第19話 ハード・トゥ・ダイ

「ば、馬鹿な……。吸血鬼ヴァンパイアは存在しない……と」


 慌てて少女から離れながら、ローブ姿は信じられないと言葉を紡ぐ。彼らにとって、教会の言うことこそが絶対の真実。だからこそ、吸血鬼ハンターは背教者であり、その存在が悪なのだ。


 だから、彼らにとってC&Cに所属していた俺とアリスは悪で――。


 ――では、心臓を貫かれても生きている俺は、なんだ?


「バルカはバルカで腑抜けてるんだから……、血くらい止めないと、さすがにを迎えるよ?」


 まるで命のやりとりをしている場所にいるという緊張感もなく、少女は言う。言われて、俺は自分の胸を見た。ドクドクと心臓から流れ出す血。滴って、流れ落ちていく。


 ――止めなくては。


 流れ出した血を逆流させて傷口を塞ぐ。更に余った血は、両腕にまとわりつかせて、手甲と拳鍔ブラスナックルの代わりに、鎚矛の尖端のような棘球モーニングスター状に形作る。


 だが、血が……、足りない。足下を見れば、現れた少女によって首を刎ねられた、長剣持ちの死体が転がっている。大分、血が流れ出してしまっているが、まだ、新鮮だ。と思うと、俺の両腕で武器になっていた血が、鞭のように、触手のように……、ああ、いつかの地球で、最後に見た、七色にのたくる触手そのもののように、伸びて死体を掴み、引き寄せる。


 俺は鎖帷子チェインメイルを力任せに引き裂いた。鉄の環が音を立てて散らばる音を聞きながら、少しだけ残った首の付け根にかじりつく。


 ――まずい。やはり男の血は俺にはあわないようだ。


 自然にそう考えて、そして俺はやっと自分自身の違和感に気付く。一体、俺は何をしていたのだ? 血を操り、血を吸ったのか? それではまるで……。


「危ない!」


 アリスの悲鳴で、俺は飛来した矢をたたき落とした。手でやったのか、血でやったのかはもう分からない。自然に、自在に操れるからだ。手足の延長ではなく、血こそが俺の手足を動かしている。


「や、やっぱりお前は悪魔だったんだな! こ、殺してやる……、浄化してやる!」


 アホンが震える声で言い、じりじりと距離を離しながら、それでも矢を番える。


「んーまあ、そうだねー。キミたちの考える吸血鬼とはちょっと違うから、悪魔でもいいのかもね。……あ、そうそう。男でも生きててドーテーならちょっとは味、マシだと思うよ」


 それを聞いて、俺は喉を鳴らし、それから横目でちらっとアリスを見る。ごちそうが待っているのにまずいもので腹を満たすのも……。まあ、しかし、倒れないことが優先か。


 十分に引き絞られた弓から、矢が放たれる。俺はそれをアホンに向かってにじり寄りながら、前方に構えた左手を肘から回転させ、弾き落とす。見えてさえいれば、矢は拳を払うのと同じ要領で防げて、楽だ。ただ、さすがに走って距離を詰めるのは難しい。


 そこに、視界の端からローブ姿が、どこに隠していたのか両手剣ツヴァイハンダーを手に突っ込んでくる。大上段からの切り下ろしを、左の手甲と血の装甲で受け流す。削られた血が、飛沫となって飛び散る。


「チェイッ」


 受け流した左腕をその場に残しつつ、右足で大きく踏み込んで、右のボディフックをローブ姿に叩き込もうとするが、さすがに身軽。ローブ姿は身をひねってそれを避け、体勢を立て直す。


