嘘の名手
***
このタイプの男は、家の中に貯金を保管している。
長期張り込み、心理学的金銭感覚、経験則、勘。全てがマッチした。
一戸建て一人暮らし、ペットは飼っていない。
合鍵は電気メーターの戸を開けた裏にテープで張り付いてある。
木曜の夜は付き合っている歳下の惚れ込んでいる女に会うため帰ってこない。
予定通り。決行だ。
合鍵を回収しドアを開けて侵入する。
暗闇の中リビングまで進み、深呼吸してから明かりをつける。
隅々まで綺麗に片付けられ、テレビのリモコンまで机の角に丁寧に並べられてある。
思った通りだ。あとは自分の勘と本能を信じて動くのみ。
左腕の腕時計でストップウォッチをスタートさせる。
ここ一ヶ月の調査によると、ターゲットの歳は四十前後、公務員、一人暮らし、同年代との付き合いは皆無、付き合っている女はひと回り歳下。合鍵は家の外に隠し置き、仕事帰りには必ず近所の喫茶店に寄りブラックコーヒーを飲んで帰る。煙草の銘柄はアメスピ、根っこまで吸い終えると灰皿にねじり込むように潰す。
典型的だった。
家を留守にする今日の夜が待ち遠しくて仕方なかった。
リビングを出て二階へ上がると寝室の向かいに書斎らしき殺風景な部屋があった。書斎の電気をつけると、右側に本棚と正面に真っ黒な机と椅子以外には、見事に何も置かれていない。
「こいつ、疲れそうな生き方してんな」
左側にあるクローゼットを開くと丁寧に掛けられている衣服の後ろに黒い金庫を見つけた。両手で金庫をぐっと手前に引っ張ると、ダイヤル式の四桁の暗証番号が目に入った。
「まだ二十分以上あるか」
腕時計を確認し、ポケットから煙草と小さな懐中電灯を取り出す。ライターで火をつけると、開いたクローゼットに目掛けて煙を吐いた。
「じゃ、失礼するぜ」
書斎の電気を切ると同時にブラックライトの懐中電灯でダイヤルを照らすと、家の主の指紋が淡い緑色に輝いた。
煙草を咥えたまま入念に観察し、親指らしき太い指紋を見つける。
「たいしたことねえな」
四桁のうち全て確認する必要はないが、今回はどの桁も丁寧に答えを示す指紋が残っていた。
「年甲斐もなくロマンチストだな」
ダイアルを正解である「1224」に合わせ、取手を引く。
予想以上にあっさりと扉は開き、その中身に目をやる。
ざっと札束で一千万はあった。予想の段階では五百万だった。これは美味しい。「ご馳走様でぇす!」
札束を全て自分のリュックに詰め、金庫を元の場所に戻そうとした時、クローゼットの奥に一冊の古びた手帳を見つけた。
「ん?」
書斎の電気をつけ、手帳を持って椅子に腰掛けた。
表紙には、『京子に捧ぐ愛の記し』と書かれてある。
「昔の女か?ダサすぎだろおっさん」
しょうもなさすぎて笑いがこみ上げてきたが、腕時計を見るとまだ時間はある。好奇心が勝ち、表紙をめくってみると無地のページに日付と出来事、感想が達筆で簡単に書かれていた。
【2003/5/16】
水族館デート。
イルカは海の豚。クラゲは海の月。
次こそプロポーズする。
「......おいおい、面白すぎるだろ」
ページをパラパラと真ん中あたりまでめくった。
【2005/12/14】
横浜イルミネーション。
観覧車でサンタにお祈り。
指輪が似合っていた。
「あ、こいつバツイチだったのか。......ん?」
またページを進めていくと、ひとつだけ赤いペンで書かれているページを見つけた。
【2007/10/3】
嘘、嘘、嘘。嘘?
最初から。偽物。全部。全部?
