
『――通っちゃうかもねぇ』
その無茶が通るのが我が社――黒杉産業クオリティなのである。
株主からの突上げを受けないオーナー企業ってマジで凄い(三白眼)。
でも本当に眠いから、いっそのことなら会社の隣が自宅っていうのは、アリかもしれないなぁ――って思う。
いかんいかん。そういう発想は社畜ここに極まれりじゃないか。
ちゃんと仕事とプライベートは切り分けたい。
僕だってまだ真っ当な人生を諦めたわけじゃないんだ。
綺麗な女性を彼女にして、結婚して、幸せな家庭を築くのだ。
そう――たとえば白石さんみたいな。
そんなことを考えながらウィンドウに視線を上げる。
白石さんからのメッセージがポップアップした。
『ねぇ、六〇ページを見てみてよ』
「――六〇ページ?」
マウスホイールを回す。そこには建設予定の新棟に作られる部屋の概要が書かれていた。
単身者向けのものだけではないバラエティに富んだ間取りの数々がそこにあった。
『カップルで住める部屋もできるみたいだよ?』
「本当だ。社内恋愛で結婚したカップルが住んだりしちゃうのかな?」
『……ふふふ、そうかもね』
社内恋愛。カップル。白石麻衣花。
本当はずっと好きだった同期の女の子。
『――ねえ、そういう部屋が出来たら、私と二人で住んでみる?』
「――えっ?」
白石さんからの夢みたいな言葉を受け取って――
※
――そこで僕の目が覚めた。
気づけばいつもの職場のデスクだった。
机の上に両腕を組んだまま突っ伏してうたた寝してしまっていたのだ。
「……夢かぁ」
夢の内容を思い出して僕は、さすがにやっぱり夢だよなぁと思う。
でも白石さんからのお誘いだけは現実だったら良かったのにな、と思ったりもした。彼女と一緒なら、会社に住み続けるのも、悪いことじゃないかもしれないな――なんて思ってしまう。
いかんいかん、こういう考え方こそが社畜街道の始まりなのだ。
それにしても随分と長い間、自宅に帰っていない気がする。やっぱり他社みたいに、我が社にもリモートワークを導入して欲しいものだ。
そんなことを考えていた時だった。デスクトップの社内コミュニケーションツールに新しいニュースが飛び込んできた。
「――城戸常務が在宅勤務推進の議題を役員会で提起するらしい」
「――マジかよ!?」
【冒頭に戻る】m9(^Д^)
(完)
パラダイムシフト☆在宅勤務 成井露丸 @tsuyumaru_n
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