「アホン、こいつを殺して逃げるぞ」


「は、はい」


「馬鹿か、俺を殺したところで……」


 あの少女がお前らを逃がすとは思えない。狙うなら、逃げ道を塞ぐあっちが先だろう。


 なのに、こいつらはまるっきり少女の方を警戒すらしていないように見える。その存在に怯え切っているのにである。


「あ~、むだだよー。僕には刃向かえないようになってるから、こいつら。それに、僕はこれ以上手を出す気はないよ。この程度なんとかできないようなは要らないからね」


 少女は興味なさそうに言う。言葉通り、助ける気はないのだろう。


 そして、アホンとローブ姿は、その言葉には何の違和感も持たない……、というか聞こえてすらいないようだ。ただの恐慌状態とは違う、が働いていることは間違いない。


 自分でなんとかするのはやぶさかではない、ものの。


 ローブ姿はそれなりの手練れのようだから、これとやり合いながら弓に狙われるのは辛い。だからといって、アホンに向かえば背中から切りつけてくるだろう。なら、できることは、弓の狙いを絞らせないこと。


 俺はステップの幅を大きく、更にローブ姿との距離を一定に円弧カーブを描くように動く。ランダムに変化を加えて、あるときは射線が通るように、あるときは通らないようにして2人を翻弄する。


 当然、俺自身も打ち込みづらくなってしまうが、魔法薬ポーションの効果もあり、持久力と速度には分がある。じっくり攻めればなんとかなるはずだ。


「せいっ」


 ローブ姿の上段からの打ち込みはかわすまでもなく空を切る。が、それはフェイント。すぐに刀身を引いて、上体をねじってからの突きが、正確無比に俺のみぞおちを狙って走る。訓練された連携技コンビネーション


 刀身を後ろに構えた右手で叩き、軌道を変えるのと同時に跳躍する。落下の加速度を乗せた左の拳で、頭を狙った一撃を入れる。奇襲に近いそれは、しかし、ローブ姿の額を掠めただけに留まり、クリーンヒットにはならない。


 しかし、それでも……、鉄より固い血の棘での一撃は、皮を裂き、肉を破り、骨まで達している。ローブ姿の右目が血で塞がれる。これで立ち回りやすくなる。


「アホン、俺の右を狙っておけ!」


 だが、その程度では士気がくじけていないローブ姿は、視界が狭くなった方向を攻められることを予想したのだろう。ある意味では正解だが、俺は武器を持って戦っているわけではない。


「シッ」


 踏み込まずに、左のジャブを放つ。塞がった右目を狙って、だ。片目になって、遠近感が狂った両手剣では、早く、近い位置から放たれるジャブを防ぐことはできない。そもそも、ジャブが当たる距離では両手剣を振り回すのは至難の技だ。


 追撃で、二発、三発とジャブを執拗に当てていく。普通の拳闘であれば、いくら負傷している側への打撃とはいえ、嫌がらせ程度にしかならない。しかし、今、俺の手には、グローブではなく鋭い棘が生え、森巨人トロルを仕留めたときよりも強い力が宿っている。


 見る間にローブ姿の顔が穴だらけになり、血がドクドクと流れ出す。右目は、完全につぶれて瞼から飛び出している。だが、いくら人間離れした力によるものでも、軽いジャブによる一撃では骨は貫けず、致命傷にはならない。ローブ姿は、激痛と損壊に体が震えだしても、まだ倒れられない。


 彼はたまらず距離をとって、両手剣で右目を守る。狙い通り。そこに踏み込んで、右のフック。右足を蹴り出し、腰をひねりながら股関節を畳み、体重と回転の勢いをすべて載せた一撃だ。


 ――なるほど、ゴブリンの頭蓋骨は頑丈だったんだな。


 玩具入りのチョコレート菓子を、力任せに割るような軽い手触りで、ローブ姿の頭がぐちゃぐちゃになる。インパクトの瞬間に伸びた棘に、頭部の骨が串刺しにされ、引き裂かれる。


 地面に倒れた男の頭は、胴体に繋がったまま、海岸に打ち上げられた海藻のように、ぐちゃぐちゃになっていた。


「うわ、うわあああああ」


 アホンが悲鳴を上げ、ろくに引き絞りもせずに弓矢を扱う。むちゃくちゃに、矢が放たれるが、平静さを完全に失ったそれは俺に掠ることすらない。俺は悠然と、アホンに歩み寄っていく。悪臭が鼻を突く。見れば、アホンの足下には大きな水たまりができている。


