ビハインド

緋糸 椎

ビハインド

鵜殿うどの支社長、本社の小池本部長からお電話です」

 事務の女の子がオレに言った……おっと、近頃じゃ女子社員を〝女の子〟と呼ぶのは、なんたらハラスメントになるとか誰かが言ってたな。ともかくオレは受話器を取り、彼女が教えてくれた内線番号のボタンを押した。

「はい、鵜殿ですが……」

「小池だけどね……鵜殿君、若い部下を殴ったんだって? 困るねぇ、今は君たちが育ったモーレツ時代と違うんだから気をつけないと……」

 私はそういうあなたに殴られて育ったんですよ、という言葉をオレは言わずに飲み込んだ。

「すみません、迂闊うかつでした」

「ともかく、私も立場上見過ごす訳にいかないから、自宅謹慎ということで手を打ってくれんか。まあ、この機会におうち時間を堪能してくれ」

 納得いかないが、本社の意向には逆らえない。オレは副支社長の緒方を呼びだし、事情を話して業務の引き継ぎを頼んだ。

「……というわけだから、あとのことはよろしく頼む」

「承知しました。……鵜殿塾の塾長までは務まりませんけどね」

 緒方がチクリと皮肉を込める。鵜殿塾……オレの仕事の仕込み方がスパルタなので、いつしか周りからそう呼ばれるようになっていた。〝塾生〟たちでオレに殴られなかった者はいないが、巣立った後はほぼ例外なく出世を遂げており、みなオレに感謝している。

 一方、目の前の緒方はオレとは真逆の穏健派として社内で通っていて、今どきのアマチャンにはウケがいいようだ。だが同時に、腹の底で何を考えているかわからない部分もあるが、最近の若い連中は優しくされれば無条件でいいひとだと思うらしい。


「ただいま……」

 家に帰っても、何の返事もなかった。子供たちは一人暮らしで家を出ているが、妻がいる筈である。オレは靴を脱ぎ、家の中に入る。すると、書斎の方から何やらカチャカチャ音がする。扉を開けると、妻がパソコンを血眼になって操作していた。

「おい、何やってるんだ」

 オレが声をかけると、妻が驚いて飛び上がった。

「ちょっと、急に声をかけるからビックリするじゃない! 帰ってきたんならただいまくらい言ってよ、って言うか、何でこんな昼間に家にいるの?」

「ただいまと言ったが、おまえが気づかなかったんだろ。……実はウチの会社も全面的に在宅ワークになったんだ」

 さすがに謹慎処分だとは言えない。

「ふうん、『在宅なんてオレの権限でさせない』なんて息巻いていたのにね」

 オレは妻の皮肉にムッとしたが、ふと部屋の中を見渡すとダンボールだらけなのに気がついた。

「一体なんなんだ、これは?」

「メルカリで出す商品よ」

「メルカリ? なんだそりゃ」

「ネット売買よ。前にも色々説明したのに、覚えてないの?」

「ああ、そうだったね……」

 全然覚えていないが、そういうと〝私に無関心だ〟とか責められるので、適当に相槌を打って部屋を出た。しかし書斎のパソコンを占領されてしまっているので、やることがない。仕方なく〝塾生〟の一人である藤田に電話をした。ちなみに藤田は今、福岡支社の支社長だ。

「はい、藤田です」

「ああ、鵜殿だけどね、久々に君の声が聞きたくなってね」

「これはこれは鵜殿支社長、……小耳に挟んだんですが、色々大変だったようで……」

「なに、大したことはないよ。この機会に積ん読になってた本にでも目を通すさ」

「それがいいですね」

「それにしても……最近の若いのは、ちょっと強く言えばすぐにパワハラだのモラハラだのと、メンタルが弱っちくなったもんだ。オレたちの駆け出しの頃は毎日どやされたり殴られたりしたもんだがな……」

「本当に、おっしゃる通りです」

 と、藤田の受け答えに心がこもっていないことにオレは気づいた。きっとオレの愚痴に付き合うほどヒマではないのだ。

「……と、あんまり邪魔しても何だから、この辺で切るぞ」

「そうですか? せっかくだからもっとお話したかったのですが……」

 そういう藤田の声は、心なしかホッとしているように聞こえた。


 電話を切ると、妻がたくさんの荷物を抱えて出かけようとした。

「ちょっと郵便局でしてくるわ。ついでに買い物もしてくるから……お昼ごはん、適当に食べてて」

 オレの返事を待たず、妻はそそくさと出て行った。お昼ごはんを適当に食べろと言われても、数十年も自炊などしていない。ケータリングでも頼もうかと、書斎のパソコンに向かう。ところが開いて見ると、デスクトップは妻の好きなようにカスタマイズされていたが、それは普段から整理整頓を心がけるオレにとってはカオスだった。

