魔女のおうちくっきんぐ

桜々中雪生

魔女のおうちくっきんぐ

 ぐつぐつと煮えたぎる音が部屋に響く。恐らくとんでもない熱を持っているであろう何かから、もうもうと湯気が立ち上っていた。

「よしっ、できた」

 白く煙るキッチンで、真っ赤なエプロンを身につけて、仁王立ちの少女が満足げに鼻を鳴らした。

「良い出来なんじゃないかしら」

 ふんふん、鼻唄を歌いながら木の柄のおたまで寸胴鍋から煮えたぎる何かをスープ皿へ移す。見る角度によって黒にも紫にも、藍色にも見える宇宙的なそれは、食器に注ぐようなもの、つまり、食べ物には見えなかった。

「まったく、家にいる時間が増えるのも考えものだわ。いくら私がグルメの魔女と言ったって、こう何百年も生きている間にこんなに籠る時間があったんじゃレパートリーもなくなるわよ」

 病気の魔女め、忌々しい、と憎たらしそうに呟きながらなみなみに中身の入ったスープ皿をダイニングテーブルに置き、自分も腰を下ろした。

「いただきます」

 日本に長く住んでいる影響で、食事の挨拶はいつも欠かさなくなった。その意味を初めて知った時は、なるほど、これがすべてのものには神が宿ると考える国の人間の思考なのか、と興味深く思ったものだ。

 まぐ、とスプーン山盛りを一口で平らげ、「ん〜!」と高い声で叫んだ。

「おーいしい! 乾燥させておいたマンドラゴラの風味がいいわね。サラマンダーの背骨の食感もクセになるわ。ああ、一人で食べるのがもったいないくらい!」

 どうやら、見た目に反して味は良いらしい。しかし、言いながら苛々していた気持ちを思い出してきたのか、頬が膨れ、眉が吊り上がってきた。

「それもこれも、病気の魔女のせいなんだわ。幾ら自分の仕事とはいえ、おちおち外にも出掛けられないような病を流行らせて、いい迷惑だわ。……いえ、薬の魔女も薬の魔女よ。なぁーにが『まだ時が満ちていない』よっ。せっかく500年目の誕生日だから盛大に祝ってあげようと思ったのに、回復薬をまだ出回らせないなんて、魔女としての務めがそんなに大事なわけ!?」

 喋る合間にも手は休めずにひたすらスープを口に運ぶ。言い終えると同時に、スプーンを握った手で机をだんっと叩いた。

「……呼んだ」

 ふぉんっと音がして、グルメの魔女の前、机のちょうど向かいの椅子に、もうひとり魔女が現れた。

「なっ、く、薬の魔女!?」

 どうやってここまで、と口をはくはくさせるグルメの魔女に、「……グリフィンの羽根。数枚貰ったから。それから、長寿のインビジブル・マンの頭髪も数本」と薬の魔女。

「貰ったってあなた、そんな気性の荒いのやら気難しいのやらから一体どうやって」

「グリフィンは、キメラと争って負傷していたのを治してやった。インビジブル・マンは、病気の魔女の実験台にされて病気に罹ったから、それを回復させる新薬の実験台になって貰った。両方とも、その報酬」

「インビジブル・マンに関しては、あなた感謝される要素ないじゃないのよ」

「治ったから」

「そんなめちゃくちゃな……」

 グリフィンの羽根はまだしも、長寿のインビジブル・マンの体の一部なんて、透明化だけじゃなくて透過の力もついたレアなアイテムだ。それほど病気が酷いものだったのだろうか。きっと気まぐれな病気の魔女に偶々見つかってしまっただけなのだろう、実験台にされたインビジブル・マンに、グルメの魔女は心の底から「可哀そうに……」と同情した。

 罹ったこともない病気に苦しめられた哀れなインビジブル・マンにしみじみと思いを馳せていると、「本題に入る」と薬の魔女が口を開いた。

「今日来たのは他でもない。回復薬の実験台になって」

「久しぶりに会った友人に対して、それはあんまりな仕打ちじゃないかしら」

 薬の魔女が言い終えるが早いか、グルメの魔女は思わずそう言わずにいられなかった。優秀な友人のことだから、万一のことはほとんど起きないだろうが、それでも未知のモノの実験台にされるのは不安なものである。とグルメの魔女は考えていたが、

「もうじき時が満ちるから、人間たちに薬を与えないといけない。だから、一番人間に近くて、よく知っている相手に投薬して様子を見てみるのがいい」

 その条件だと、貴女が一番安心。

 照れくさそうに睫毛をやや伏せてそう言われると(その仕種が照れたときのモノだと知っているのはグルメの魔女だけだ)、断れないのが、グルメの魔女の弱点だ。知ってか知らずか、薬の魔女はグルメの魔女を巧みに手玉に取る。

 何だかんだといって、やはり、頼られるのは悪い気がしないし、そのために友人が会いに来てくれたことはとんでもなく嬉しかったのだ。

「しっ、仕方ないわね……。じゃあその代わり、私に思う存分祝われなさいよね!」

 あっさりと実験台になることを受け入れて、いそいそとパーティーの準備を始めた。薬の魔女に背を向けているが、赤らんだ頬が緩んでいるのがわかる。当の本人は、気づいていないようだが。

「顔、赤い。熱?」

「な!? ち、違うわよっ!」

「でも、すごく赤い。薬、要る?」

「う……うるさいうるさいうるさーい!」

 暇を持て余した魔女のとある一日は、古い友人の急な訪問により賑やかなものに変わった。夜はまだ長そうだ。

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魔女のおうちくっきんぐ 桜々中雪生 @small_drum

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