 ――喉は渇いているが……、食欲が失せる。


 俺は苛立ちに任せて右のストレートをアホンに叩き込む。岩壁に追い込まれていた彼の頭部は、俺の拳と岩壁に挟まれて、あっけなく潰れる。打ち込んだ手を戻すと、力を失ったアホンの体は、飽きて捨てられる玩具の人形のように、自分の屎尿の池に沈んだ。


 俺は、ふんと鼻を鳴らすと、ゴシック調のドレスの少女に向き直った。文句のひとつでも、なんならこの拳を鎧う力で殴ってやろうと思ったが、しかし、その目を見た瞬間に意気は萎え、武装と化していた血は霧散した。


 ――逆らえない。


 実力どうこうではなく、本能的に逆らえないのだ。この少女……、俺のには。


「まー、ギリギリ廃棄処分はなしにしてあげよう。僕は優しいからね」

 少女はそう言うと、お風呂の売れっ子お姉さんのように、ニッコリ笑う。とてもその幼くも美しい相貌に似合う表情とは言えない。

「僕はルナ。お前の父祖であり父である。久しぶりだね、我が子よ。長く放っておいて、悪かった。と言っておこうか」


 妖艶な笑顔のままに、手でスカートを広げ、優雅に一礼する。この世界に詳しくない俺でも、それが上流階級で使われる仕草であると理解できた。


「待ってくれ、……というと、俺が吸血鬼だと……?」


 そんな馬鹿な。俺は確かに人間で……。


「まだ寝ぼけてるの、この頭は?」


 言うなり、優雅だったルナの姿がかき消え、次の瞬間には俺の目の前で、俺の髪をひっつかんでいた。そして体を浮遊感が襲い、目前に地面が広がる。遅れて、激痛。床にたたきつけられたのだと理解するまで、時間がかかった。


「思い出せ、最後に人間の食事を旨いと思ったのはいつだ? 人間を見て、旨そうと思わなかったか? 最後にのはいつだ? 喉の渇きを人間で癒したいと思わなかったか? どうだ?」


 何度も何度も、顔を床にたたきつけられる。人間であれば、とうに意識を失っているだろう。


「バルカさんに、ひどいことしないで……!」


 アリスが悲痛な声を上げる。


「ひどい? 躾けだ、躾け。を躾けて何が悪い」


 ルナはふん、と鼻を鳴らす。ぼんやりと、随分場違いな心配をするんだな、と思う。もっと、他に気にすることがあるようなものなのに。


 そう、アリスは最初に会ったときから、どこか、どこかが不自然に俺のことを好いてくれていたように思う。違う、最初ではなく――、俺が、地球にいたときでは感じなかったに突き動かされて、その唇を奪ったときから、だ。


「どうだ? 思い出したか?」


 ルナに目を覗き込まれて……、視界が歪む。


――


 ……そうだ。あれは地下室で目覚める前。俺はこの少女と会っていた。泡立つ海水の中、迫ってくる赤い二つの目。窒息する苦しみより先に訪れた快楽は、この少女が俺の首筋に噛みついてもたらされたもの。


 血が抜かれる、という感覚ではなかった。生命の源が抜かれる――言ってみれば、生の苦しみがすべてなくなる快楽。窒息の苦しみ、酸素が得られない苦しみ。その快感に浸りながら、暗い海の中で、俺はのたくる触手に潰され、咀嚼されたのだった。


 そこは、俺の理解を超えた場所だった。いや、定命の人間には理解できない場所だった。七色の光と、三十一の闇が渦を巻き、炎に沸き立つ氷の奥。肉体をほぼ失いながら、少女に命のすべてを俺は、三十一の闇と一体になることで、そこを……、場所と表現していいのならば、一部を観測することができた。


 少女――ルナがどのようにしてそこを抜けたのかは分からない。彼女が『お祖父じい様』と呼ぶ、闇が関与していたのだろう。その闇は海の中にいた、あののたくる混沌そのもののように思えたが、その一方でどちらもではなかったように思える。


