明治のおうち時間

井上みなと

第1話 明治23年の食事風景

「先生、何をお読みなんですか?」


 真琴まことは師匠の肩越しに、本を覗き込んだ。


 師匠の北星ほくせいは本を隠すでもなく、真琴に本の内容を説明してやった。


「日本も西洋の食事形式を取り入れろという本だ。なかなか面白い」

「西洋のというと……、フォークとかスプーンで食べろということですか?」

「いや、食器ではないね」

「それでは肉とかパンとかを食べろということでしょうか?」

「西洋に倣えというと、洋食のそれを思い出すだろうね」

 

 ふふっと笑い、北星は本に載っていた西洋料理の食事風景を真琴に見せた。


「何か気付くことはないかな?」

「えっ……洋服を着て、フォークとナイフで西洋料理を食べているとしか……」

「そうか。それでは、後で食事時にもう一度、考えてみるといい」


 北星は本を閉じると、軽く伸びをした。


「今日は治療院のお客さんも来ないし、少し寒いし、ちょっと昼寝でもするかなぁ」


 桜春堂治療院おうしゅうんどうちりょういんは今日は寒さの為か、常連もお客さんも来ず、暇だった。

 しかし、真琴は師匠のさぼりを許さなかった。


「ダメですよ、先生! 寒い日だからこそ、体を悪くして来るお客さんがいるかもしれないじゃないですか。それに、お暇なら僕の霊力の訓練をして下さい!」

「ええ……。布団に丸くなっていたい……」


 北星がなんとかして怠けようとしたが、玄関からカタカタと音がした。


「ほら、お客様ですよ!」


 真琴が治療院の入り口に入っていく。


「いらっしゃいませ。どうぞこちらへ!」


 弟子が元気よく出迎えてしまったので、北星も仕方なく、治療の準備に入った。


 日が暮れて、夕飯時になる。

 

 適当でいいという北星を、きちんと食べないとだめだと説き伏せて、真琴が夕飯を用意した。


「さ、先生、どうぞ」


 真琴がよそったご飯を、北星の膳に置こうとする。

 そこで北星は先ほどの本を取り出した。


「ありがとう、真琴。後は私がやるから、おまえはこの本を見て、うちの食事とどう違うか、見比べてみなさい」


 本を渡され、真琴は本の絵と自分たちの食事を見比べた。


「比べるといっても、食べてるものも服装も違い過ぎて……あっ!」


 北星が真琴の膳にご飯を置いた時、真琴は“違い”に気づいた。


「西洋の食事は、みんな同じ台の上でするんですね」

「そう。“食卓”といってね、一人一人にお膳があるのではなくて、食卓という大きなものを置いて、みんなが一緒に食べるんだ」

「そんな食事の仕方もあるんですね」


 食事と言えばそれぞれ膳があり、かつ、地域によっては、膳にのる料理が家族によって違った。

 また、同じ部屋で食べるとも限らず、別の部屋で食べさせられる家族もいた。


 しかし、西洋のように“食卓”にすれば、みんなが同じ場所で、一緒にご飯を食べるという画期的な状況になる。


 北星の読んでいた本は、家政学の本で、家族団欒で食事が出来、かつ、膳を配るなどの労力も減じると説いていた。


「それでは食べようか」


 各々の膳の前に座り、北星と真琴はいただきますをして食べ始めた。


「先ほど先生がおっしゃっていたみたいに、同じ卓の上に料理を並べて、みんなが一緒にご飯を食べるという日が、来るのですかね」

「そうだね。御一新の前だと考えられないかもしれないが、十年、二十年後になったら、どの家も膳を置かず、食卓というのを囲んで、食事をするようになるかもしれないよ」


 この十五年ほど後、夏目漱石という文豪が書いた『吾輩は猫である』という本には、丸い座卓を囲んで子供たちが食事をする挿絵が、当然のように描かれることになる。


 昭和になると、膳ではなく『卓袱台ちゃぶだい』が日本らしい姿と思われるようになるのだが……それはまた、別のお話。


 

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