なんで?いつから?教えて。頼む。
「......うーわ、だいぶ病んでんな」
ふと、最後の書き込みが気になりページをめくった。
【2007/12/24】
京子。ありがとう。
僕らの愛は永遠に。
またね。
そこから後ろのページは空白だった。
「いやぁ.....、サイコパスかよ......」
盗みに入ってこんなに後味悪いのは初めてだ。昔ダイヤルが解除できずに諦めた時よりも胸糞悪い。
「ていうか、捨てろや......」
そう思いながらも、手帳を金庫の後ろへしまっておいた。
「ま、こんなだから泥棒に金盗まれんだよ」
そう言って一千万円の入ったリュックを背負い書斎の電気を消した。
その時だった。
ガチャリ。
玄関のドアが開く音が聞こえた。
「......冗談じゃねぇぞ......」
長居しすぎたか、いやそんなことはない。
まだ入って二十分ほどしか経っていない。毎週この時間は留守にしているはずだ。冗談じゃない。警察だけは勘弁だ。
玄関のドアが開き、何者かが入ってくる音がした。
家主か、どうする?
いっそ二階の窓から飛び降りるか?
その時、玄関から声が聞こえた。
「......あれ?靴.....?誰かいるの?」
女か。
さては家主の彼女か?
警察を呼ばれたらまずい。
攻めるか?逃げるか?
こうなったら一か八か。
嘘だ。
咳払いをし、深呼吸する。
階段を駆け降りながら大きく声を上げた。
「やっと来ましたか!私は警視庁捜査一課特殊警備班所属の芹沢といいます!ここの家主に殺人の容疑がかけられているため内密に捜査を進めております!そしてたった今、ここにやって来るはずの君を待っていました!至急、話を聞かせてもらえませんでしょうか!」
怒涛の勢いで言い切った。と同時に階段を降りきった。
玄関には同年代くらいの女が唖然としていた。が、ドアノブに手をかけて今にも外に逃げられる態勢を取っている。
そのまま外に逃げるなよ......、と念じた。
「け、けい、警察......?え、泥棒じゃないの.....?」
声が震えている。その反応を見て、いける、と確信した。
「失礼、驚かせてしまいました。私は職務上、このような形で容疑者の身辺調査をさせていただいております。容疑者であるここの家主と近しい間柄であるあなたにも聞きたいことがあります」
「......え、和也さん、何かしたんですか......?」
食いついた。いける。
「それはまだお伝えできませんが、あなたのお話を聞ければ捜査に進展があるかもしれません。驚かせてしまって大変申し訳なかったですが、お話させていただけませんか?」
「え......、でも和也さんもそろそろ帰って来るけど......」
......いや、まずいだろそれは!
心の叫びをグッと抑えて、この場から円満に逃れる方法を考えながら答えた。
「そうですか、確かにそろそろこちらも退去予定時間でした。そうしましたら、もしよろしければ私と二人でお話しできませんか?もしお時間の都合が悪ければ日を改めますが」
嘘が得意で助かった、と思った。
「あの......、和也さんは、何をしたんですか......?」
一瞬返答に悩んだが、とっさに適当に答えた。
「捜査上、詳しいことはお伝えできませんが、2007年頃の京子さんとのことについてのお話です」
と言ったところで、おや?と思った。
目の前の女の顔が急に青ざめ、目を丸くし始めた。
「えっと、どうしましたか?」
「あの......、母と......、和也さんに何があったんですか?」
女は怯えながらも、母、と口にした。
書斎での手帳の内容、家主の彼女、そしてその女の母、京子。
一瞬でこの場から安全に逃げる方法を閃いた。『嘘つきは泥棒の始まり』という言葉はきっと、泥棒の嘘が上手いからだなと思った。
「時間がないので簡単にお伝えします。ここの家主は以前にあなたの母を殺害した疑いがあります。実は今後あなたにも危害が及ぶ可能性もあり、早急に捜査を進めている段階です。少しで構いません、私からも伝えたいことがありますので、少しご同行していただけませんか?」
この女を言いくるめられれば通報される心配はない。
相手方の事情は正直知ったこっちゃないが、少しだけ利用させてもらう。
そう思いながら、真剣に女の目を見続けた。
「わ......、分かりました......。行きます」
「ありがとうございます。では急いで出ましょう」
そう言って女の後に続いて玄関から急ぎ足で外に出た。
まだ家主の姿は見えない。助かった。
背中には一千万円の入ったリュック、横には同い年くらいの怯えた女。
こんなつもりじゃなかった、けどなんとかなった。
嘘に救われたな、と心の中で思った。
嘘の国 蜂鳥りり @hachidori77
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