 ――そう、あののたくる「し」の字、七色に輝き、イソギンチャクの口のような器官を備えた闇は、俺が操る血のような……、そんな感じに思える。


 そして、闇の中からすくい上げられた死体である俺は、蝋燭の炎に踊る影のように、あのベッドの上にルナと足を絡め、手を握りあった姿で浸み出してきたのだ。その時、俺は直接、肌で彼女の死体より冷たい肌を感じていた。冷たいのに、火傷するように熱く、敏感な粘膜同士を一つに溶け合わせるようだった。夢のように苦しく、そして気持ちがよかった、味わったことのない快感だった。


 それから、彼女は姿を変えた俺の唇に噛みつくと、最後に残った血液を全て吸い上げると、動けない俺の股間に、自らの股間をあてがい、ゆっくりと下ろした。「あっ」と少しだけ声を漏らしたことを覚えている。全身の血を失い、動けない俺の上でルナの少女のような娼婦のような体が蠢動する。


「早いんだ」

 くすっと笑い、そして不満そうに彼女は唇を尖らせる。

「キミの名前は雷光バルカだ。早すぎるからね」

 それに抗議することも、応じることもできず、俺は快楽という死に浸っていた。


 その死の最後に、ルナは自分の唇を噛み切って、俺にくわえさせた。俺は、それが喉に流れ込み、粘膜に、臓腑に、そして髄に染みこむのを感じ、目覚めた。猛烈に喉が渇き、を欲して起き上がる。


 地下室を駆け上がり、何かの気配を感じて俺は鼻を鳴らした。餌の匂いを感じたのだ。汗、緊張、恐怖。そんな匂い。階段を駆け上がり、逃げるを追い詰める。……どこかで見た旅装と景色。そうだ、俺が目覚めた屋敷の寝室だ。俺は一度、そこを


――ああ、そうだ。ブランを殺したのも……。


 俺はベッドを乗り越え、窓から逃げだそうとするブランを引きずり戻し、夢中で牙を突き立てた。余り旨いと思えない血だが、血は血だった。ルナのほどではないが、それは仕方がないことなのだろう、俺は……、若い女の血が好みなのだ。何の疑問もなくそう感じていた。


 それでも渇きに任せて血を貪ると、ブランは全ての生を失い、逃げようとする姿勢のまま干からびて、ミイラになった。俺は、それが理解できず、呆然とする。そこにルナが現れ、自失した俺の手をとって地下室に連れ戻す。


『さあ、食事が終わったら眠るんだ……。魂が、には時間がかかる。分かっただろう? 食欲のままに貪れば、餌は死ぬ。正体を知られればお前は滅びる。正体を隠せ、嘘を吐け、人を騙すんだ』


 ルナは寝かしつけた俺の体にしなだれかかり、そう耳元で囁いてから、耳朶を甘噛みする。


『バレないようにいきなり人間の血を飲むっていうのも、ハードルが高いだろうから、なんていったかな。血を入れたワイン置いておくから、喉が渇いたら飲むんだよ』


 裸と変わらないような、ヒモに豪華なレースを縫い付けた下着を纏いながら、彼女は言う。


『それと僕の血を受けているから、人間を誘惑するのは得意なはずだよ。美味しそうな家畜を見つけたらキスでもしたらいい。三回も君の唾液を飲ませれば、完全に君のになるし、唾液も体液だからね。生きながらえる滋養になる。ただし――』


 子どもに言い聞かせるように彼女は続ける。


『子作りは、ダメだ。血族クランの許しなく子孫を増やすことは禁忌だからね。お前では、勢い余ってを為しかねない。時が来たら、やり方は教えてやあげるから、それまで我慢して。……まあ、だから僕はこれからお叱りを受けにいかなきゃなんだけど』


 最後に俺の股間に口づけをしながら言い、そして苦笑して、彼女は霧へと変じる。


 そうして、闇の中に俺は一人取り残されたのだ。


――


「じゃあ……、アリスは……」


「あの子か? 分かってるだろ? 君に口づけされた人間は、もう血の器ヴェセルだよ。君が吸血鬼だと分かっても、君に殺されても、何も言わない。忠実な虜囚だよ」


 ルナはにこっと笑って、俺から流れ出た血を長い舌先で、官能的に舐め取る。


 ぼろぼろになった俺を、震える瞳でじっと見つめるアリス。俺は、立ち上がって彼女を解放すべく、柵に近づいた。無造作に払うと、それは容易く壊れる。それを待ちかねていたアリスは、俺の胸の中に飛び込んできた。