「やれやれ、使いにくいな……」

 オレはブツブツ言いながらキーボードを叩いていたが、うっかり誤ってブラウザを閉じてしまった。慌ててスマホで修復方法を検索し、無事に閉じられたタグが復活したのだが……その中に先ほどなかったサイトのタグが出ていた。見てみるとそれは、スワローテイルという名の、出張ホストサイトだった。しかも不用心なことに自動ログイン出来る状態になっていた。

「あいつ、何やってるんだ……」

 ログインしてみてさらに驚いたことに、妻は出張ホストの予約を入れているのがわかった。しかもあと数分後の予約だ。つまり、妻はにかこつけて、若いツバメとよろしくやるつもりだ。オレは怒りが込み上げてきて、妻の携帯にかけた。ところが、「おかけになった番号は、電波の届かないところに……」とのアナウンス。オレはコードレスホンを床に叩きつけながら、萌える怒りを持て余していた。

 とその時、インターホンの呼鈴がなったので、防犯カメラを確認した。すると、いかにもチャラそうな茶髪の若造がそこにいた。妻が予約したホストに違いない。それでオレは何も言わずに玄関にかけより、乱暴にドアを開いた。若造は面食らったように口をポカンと開けながらこちらを見ていた。

「あいにくだが、妻は留守だ」

「……え?」

「とぼけるな、おまえは妻が呼んだ出張ホストだろう。急にオレが帰ってきたので、外で会うことにしたんだろうが、連絡が行きちがったようだな」

「……はあ」

「まあ、とにかく上がれ。こんなところで話すのは世間体が悪い」

「……お邪魔します」

 若造は物怖じもせずに、いわれるままに家に上がった。それがオレは気に喰わなかった。


 オレはネスカフェゴールドブレンドを淹れて若造に差し出しながら話した。

「おまえ男として、こういうことやって恥ずかしくないのか?」

「と言いますと?」

「金が欲しいからといって、女から金を巻き上げるようなマネだよ。だいたい楽して稼ごうなんてろくでもねえ考えだ。オレたちは若い頃、人が寝ている間も必死に働いて来たんだ。今日の日本の繁栄はその土台の上に立ってるんだ」

「寝ないで働くなんてそれこそろくでもないですよ。スタンフォード大学の西野教授が言うには……」

「フン、ネットで拾った知識で物知りになったつもりか。世の中渡っていくのに必要なのは屁理屈じゃない。つまるところ根性なんだよ」

 すると若造が苦笑を漏らした。

「何がおかしい」

「あなたはある意味、恵まれた時代に生きていたんですね。今の時代、そんな根性論で乗り切れるほど甘くありませんよ。あなたはホストを侮蔑しましたが、彼らが稼ぐためにどれほど知恵を絞っているかわかりますか?」

「下心があれば、バカでも悪知恵が働くというもんだ。オレたちが頑張って来たのはそんなちっぽけな欲望のためじゃない。戦後日本の運命を背負い、全力で駆け抜けて来たんだ」

「確かに戦後のような混乱から抜け出すには、力ずくで踏ん張ることも必要でしょう。でも、宇宙ロケットを考えてくださいよ。ハイパワーの一段ロケットが必要なのは重力圏を超えるまでです。そこから上は切り落とされるんですよ」

「また屁理屈いいやがって」

「……お気づきじゃないんですか? あなたも切り落とされたから、今ここにいるんですよ」

「何だと!?」

 オレは立ち上がり、思わず手を上げた。若造はそれをかわすように身を引いた。

「呆れました、本当に懲りない人ですね。そういうことをすればどうなるか……あなただって身をもって知っている筈じゃないですか」

 オレは悔しかったが、返す言葉がなかった。

「わかった。もういい、帰れ」

「……お邪魔しました」

 そう言って若造はさっさと帰っていった。オレは腹立ち紛れにそこら辺にあるものを投げまくった。


**********


 茶髪の若者は鵜殿家を出てしばらくすると、携帯を取り出した。

「もしもし、緒方副支社長ですか? 今鵜殿支社長に会って来たところなんですけど……はい、副支社長のおっしゃる通り、あの人もうダメですね。僕を殴ったことを反省していないこともそうなんですけど……そもそも直属の部下である僕のことを覚えていないんですから……」

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