引きこもり夫婦のおうち時間

水円 岳

 ある日、女房がどこかから奇妙な情報を仕入れてきた。世界に突如大異変が襲いかかってきた、と。だが、その異変が俺たちにどう影響するのか全く予測がつかなかった。何せ俺たちはずっと引きこもっているからなあ。


「どんな異変なんだ?」

「竜が大暴れしてるんだって」

「おおごとじゃないか! 外はどうなってるんだ」

「上を下への大騒ぎみたいだけど……」


 不可解な情報に首を傾げてしまう。


「それにしても。竜だって? そんな気配は全く感じなかったけどな」

「わたしもよ。ねえ、これからどうする?」


 女房が眉を顰めた。それでなくても日陰者の俺たちは、大きな厄災の前では本当に無力なんだ。


「どうする……って言っても。被害を最小限に抑えるためには、外に出ないでひたすら家にこもり続けるしかないだろ」

「わたしたちは最初からずっと引きこもりだから、何が起きたって結果は同じよね」

「身も蓋もないが、そう」


 薄笑いした女房が足早に部屋を出て行った。なるようにしかならないと開き直った途端に、強い空腹を感じたんだろう。腹ってのは、危機とは関係なしにいつも勝手に減りやがる。やれやれと思いながら、俺も腰を上げた。

 安全確保のためにおうち時間を充実させる、か。急に言われたところで、ライフスタイルを百八十度変えるのは大変だ。外の連中にとってはどえらくストレスフルな状況になるだろう。

 俺らにとってはしょせん人ごとだけどな。俺や女房がドライだからそう感じるわけじゃない。さっき女房が言ったように、俺たちはずっと引きこもりなんだよ。凶悪な竜がお出ましになってどんなに暴れても、ここ以外に逃げ込める場所なんざどこにもないんだ。


◇ ◇ ◇


 引きこもっている間、俺たちはこれまでと同じ生活を坦々と続けた。それしかすることがないからな。俺たちが一番困るのは、引きこもる家を失うことだ。当然、俺たちの日常は家の維持が中心になる。


「さて。屋内巡視に出るか」

「そうね。支度してくる」


 そうして俺と女房が家の中をひたすら歩き回っている間に、外の状況は刻一刻と変化していたらしい。これまでずっと賑やかだった外は竜の襲来によって一度しんと静まったが、そのあとこれまでと同じように騒がしくなった。ただ、騒がしさの中身はいくらか変わっているようだ。


 どんな姿形の竜なのか。そいつがどんな破壊行為をやらかしているのか。いくら俺たちが引きこもりだと言っても、気にならないわけじゃない。一度戸外に出て状況を確かめたかったんだが。普段偉そうにしている連中が浮き足立つくらいだから、事態が本当に深刻なんだろう。状況が落ち着かない限り、うかつに外には出られない。

 まあ、俺らは引きこもり生活にはとことん慣れている。外に出る必要はほとんどないから、高みの見物としゃれこむことにしよう。


◇ ◇ ◇


 暗いリビング。女房と差し向かいで極太のスパゲティを食いながら、漏れ聞こえてきた風聞の中身を確かめる。


「で、結局竜の正体ってのは割れたのか?」

「まだはっきりしてないみたい。間違いなくいるらしいけど、目に見えないんだって」

「ほう。そいつは厄介だな。恐ろしく俊敏なのか。それとも透明だとか」

「うんとこさ小さいらしいわ」

「は? 小さい?」

「そう」


 外の連中は、ちっぽけな存在を総じてバカにする。なのに連中が卑小なものを無視せずに恐れおののいているってことは……。くだんの竜がひどく凶暴で、かつ掃討が困難なんだろう。

 強い不安を覚える。俺たちは、強大な敵から見れば取るに足らないちっぽけな存在だから無視されるはず。引きこもりだから目につかないだろうし。でも微小な竜から見ると、俺らの方がずっと大きいのかもしれない。竜から敵視されないとは限らないんだ。


「そいつは、ここに入り込んでくるかもしれんな」

「どうだろ。竜は取り憑いた人から人へ渡り歩いて、増えながら巨大化するんだって」

「なるほど。引きこもりでぼっちの俺らには、そもそも人と出くわす機会がないからな」

「うん」


 ほっとはしたものの、ますます外に出たくなくなった。


「おうち時間で自己完結してる俺らは、まだましだってことか」

「わたしたちみたいなホームワーカーはみんなそうでしょ。でも、そうじゃない人たちはおうち時間を持て余すんじゃない?」

「だろうなあ」

「いいご身分よね。わたしたちのおうち時間は、イコール余暇なんかじゃないもの。引きこもったまま生きていくなら、肝心の家をしっかり充実させないと」

「もちろんだ」


 引きこもりの俺たちは、確かに竜と出くわしにくいかもしれない。でも今が安全快適かというと、必ずしもそうじゃないんだ。女房の言う通り、おうち時間というのは単なるライフスタイルの形容詞に過ぎない。俺らの生き様は形容詞に見かけ上フィットする……それだけなんだよ。


◇ ◇ ◇


 家の清掃や改修の首尾は、引きこもっている俺たちの命運を左右する。手を抜くわけにはいかない。食事と睡眠以外のおうち時間ほぼ全ては、その作業に当てられる。せっせと手を動かしながら、女房に話しかけた。


「外の連中は俺たちに言うのかね。危難に遭うことを覚悟して、ちゃんと現実を見ろって」

「あら」


 そんな批判は心外だと言わんばかりに、女房がぷうっと頬を膨らませた。


「放っておけばいいのよ。わたしたちにとってはおうち時間が全てで、現実よ。それ以外に見なければならないものなんて一つもないでしょ」

「まあな」


 俺たちにとって家は全てであり、家以外の居場所はない。それが引きこもりの生き方である以上、家を充実させ続けることしか俺たちにはできないんだ。再々自分に言い聞かせながら黙々と巡視を続けていたが、女房が不安そうに話しかけてきた。


「ねえ」

「なんだ」

「本当言うとね。すっごく気になるんだ」


 やっぱりか。どんなに開き直っても、平静を装っても、竜に対する不安がいつの間にか鎌首をもたげ、怯えている俺らに狙いを定める。見えない竜か。本当に厄介だ。


「わたしたち、ここに合法的に住んでると思ってたんだけど。違うの?」


 それは……まるっきり想定外の指摘だった。虚を突かれた俺は思わず口ごもった。


「むむ」

「わたしね、どうも外の人たちに敵視されてる気がするの」

「俺たちは外の人を襲ったりしないぞ」

「もちろんよ。でも……竜でしょ?」


 大きな溜息を真っ暗な穴の奥に放り出した。ヘルメットとつるはし、黒いサングラス。こういうなりの俺たちの、どこが竜だっていうんだ! 土竜だと? くだらん名前を付けたやつを未来永劫呪ってやる!


「まあ、今は他の竜が暴れてる。どうせ盲目の俺たちには惨状が見えないんだし。ひたすらおうち時間を充実させることにしよう。あ、ただな」

「なに?」

「いい匂いがしても、チューインガムには絶対に手を出すな。食ったが最後、あの世行きだ。そいつは竜よりずっと恐ろしいからな!」



【了】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

引きこもり夫婦のおうち時間 水円 岳 @mizomer

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