 胸に顔を埋めて腰に腕を回し、力一杯抱きしめてくる彼女の頭を、俺は撫でる。無防備に晒された首筋と肩に、目が釘付けになる。


「アリス、すまん……」


 口を開き、俺の意志に応えるように伸びた犬歯を、真っ白なアリスの肌に突き立てる。甘美な血の臭いが鼻腔をくすぐり、喉を滑らかに血が滑り落ちていく。俺の手の中で、アリスがピクピクっと震え、「ふっ、ふっ」と何かをこらえる、声にならない声を荒げる。


 苦痛があるのだろうか。目を開いて横目で見ると、アリスは天井を見上げ口を開き、まるで舌を見えない舌と絡めるかのようになまめかしく動かしていた。潤む瞳は苦痛ではなく、それが快感であることを物語っている。


 ずっと味わっていたいが、やりすぎるとアリスが死んでしまう。俺は口を離し、アリスの首筋についた傷跡を拭う。傷口が塞がって、赤い傷跡キスマークに変わる。


「……もう、いいんですか?」


 とろん、とした目でアリスは言う。俺がしたことに、何の疑念も抱いていない、そんな目だった。


 ――正気では、ない。


 俺は、悟った。理解してしまった。


 彼女から向けられる好意は、嬉しかった。それはもちろん。ただ、それは、偽物だった……。俺が望んだから与えられただけの、まやかし。


 もし、そう言っても、アリスは心の底からの好意だというだろう。もう、絶対に戻らない、本当の彼女の好意。嫌われるよりも、死よりも取り返しの付かない、永遠の好意。


「バルカ……?」


 背後からの声に、俺は弾かれたように顔を上げた。C&Cで待っていたはずのクロエだ。なのに何故か、ここにいる。


「ああ、ちょっと僕が細工してね。ちょうどいいから来てもらったんだよ。血も、まだ足りてないだろう?」


 ルナがからかうように言う。


「正直、吸血鬼ハンターの一人を虜囚にするのは予想外! 何も知らないのによくやったよ。ま、それもあって廃棄処分にはしなかった……、されなかったんだけどね」


 そうだ、クロエはもともと、吸血鬼ハンターだ。俺が吸血鬼だと知ったら、さすがに……。


「今……、バルカ。アリスの血を、吸っていた」


 咎める風でもなく、淡々と事実を確認するように、クロエは言う。


「ああ……、どうやら、俺、吸血鬼だったらしいんだ」


 それを言って、果たして、俺はどうなることを期待していたのだろうか。


「うん。大丈夫……。バルカは、騎士ナイト様だから。いい吸血鬼。カーラ姉にも、レオにも、言わない。安心、して?」


 そう言って、いつものように近づいてくる。


「まだ、喉が渇いてるなら……、わたしからも、飲んで……。大丈夫」


 そういって、胸元を解き、首筋を露出させる。


 個人的に吸血鬼の存在を信じる理由があり、憎む理由があって吸血鬼ハンターをしている、と言っていたクロエ。その彼女が、理由も聞かず、ただ俺だけという理由で受け入れてしまう。


 俺は二人の少女を両手で抱き寄せた。絶対に、俺のことを裏切らないふたつの温もり。


 だが、それが本当の意味で俺の体を、心を温めることは絶対にない。彼女らは俺が望めば何でもしてくれるが、しかしそれは、本当の彼女たちの意志とは、関係がないのだ。


 俺は流れなくなった人間の涙を思い出しながら、低く吼えた。果たして、一体何がそんなに悲しいのか、まるで見当もつかなかったけれど。


 いや、人間だったころのことを思い出して、悲しむフリをしてみただけ。この世界に現れてからずっと、俺は人間のフリをしているだけだったのだから。の言うままに、嘘を吐いて、騙し続けていただけだった。

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赤ワインと元社畜~異世界の美少女たちを添えて~ 青波精真 @se-ma_aonami

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