何も変わらない日常

北きつね

第1話


「おい!出てこい!」


 俺をイラつかせる声が聞こえる。無視を決め込んで、寝床に潜り込む。


「おい!」


 俺は、”おい”ではない。俺の名前でないことはわかっている。

 騒がしい男だ。騒いでいると、あの女が来て、寝床を強制的に排除してしまう。お前も、怒られるのだから静かに寝ればいい。


「いい加減に出てこい、”おうち時間”か?!いい加減にしろ!」


 何が悪いのかわからない。

 世間では、”おうち時間”とか言って、家に引きこもることが推奨されている。なぜ、俺が引きこもるのは駄目なのだ?本当に、意味がわからない。


 あの女も、この騒がしい男も、以前は朝になると、俺の1日分の食事と飲み物を用意していた。食事の用意をしたあとで、男も女も姿が見えなくなる。”外”に出ていくようだ。今までは7日に1-2回だった騒がしい日々が、最近になって7日で4-5回に増えた。迷惑この上ない。俺が安心して寝られる時間が減ってしまう。


 こいつらのご主人さまである俺の睡眠を妨げるだけではなく、巡回を邪魔してくる。

 俺が居ないと、何も出来ないくせに、俺をイラつかせることしかしない。


「”出てこい”とは言わない。”外に出ろ”とも言わない。だから、まずは顔を見せてくれ」


 騙されない。

 顔を見せたら、そのまま連れ出して、俺の”おうち時間”を終了させるつもりなのだ。だから、断固として拒否する。


 この前もそうだ!甘い言葉で、俺を騙して・・・。泣き始めてしまったので、心配になって出てみれば、そのまま狭い部屋に押し込まれて、外に連れ出されて、白い服を着たおっさんに体中を触られて、最後に針を刺された。恐怖で身体が動かなくなってしまった。いくら抗議しても、”俺のため”だと言って、主張を無視しやがった。


 俺は忘れない。こいつとは長い付き合いだが、強気に出ている時ならいいが、急に優しいことを言い始めたら、俺が嫌がることをするに決まっている。


「ほら、お前が好きな・・・。用意したぞ?だから、顔を見せてくれ」


 くそぉ

 俺が、そのカツオ風味が好きなのを知って・・・。駄目だ!俺は、まだ怒っている。

 この前は、そのカツオ風味の奴を目の前に出されて、我慢ができなくなって、奴の姿が見えなかったので、俺の家から出てみれば、後ろから抱きかかえられた。爪を使って、奴の腕を引っ掻いたが、嬉しそうにするだけだった。カツオ風味の物はうまかったから、引っ掻くのは中断したが、俺は騙されない。


 今回も同じだろう。後ろから抱きついてくるか?


 それとも、捕まえて水たまりに俺を沈めるのか?

 俺も男だ、水は怖くない・・・。とは、言わないが、多少なら平気だ。平気だと思う。男も女も、毎日の様に水浴びをして嬉しそうにしている。信じられない。

 自分たちだけで水浴びをしているのならいいが、俺にも強要してくる。水浴びだけならいいが、なにかわけのわからない物を身体になすりつけられて、俺が安心できる、お前たちの匂いや、俺の匂いを身体から消してしまう。それが、どんなにストレスになっているのか考えたことがあるのか?

 それだけでも許しがたいが、その後で、あの強く熱い風が出てくる物で、俺をいたぶってくる。それも、すごく嬉しそうな表情で・・・。俺は、必死に風が出てくる物から逃げようとするが、普段は喧嘩が多い男と女も、この時だけは協力して俺を押さえつける。

 まぁ風の拷問が終わったあとの毛並みは、俺も好きだから強くは文句が言えない。

 違う。違う。俺を押さえつけて拷問しておいて、その後で、抱きかかえて顔をこすりつけてくる。嬉しそうにしている男と女を見ると、俺もほだされてしまうが、もう騙されない。


「大丈夫だよ。獣医にも行かないし、お風呂でもないよ?」


 何?

 獣医というのは、賢い俺は知っている。白い服を着たおっさんのことだ。俺を舐め回すように見て、体中を触って、最後に痛い針を刺す。次に会ったら、俺の必殺技のパンチを100回食らわせてやる。違う。違う。おっさんの所には行かないのか?いや、騙されない。

 お風呂というのは、水浴びだ。確かに、男だけでは俺を確保出来ない。いや、騙されない。男が、俺をおびき出して、女が後ろから抱きかかえる。この前は、女が俺をおびき出して、男が後ろから抱きかかえた。騙されないぞ。


 でも、少しだけなら・・・。


「お、やっと出てきた。ほら、お前が好きな・・・カツオ風味だ。トイレ掃除をさせてくれ」


 お!優秀な俺だが、トイレ掃除だけは苦手としている。下僕であるこの男の仕事だ。いつも清潔にしていないと、俺の気がすまない。

 しょうがない。部屋から出るか?


「お。やっと顔を出したな。来いよ」


 男は、嬉しそうに俺を見る。男は、俺の手を掴むと、抱きかかえるように優しく部屋から出す。

 誤解していた罪悪感から、俺は男に身体を委ねる。お互いの顔をこすり合わせるような挨拶をする。


 男の嬉しそうな顔を見るのと、俺も嬉しくなってしまう。


 男は、普段の食事よりは、少しだけ量が少ない食事を俺の前に持ってくる。

 最近は、この方式が多くなっている。朝と夕の二回に分けて食事が供される。前の様に、一回でもいいのだが、二回だと男や女と一緒に食事ができる。俺としても、二人を守ることができるので、二回に分けて一緒に食事を摂るほうが嬉しい。


 今日は、女が居ないので、男は俺に食事を出すと、一緒に食事を取る前にトイレ掃除をしてくるようだ。先に、食事をしてからでもいいと思うのだが、男は必ず俺が食事をしている最中に掃除を行う。よく出来た従者だ。


 男も、女も、理解していないだろう。

 俺は、お前たちが居れば、他は何もいらない。お前たちと過ごせる。”おうち時間”が増えるのは、俺はすごく嬉しい。

 わかっていないだろう。

 一緒に過ごせる時間が貴重だとわかっている。俺は、これからも”おうち時間”を楽しむ。お前たちと一緒に・・・。

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何も変わらない日常 北きつね @mnabe0709

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